大阪(2007.3.29-4.2)


1.往路(3.29) / 2.住吉、堺(3.30) / 3.生駒、大阪城、大川(3.31) / 4.箕面、万博記念公園、天神橋筋(4.1) / 5.復路(4.2)

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 夜中に雨は降ったようだったが、今朝の天気は快方に向かうようであった。昨日の東京は歩いていると暑ささえ感じたものだったが、この時期朝の空気はさすがにひんやりとしている。朝の眩しい西成の街には、早朝から既にロッカー屋、手荷物預かり屋や作業着屋が店を開き、決して背広ではないおじさん達がたくさん往来する。私は新今宮駅から電車に乗って今日の旅を開始しようと目論んでいたのだが、何となく引力のようなものを感じて、南海電車の高架に沿って、あいりん地区と呼ばれる南の方へ歩いてみることにした。

 職安の薄暗いけれど大きな建物も賑わっていて、あまりきれいではない高架下にはエロ本やらビデオやら、本当につまらない雑貨やら、一見売り物ではないように見えるものを道に並べて商売する露店がたくさん並んで、たくさんのおじさん達が行き交う。何だかすごくいろいろな、重たいことも考えさせられる雰囲気がガード下には朝っぱらから広がる。そういう雰囲気を垣間見ただけだというのに、私は何だか、こういう世界も現実にあるのだなあといった不思議な感覚を呼び起こされてしまったような気がした。南海電車の萩ノ茶屋駅もそんな、薄暗い高架下に小さく佇んでいた。

 私は鉄骨がむき出しとなる萩ノ茶屋駅のホームに上がった。萩ノ茶屋駅は本線の駅でありながら高野線直通の列車しか止まらないので、やってきた下りの列車に一駅だけ乗って隣の天下茶屋駅まで進み、地下鉄との乗り換え客でごった返している、萩ノ茶屋とは一線を画するきれいな駅の雰囲気を垣間見つつ本線の急行列車に乗り換えて、私は更に南下を続けた。列車は小さな建物のひしめき合う街並みを高架上から見下ろしながら進んでいく。そして大きな川を渡って堺市へと進めば、海沿いに厳つい工業地帯が広がる様子が車窓に見られるようになっていく。

堺の灯台 堺駅に降り立てば、駅前には大きなホテルが建ち、それが核となって整備された街が周辺に広がっていた。一方裏側となる西側はすぐに工業地帯となる。とりあえず古い灯台の建つ海を見てみたかった私は西側に出て、何の飾り気もない工場の間の路地へと分け入ってみた。建物の巨大さに圧倒されそうになるのをこらえながら、頭上を通る高速道路の足もとまで歩みを進めると、大浜北公園というささやかな緑地があり、その奥へ進めば、陸地に刻み込まれたように入り組む細い海の対岸には、赤茶色に固められた護岸の先に、小さいけれど角張っている、真っ白で鮮やかな姿を堂々とさらす灯台が佇んでいた。

堺の港 灯台の姿は美しいけれど、海に阻まれてその先へ進むことはできないようだった。もっと大きく海を眺めることができる場所が他にあるような気がして、私は辺りを眺め回しながら堺の市街へ戻る方向に歩き続けた。すぐ近くには、陸を袋状に丸く削り込んだような所に比較的大きなヨットハーバーがあったが、何のことはない、その掘り割りはさっき彷徨った道のすぐそばにまで迫っていたのだった。防波堤が高くて海の存在に気づかないとは不覚を取られたような悔しい気持ちにもなったが、更に駅の近くを通る大きな通りへと戻っていけば、刻み込まれたような海の上には大きな橋が架かっていた。水門もあるからここが海と陸の境目となるのだろうが、袋状に彫り込まれた海の海岸は遊歩道的に固められ、その赤茶色に固められた海岸が白い立派な灯台へと続いていた。私はやっと堺の海の全貌を把握できたような気がして、何だかほっとしたものを感じつつ、海から吹き付ける強い風の中に暫し佇んだのだった。

