釧網線沿線(2004.12.29-2005.1.1)


1.往路(12.29) / 2.釧路湿原、標茶(12.30) / 3.川湯温泉(12.31) / 4.清里町(1.1)

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 日本全国荒れ模様、東京でさえ雪の予報が出ているというのに、ここ道東はなんときれいに晴れあがっていた。天気予報によれば恐らく、ここは今日の日本で唯一の晴れのエリアとなっているらしい。私は今日明日どこをどう見て回ろうかと悩みながらも、また朝湯をいただくことから一日を始めることにした。

 今日も元気に顔を出した眩しい太陽が、辺りの雪景色を明るく照らし始めた8時ごろ、私は宿を出て、取りあえず白樺や蝦夷松に囲まれている温泉街の周辺を散策し始めた。古い地図や案内板には「川湯ヌプリスキー場」という文字があるのだが現実には全く案内されていないことが気にかかり、私は手持ちの古い地図を頼りに、それがあるらしい場所へと向かった。

スキー場跡 近くのエコミュージアムセンターも年末休館となってひと気の全くない、ただ「歩くスキーコース」という看板だけが立つ蝦夷松の森の中の道へ入り、私は新雪をザクザクと踏みしめて歩いていった。森は帽子山というらしいこんもりと丸い山の麓が不自然に切り開かれていて、どうやらここにかつてゲレンデがあったらしいことが私には感じられた。確かに、恐らくスキーセンターだったと思われる建物も存在はしていたが、人の気配は全くなく、ゲレンデだったと思しき斜面も手入れは全くされず、森に戻そうとしているのか幼木が植林されている所もあるがそれはまだましな方で、殆どの場所は雑草がぼうぼうに生えて雪の上に不規則に顔を出す。そしてそのために白い地肌は斑模様となって、こんもりとした帽子山の麓を固める。生えかけの美学というものがあるわけもなく、鳥の声が時々しか響かないほぼ無音の空気だけが周囲に広がる、寂しい世界が広がるのみなのだった。私は坂を少しだけ登って、現役であったならゲレンデのど真ん中であっただろう場所に暫し佇み、ここがスキー場であったならどんな様子だったろうと想像を巡らせた。風がないので辛さはないが、空気はやはり、冷たかった。

湯畑 朝早くてまだ店を閉めたままの土産物屋が立ち並ぶ温泉街の中には、幾筋もの小川が流れ、街のどこからでもシンボル的に眺められる帽子山の麓でそれぞれが湯煙を上げ、賽の河原を小さくしたような浅瀬が広場のように広がる湯畑もあったりして、温泉街の雰囲気を盛り上げていたが、そのような雰囲気の強く感じられる範囲は限られていて、街を抜ければ白樺やヤチダモ、蝦夷松の林ばかりが続くようになった。私は林の中の車道を、昨日積もったのであろう新雪を踏みしめながらゆっくりと歩いた。空気は冷たさを増し、温泉街の空気は暖かかったのだなということをしみじみと感じながら、新雪をざくざく踏みしめつつ、ただ真っ直ぐ歩いていった。

白鳥登場 道が大きくカーブを切っても辺りはまだ森の中であったが、最初に現れたホテルの敷地を覗くと屈斜路湖の湖面が垣間見られたため、私は付近の園地へと立ち寄ってみた。湖に出た私をいきなり出迎えたのは、数羽の白鳥たちだった。餌をくれるとでも思ったのか、私を怖がる様子もなく、私の近くでホバーリングをする。いきなりの歓迎に、周囲の景色を眺めるのも忘れ、私はついつい愛らしい彼らの姿に見とれてしまうのだった。御神渡りが見られる湖だというから氷結しているものとばかり思っていたのだがそのような気配は見当たらず、青い空のもと、深く青い湖は冷たい風に揺られてさざ波を立てる。波の音とともに聞こえるのは、打ち寄せられてきた小さな氷がカラカラと鳴る音だった。これからこのような氷が集まることで、湖全体が凍っていくのだろうか。そんな氷に揉まれながら泳いでいた白鳥も、私から餌が出てこないとわかると、遠くへと去ってしまった。名前はわからないが正面には美しい山がそびえ、丘陵に囲まれた湖は絶えず波を上げ続ける。手袋なしでは耐え難いほどの冷たい風が、晴天のもと絶えず吹きすさぶ。屈斜路湖のシンボルの中之島の姿は、ここからは見ることはできない。

仁伏温泉付近 私は引き続き、林の中の車道をゆっくりと進んだ。右手の林越しには青々とした湖面が垣間見られるようにはなったが、基本的には相変わらずの白樺や蝦夷松の林が続いていく。車も時々しか通りがからないようなひっそりとした大通りを暫く歩き続け、私は仁伏温泉という所にたどり着いた。ここでも古いホテルの横から屈斜路湖畔に出ることができる。陽が少し高くなったせいなのか、それとも温泉の近くだからなのか、さっき白鳥たちと戯れた15分ほど前に比べるとだいぶ冷たさも和らいだような気がする。ここまで来ると対岸の白い雪山の姿も、より一層堂々として見られる。相変わらず湖は波を上げ続けるが、さっきの所と違って氷片は存在しないから、水温も恐らく若干高いのだろう。そしてここでも、たくさんの白鳥たちが気持ちよさそうに泳ぐのだった。今度は群れをなし、しきりに鳴き声を上げている。白鳥たちも暖かい所をよく知っているということなのだろうか。