 水門を越えて川となって市街へ続く水路は、かつて堺の街を囲んでいた堀の一部だったといい、開国の時代の史跡も所々に佇んでいたし、橋の欄干にはさりげなく南蛮人の像が佇んでいたりもしていた。当時あった堀の殆どは埋め立てられているようだったし、忍たましんベヱの時代と同じ景観では恐らくないのだろうとは思うが、もしかしたら当時と変わらないかもしれない心地よい海風に吹かれながら、海への出口として古くから栄えた街の名残を至る所に発見できる街の散策を、私は暫く楽しむことができた。何のことはない、最初から東口に降り立っていればどうやら真っ直ぐ大浜公園に辿り着くことができていたらしい。

 堺駅に戻った私は、次に住吉大社を訪れるべく、南海本線を難波に戻る方へ進んだ。高架から大きな工場やマンションの建ち並ぶのを見渡す、人工的な要素の多い車窓が続き、その上に広がる空にはまた雲が立ちこめ、不安を呼び起こす空模様となっていく。

住吉公園 住吉大社駅のすぐ近くには住吉公園があり、石畳の道の周囲に池を中心とする庭園が配されて、のんびりと散策できる所だ。桜がたくさん植えられている所もあり、三分ほどに咲き始めた桜が薄暗い空のもと、必死で明るさを保っているかのようだ。もっときらびやかな雰囲気が辺りを埋め尽くすまで、もう少しの辛抱といった感じである。

住吉大社 住吉大社は、駅から見て住吉公園の反対側の、やはり駅前すぐの所にあった。路面電車の阪堺線が走る大通りを渡ると、その正面に大きな鳥居が佇んでいる。私は巨大な常夜灯のたくさん建ち並ぶ参道を通り、亀もたくさん泳いでいる静かな池に架かる極端なまでに巨大に丸く盛り上がる太鼓橋をゆっくりと渡って、赤い回廊で囲まれた神域の中へと進んだ。中には巨大な神殿が4つも並んで鎮座していた。神殿を守る神木もまた巨大なものばかりで、境内の外に広がる雑多な世界とは全く異なる、厳かな雰囲気に満ちた神聖な世界が、鬱蒼とした杜の中に広がっているかのようだ。領域自体は決して広くはないがそのことを感じさせない、大きなものをたくさん持つ世界に触れられたような満足感を、私はさほど長い時間の滞在でもなかったにも関わらず、充分に感じることができたのだった。

 私は阪堺線の走る大通りを再び渡って駅に戻った。南海の住吉大社駅に隣接して立ち並ぶ商店街の中には、天王寺へ向かう阪堺線の支線の終点となる停留所が、商店街の店舗の一つであるかのように軒を構えていた。私はその住吉公園電停から路面電車に乗り込んだ。電車は発車すると程なく阪堺線の本線と交差して、暫くは専用軌道を進んだが、南海高野線の線路を大胆に跨ぎ越して進んでいくと程なく大通りの真ん中へと躍り出て、帝塚山三丁目の細く小さな安全地帯へと停車した。

万代池公園 帝塚山三丁目で私は電車から降りて住宅街の中を歩き、近くの万代池公園を訪れた。周囲を完全に住宅街に囲まれながら佇む池で、特に水質がよいというわけでもなさそうだが、池の中には小島がいくつか浮かび、そして周辺には少し咲きかけた桜の木がたくさん植えられる。ここももう少ししたらもっと華やいだ雰囲気になりそうだなという私の予想を裏切らず、住吉公園と同じようにここでもそこかしこで花見の準備が行われている。

 たくさんの地元の人達が散歩を楽しむ、住宅街の中の素朴な景勝地の風景を暫く楽しんだ後、私は帝塚山の高級住宅街を少しだけ歩き、住宅街の中に埋もれてしまいそうな古墳の近くにある、やはり住宅街に埋もれそうな小さな帝塚山駅へ向かって、南海高野線の列車に乗り込んだ。列車は常に住宅街の中を素朴に進んでいくが、河口に近い大きな川を渡る時だけは、車窓にはさすがに雄大な風景が広がって、再び明るくなってきた空のもと、列車は堺の市街に設けられたもう一つの南海線の駅である堺東駅へと進んでいった。

 降り立った堺東駅の周囲は、市役所の目の前という立地のせいもあってか、街としての体裁がさっき訪れた本線の堺駅よりも整っているかのような印象を私は受けた。駅周辺の商店街から細い路地に入れば、ここにもまた高級そうな住宅街が広がり、そしてその住宅街に周囲を完全に取り囲まれた形で、反正天皇陵という古墳の緑地がフェンスに囲まれた姿を現した。

反正天皇陵 住宅街の中にあった反正天皇陵の入口にあたる部分には鳥居が設置されていたが、その中に広がる丘陵のような古墳の本体へ入ることができるわけはなく、周辺に造られているはずのお堀も住宅街の中からは充分に眺めることは難しいようで、暫く私は住宅街の中からフェンス越しに、ただ単に緑の丘陵を眺めながらゆっくりと歩き進んでいくこととなった。地図上の形から想像される、絵に描いたような天皇陵の姿に出会うこともなく、どこにでもあるような住宅街といった風情の道を歩き進むうちに、道はやがて大通りに合流し、方違(ほうちがい)神社という小さいけれど丹の色華やかな社が姿を現す。境内へと歩みを進めれば、石の柵越しには池のように反正天皇陵のお堀が広がり、深緑の丘陵を浮かべて佇んでいるのを私は垣間見ることができた。大きく広がってのんびりとした風景を作っているというわけでは決してなかったのだけれど、なかなか見つけられなかった古墳の美しい姿を漸く見つけられたことが、私にはなんだかとても嬉しかった。

 方違神社をあとにした私は、せっかくなのでいろいろな駅を訪れてみようと、堺東駅ではなくJRの堺市駅へ向かうべく大通りを歩き進んでいった。住宅街の路地とは異なり素朴さや静けさとは無縁の、交通量の多い幅の広い通りを進み、堺市駅が近づけばやはり店舗などの並ぶ大きな市街が開けていった。私は堺市駅から一駅だけJRの阪和線に乗り、南海線との交点となる三国ヶ丘駅へと進んだ。

仁徳天皇陵 三国ヶ丘駅の周辺に広がる市街地の背後にはすぐに、仁徳天皇陵の深緑の丘陵が控えていた。私は左手に広がる住宅街に隣接して、右手に金網越しに仁徳天皇陵の丘陵の姿が眺められる通りを歩き進んだ。暫く歩き進んでも金網越しには細い堀の向こうに常に小高い緑の丘が立ちはだかり続け、堀の中の倒木にはたくさんの亀達が甲羅干しをする微笑ましい光景も展開する。もちろん教科書などの写真で子供の頃から存在を知っている陵墓だが、さっきの反正天皇陵を周辺から眺めようとした時よりもその大きさ、昔からのイメージ通りの巨大さを簡単に実感できたような気が私にはした。堀の対岸にある丘陵の、更に向こうにも堀があるような感じらしく、その巨大さ故になかなか全体像を拝むことができないことにもどかしさも感じたものだったが、それだけ巨大な建造物なのだなということをじっくりと感じながら、私は暫く散歩を楽しむことができた。

 古墳沿いに真っ直ぐ続く道を延々と歩き続け、私は漸く方形の古墳の隅の部分へと辿り着いた。丘陵は依然として穏やかな深緑のままだけれど、堀はきれいに直角に折れ曲がり、その向こうにある丘陵が確かに人工建造物であることを主張する。近くの百舌鳥駅に立ち寄ってから、私は更に仁徳天皇陵の辺に沿って、正面の部分を目指して進んだ。堀を守るフェンスは低くなって、堀は太くなって豊かに水を蓄えるようになり、その向こうの丘の様子もよく見渡せるようになっていく。そして正面へ辿り着けば、深緑を背景に白い鳥居が建って、一番外側の堀の上を経て内側の丘陵にも、限られた領域ではあるものの足跡をつけることができるようになっていた。もちろん写真で見るような前方後円墳の特徴的な全体像までは認識できず、遠巻きに深緑の小高い丘を眺めるのみではあったが、ここまでの半周を時間をかけて歩いてきたことと合わせ、私はその巨大さを充分に感じることができたような気がした。