ポンポン山へ向かう 車道から仁伏温泉へ入る分岐点の反対側が、ポンポン山という所への入口であるということだった。分け入ってみれば、これまでの車道とは全く趣を異にする、雪に埋もれた獣道となった。白樺、ヤチダモや蝦夷松の森の根元は大量の雪に埋もれ、道もその大量の雪の一部となって奥へと伸びていく。枯れた木が倒れかかる所もいくつもあり、鹿の足跡も続くまさに獣道である。歩くスキーのコースにもなっているようで道に迷うことはないのだが、同行者も逆行者も全くおらず、ここで息絶えたらカラスの餌になってしまうのだろうなと思いながら、私はひたすらと進んでいった。基本的にはスキーの跡が雪を固めてくれているので大丈夫なのだが、うっかり爪先を雪に打ち立ててしまうと、膝までが雪の中に埋もれてしまう。大量の雪と格闘しながら森の中の獣道を行くうちに体も暖まってきて、手袋がなくても何とか耐えられるくらいになってきた。陽が高くなって気温が穏やかになってきたせいもあるのだろう。

ポンポン山 そんな山道をゆっくりと、入口から50分ほどで私はようやく目的のポンポン山へとたどり着くことができた。あんなに大量にあった雪がこの場所だけはごく薄くなり、赤茶色の地肌をさらけ出す斜面からは水蒸気が絶えず立ち昇っている。心なしか雪も湿っているようで、土を踏みしめる感覚も、道内ではあまり感じないしっとり加減だ。そして耳を澄ませば、鈴虫のような鳴き声が静かにあたりに流れていく……。私がこれまでに見てきたような、刺すような冷たさを顕わにする北海道の冬の風景を暫し忘れさせてくれるような、暖かい柔らかい風景が、そこには広がっていた。よく晴れたからこそこんな山の中へ分け入ることもできたというもので、吹雪を見られないのは物足りなくもあるが、今日ばかりは天気の巡り合わせにただ感激ひとしおだった。鼻で息を吸い込めば、ほんのりと硫黄の匂いが香る。大地の活動を感じる匂いだ。ぬかるむ寸前の足元には苔がむして、この季節にはあまり見られない、生き生きとした緑色を呈していた。

 もとの車道に戻るために再び森に戻れば、やはり空気も冷たくなってしまう。私は深い雪に何度も足を取られながらも、自分のつけた反対向きの足跡をなぞるように再び雪と格闘した。そして再び前方に屈斜路湖の湖面を見つけた時には、私はやはり感動ひとしおだった。東京は午後から積もる雪だと天気予報は言っていたが、そんなことが全く信じられない快晴の乾いた空気の中、私は再び林の中の道道を、歩道の新雪をざくざくと踏みしめながら進んでいった。滑らないように後傾姿勢で歩く癖がついてしまったようで若干往路よりもスローペースにはなったが、往路で感じたような冷たさを感じることのなくなった真昼の道を、私は延々と歩いた。川湯の温泉街に戻った時、街にはちょうど1時の鐘が鳴り響いた。やはり温泉街の空気は若干暖かく、しっとりしているような感じがした。

 川湯温泉の泉質は草津と同じだということで街並みもそれを意識して造られているのかもしれないが、街そのものも湯畑も、それに比べれはややミニサイズで、大衆食堂の似合う小ぢんまりした街並みも、また味わいのあるものだ。大晦日だけあって閉まっている店も多いけれど、人通りも皆無ではなく、私はなんだかほっとさせられた。混んでいるわけでもないこれくらいの賑わいが、私にはちょうどよいのかもしれない。

つつじヶ原へ向かう 大衆食堂での昼食の後、私はつつじヶ原遊歩道を通って硫黄山へ向かうことにした。こちらの道にも歩くスキーやカンジキで入った跡が認められるので、私も軽い気持ちで足を踏み入れた。さっきのポンポン山への道よりもメジャーであると見え、脚が膝まで埋もれるなどということもなく、白樺やヤチダモの葉のない木々の林の中を、私は暫く快適に歩くことができた。暫く歩いていくと、土壌が変わったことが原因で木々の様子が変わるという案内があり、確かに辺りには蝦夷松がたくさん生えるようになって、深緑色の鬱蒼とした雰囲気に包まれるようになった。そしてさらに歩いていけば、背の低いハイマツやイソツツジが蝦夷松の間に散りばめられ、白い雪の間に庭園のような雰囲気を作り出すようにもなっていった。