大仙公園 私は大通りを挟んで仁徳天皇陵の反対側に広がる、大仙公園という広い園地を訪れた。小さな古墳がいくつか巻き込まれているらしい園内には、芝生で覆われた起伏に富む丘が広大に広がる。大仙公園の桜丘にはいろいろな品種の桜も植えられていて、この時期は全く開かないものから満開のものまでいろいろな姿を誇り、たくさんのグループがまさに花見を楽しんでいる所だった。そんな広場には平和の塔という、白くて背の高い建造物がシンボリックに鎮座して、園内のあらゆる所に広がる穏やかな広場の風景にアクセントを添える。

 園内には日本庭園が、有料区画として設けられていた。入ってみればなるほど、有料なだけはあるといった感じの美しく整備された庭園だ。飛び石を擁する池の周囲には滝があったり四阿があったり、進めば進むたび新たな角度から美しい風景を眺めることができる。池につながる水路の上流はせせらぎとなり、私は飛び石を何度も渡りながら、流れの周囲を固めるたくさんの植物達が織りなす美しい風景を、漸く広がるようになった明るい穏やかな空のもと、穏やかな風に吹かれながらのんびりと楽しむことができたのだった。庭園の一角では梅の花も、今が盛りとばかり真っ赤な華やいだ雰囲気を作り出していた。

大仙公園日本庭園大仙公園日本庭園

履中天皇陵 私は仁徳天皇陵とは反対側の出入り口から大仙公園を出て、今度は近くに佇む履中天皇陵に沿って歩みを進めた。ここも周辺はフェンスに囲まれていて、常に堀の向こうを眺め続けられるわけではなかったが、角に当たる所では深緑の陵墓の本体が、広々としてたっぷりと水をたたえた堀に浮かび、幾何学的な形であることを伺わせるように佇む様子がよく見渡せる。そしてここから陵墓の一辺をなぞるかのように始まる遊歩道は美しい桜並木となり、開いている花こそまだ僅かではあるけれど蕾は赤く色づいて今にも華やかな雰囲気へ変化しそうな道を進みながら、堀の上に浮かぶかのような深緑の丘を遠巻きに眺めれば、私はこの道が住宅地に隣接しているということを忘れてしまいそうな、長閑な雰囲気に存分に浸ることができたのだった。

 道は住宅街を抜けて程なく大通りへと合流し、そして私は近くのJRの上野芝という駅へと辿り着いた。本当はここからバスで藤井寺の方へ抜けようかとも私は考えていたのだが、中途半端な滞在時間しか許されなさそうな感じでもあり、素直に堺東駅へと戻るべく駅から出発する路線バスに乗り込んだ。バスは履中天皇陵の正面を戻るように私が辿ってきた通りを暫く進み、車内放送は東京であれば何丁目と表現するものをこの辺りでは何丁と表現するらしいことを私に教えてくれる。バスは程なく堺へ向かう広い道へ進み、周辺の建物も次第に巨大になって、あっという間に大都会の真ん中へと飲み込まれていった。

 大きな建物が密集してさながら大都会の雰囲気の堺東駅周辺から、私はアーケードつきの商店街を抜け、さほど遠くではないはずの堺駅へ向かって歩き始めた。地図上で最短距離となる道はあまりにも巨大な大通りとなっているようだったが、一筋違う道へと迷い込めば、桜の咲き誇る華やいだ寺院がいくつも連なる領域が現れた。

 そして素朴な街並みを抜け、阪堺線の軌道が通る大通りを横断すれば、ザビエル公園というらしい、さほど広いわけではないけれど遊歩道や芝生がよく整備され、何より桜の美しい小公園も姿を現した。

 公園のそばにはかつては堺の市街を取り囲んでいたらしい、堀のような細い川が流れ、桜並木に囲まれながら住宅街をある時は真っ直ぐ、ある時は直角に折れる人工的な流れ方を示しながらも、流れの中からは中くらいの大きさの魚の群れが時折水面へ飛び出してくる。そんな、都会の中に流れる穏やかな川に沿う並木道を暫く進めば、今朝訪れた記憶も新しい堺駅はすぐ近くに大きな姿を現し、川からは朝訪れた昔の港へ通じる水路が分岐していく。歩けば歩くほど美しいものを見つけることができるのがこの堺という街なのだということを、私は知ることができたような気がした。

堺市街ザビエル公園堺水路の桜堺水路

 時にして午後3時を過ぎた堺駅から南海本線の急行列車に乗り込み、私は大阪市内へ戻る方向へと進んだ。朝と違って空は晴れ上がって明るく輝き、高架から望まれる住吉公園の姿も、さっき訪れた時とは違って明るい姿を現す。そして右手の車窓には、マンションの密集する街並みの背後を守るかのような山並みの姿も、遠くに望まれるようになっていた。

 急行列車はあっという間に新今宮へと帰りついた。隣の今宮戎駅に停まる列車が来るまで10分くらい時間があるようで、私は駅の近くにもあったはずの安い缶飲料を求めて一旦駅の外へと出ることにした。小さな出口の面する大通りの向こうには、あいりん地区の大きいけれど薄暗い職安が建って朝と変わらない特殊な賑わいを示し、駅側とは若干違う世界が存在するかのような雰囲気を少しだけ感じ取って、私は駅に戻った。乗り込んだ各駅停車の右手の車窓に通天閣が立派に聳え立つのを私は見つけたが、その姿に見入る間もなく列車はあっという間に今宮戎駅へ辿り着いた。

通天閣 薄暗い雰囲気の拭えない今宮戎駅の周辺に広がる何でもない住宅街を、私は通天閣を目印に歩いて行った。えべっさんこと今宮戎神社はこの時期、住宅街に埋もれてしまいそうな小さな神社でしかないようだったが、間近になった通天閣の周辺には賑やかな商店街が広がっていて、大阪らしい明るい雰囲気が強く感じられるようになってきた。通天閣が建つのも特別な園地のような周囲と区別された領域ではなく、そんな商店街を貫く1本の道路を跨ぐようにして、人々の生活に密着するかのように立ち尽しているというのが、私にとってはとても新鮮なことのように感じられた。夕刻の近づいた賑やかな街に立ち尽くす通天閣へ登ることを望む人々もたくさん集まって、登ることができるまで20分待ちになるという。今日はここまで歩いてばかりだったし、こういう所でゆっくりするのも悪くないとばかり、私は素直に行列に加わった。

通天閣から生駒方面 私は案内されるままにぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに乗ってまずは2階へ上り、スルッとKANSAIカードによって少しだけ安くなった入場料を払いつつ再び行列へと加わって待ち時間をやり過ごし、いよいよ展望台へと進んでいった。展望台には当然人もたくさんいたけれど、そこは無数の人工的な建造物がひしめき合う大阪の市街を実に大きく広く見渡すことのできる所だった。市街の東側は生駒の、北西側は六甲の山脈に阻まれながらもたくさんの、様々な高さの建物が一帯に隙間なく立ち並ぶのだけれど、それでいて眼下には天王寺公園の緑地帯が広がり、周辺の道路を行き交う車や商店街を行き交う人たちが無数にうごめいている様が充分に見て取れる程度の高さからの展望は、大阪の大阪らしい活気のある雰囲気を私に強く感じさせるものだった。すり減った木材でできたビリケンさんの有難みは私にはよくわからなかったけれど、いい天気のもと私は、大阪らしい風景を存分に堪能することができたような気がした。

通天閣から大阪市街 通天閣から降りた私は、その足もとに広がる夕方の街、串カツ屋の繁盛する新世界という街を抜け、展望台からは賑わっているように見えていた天王寺公園へ向かった。しかし夕刻となって園内の大半の部分は閉鎖され、通り抜けこそできるものの、展望台の眺めから期待された、都会の中の緑の雰囲気に包まれながら彷徨い歩くという望みを存分に叶えるというわけにはいかないようだった。確かに陽もだいぶ傾いて、辺りには夕暮れの色がだいぶ濃く漂うようになっていたことに、私は否応なく気づかされたのである。私は茶臼山の麓から、何やら墓のたくさんある立派なお堂と仁王像がむき出しとなって建つ一心寺を通過だけして、近くの四天王寺へと向かった。

四天王寺五重塔 四天王寺の入口にはなぜか巨大で立派な鳥居が建ち、ここは仏教の寺のはずなのにと私は多少の戸惑いを感じながら境内へと歩みを進めた。広大な境内には回廊に囲まれて佇む赤い柱で組み立てられた五重塔を始めとして、いくつかの巨大なお堂が広い間隔を開けて建ち並ぶ。四天王寺学園の校門までもが、背後を四角い校舎に抑えられながらもそんなお堂達と同じような形態を保って境内に佇む。庭園とか、回廊の内部となる五重塔の足もとといった有料区画は既に閉鎖されてしまっていて、私には多少の心残りがあったけれど、周囲の街並みとは一線を画する、広々とした中にたくさんの古めかしいお堂が建ち並ぶ独特の雰囲気を楽しみながら歩くことのできる所で、たくさんの亀が甲羅干しをする池などもあったりする境内の心和まされる夕暮れの散歩を、私は存分に楽しむことができたのだった。

 四天王寺の広大な境内をあとにした私は住宅街を抜け、対岸にたくさんの寺院が建ち並ぶ領域を控えた大通りに出入口を開く四天王寺前夕陽ヶ丘という駅から、地下鉄谷町線に乗り込んで天王寺駅へと向かった。夕食をさっき訪れた通天閣の足もとに広がる新世界で摂ろうと私は考えたのである。天王寺ではすぐに御堂筋線に乗り換えてもよかったのだが、とりあえず地上に出てみれば広々とした天王寺公園や、その奥に聳え立つ通天閣の様子が歩道橋の上からよく見渡せて、私は人通りの多いせかせかした街の傍らに広がる安らぎの風景を見つけることができたような気がした。そしてJRの駅の南側に阪堺線の軌道に沿って延びる阿倍野の商店街も賑やかで歩くのが楽しくなって、私は気がつけば谷町線の隣の阿倍野駅にまで辿り着いてしまっていた。私は阿倍野駅から、さっきとは反対方向の谷町線に乗り込んで天王寺駅まで戻り、天井の高い独特の広々とした雰囲気を持つ御堂筋線の駅へ移動して、新世界の最寄り駅なる動物園前駅へと進んでいった。最後の「前」の「え」の音が高くなる独特のイントネーションも、よそ者の私にとってはまた新鮮な響きだった。

夜の通天閣 動物園前駅から地上に出た時点では周囲にはまだ明るさが残っていたが、夕食の場所を求めてジャンジャン通りや新世界の街を彷徨ううちに、辺りにはみるみるうちに夜の暗さが訪れてきた。しかし囲碁、将棋、麻雀クラブなどが狭いアーケードの商店街に混じって建ち並ぶという、東京ではあまり出会った覚えのない独特の雰囲気も含め、街は寧ろ活気を増していくように私には感じられた。夕食はお好み焼きにでもしようかと漠然と考えてはいたが、そこいらに串カツの店が建ち並ぶ街並みに心を動かされ、私はその中の一軒に席を取ることにした。焼き鳥屋のような佇まいの店であったが、いきなり千切りでさえないざっくり切ったままのキャベツの大盛りが出されて私は面食らってしまった。おかわり自由ということらしいが、キャベツをこんな丸かじりチックな食べ方をするということ自体が、私にとっては新鮮な体験だった。

 要は焼き鳥のようにいろいろな食材の串揚げを数本ずつ注文するというスタイルであったが、それはそれで経験のない私にとっては楽しい夕食となった。そして食べ終わって外に出れば辺りは完全に夜となっていて、イルミネーションに飾られた通天閣は昼間にも増して堂々とした存在感を示すように、道を跨いで聳え立っていたのだった。



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