 やがて周囲の森は唐突に途切れ、私はか細く背の低い白樺の根元を、殆ど雪の中に埋もれてしまっているイソツツジが固める荒涼とした風景の中へと出た。硫黄山から来る硫気と酸性土壌のため、もはや大きい木々は成長できないのだという。正面にはもうもうと噴気を上げる硫黄山、そしてその右にカブト山、そして川湯の温泉街に接する帽子山が仲良く並んでいる。カブト山は硫黄山に面する半分ははげ山状態となるものの、直接硫黄山に触れないサイドは普通に樹木が生長するので、見事に半分ずつ全く違う色を呈しているのが趣深い。

硫黄山を望む しかし道の様相も、この辺りからがらっと変わることになった。第一それまでの道を踏み固めていたスキーの跡は、森林内を周回して帰るコースをたどったらしく、この荒涼とした雪原を踏み固めている跡は少なくなって、その上恐らくは完全な吹きさらしとなるためであろうが、まるでそれまで誰も歩いたことがないかのように粉雪は均されて、踏みしめるたびに私の足は膝まで埋もれてしまうようになってしまった。こうなると、目的の硫黄山はもう目前にあるというのになかなか思うように進めない、苦しい状態に陥ってしまうのである。明日の朝帰る前にちょっと寄っていこうか、なんていう案もあったのだけれどそれを採用しないで本当によかったなどと思いながら、私は暫く大量の雪と格闘することになった。

 それでもまだ、イソツツジは埋まるほど雪があったほうが寒気から守られてきれいな花が咲くのだという案内や、三つ子の山の姿がだんだん大きく、特に目指す硫黄山の姿が一歩一歩進むたびに大きくなっていく楽しみに慰められてはいたのだけれど、再びハイマツが周囲を覆うようになると、道はまさに地獄へ誘うかのような様相を呈してきた。もはや正規のルートがどこにあるのかなどわかったものではなく、取りあえず誰かが通ったらしい足跡を踏みしめながら、それでも全ての一歩一歩が膝まで沈むような道である。ハイマツの下をさらに這わなければならなかったり、あるいは上を跨がなければならなかったりするたび、もしかしたら本当の遊歩道は別の所にあるのではなかろうかなどと思わされ、このだだっ広い荒涼とした雪原の中で私はいったい何をやっているのだろうと、自分で選んだ道でありながら惨めささえ感じる羽目になってしまった。

 そんな地獄への道をようやく抜けることができたのは、スタートから所定の所要時間とされる1時間を大きくオーバーした1時間半後であった。雪原の中、周囲の木々はハイマツでさえ立ち枯れる異様な雰囲気となり、既に陽は三つ子の山の向こうに隠れ、辺りは薄暗くなり始めていた。気温も間違いなく下がっているのだろうが、激しい運動をしてしまったせいかさほど感じることはなく、それよりも寧ろ気づかぬうちに買ったばかりの手袋を片方だけ失くしてしまったことや、デジカメのスマートメディアの1枚を失くしていたことに気付いて、私は大きなショックを受けてしまったのだった。

硫黄山 硫黄山にはもう10年も前の学生時代にパノラマコースの路線観光バスに乗った際に10分ほどの滞在をしたことのある所だったが、今回もその時と変わらずものすごい勢いで噴気を上げ、周囲には硫黄の臭いが立ちこめる。メジャーな観光地だけあって観光バスの団体も立ち寄り、誰もいない風景というわけにはいかなかったけれど、他の人がしているのと同じように噴気孔のすぐ近くまで近づいて、硫黄で真っ黄色に染まった石の間から蒸気が盛んに噴き出している様子をじっくりと観察することも、以前と違って時間を全く気にすることなく楽しめたし、賽の河原のような周囲の石ころだらけの広場を縦横に動き回りながら様々な角度で勢い良く上がる噴気の様子を眺めたりして、大地の息遣いのようなものを私は今回じっくりと味わうことができたような気がした。

夜の湯畑 帰り道は無理をせず、私は車道を歩いていくことにした。荒涼としたつつじヶ原を横目に見ながら進むたび、硫黄山はみるみる小さくなり、そして道はあっという間に森の中へと戻り、さらに温泉街へ戻るまで、僅か30分しかかからずに済んでしまった。しかしその短い時間の間に周囲はあっという間に暗くなり、温泉街にはまた街の灯りが、そして湯畑にはきらびやかなまでのイルミネーションが点るのだった。大みそかだから人出自体は少ないのだろうけど、それでも相当賑やかであるかのような演出に、私はなんだかほっとさせられたのだった。

 宿に戻ってニュースを見れば、今日は全国的に大雪となり交通障害も発生したと報じている。今日は快晴だったというのにおかしな話である。東京でもけっこう積もったということらしいが、2 cmの積雪で首都高閉鎖なんて情けないなあなんて、なんだか他人事のように感じてしまったわけである。夕食はまだ年を越してないというのになぜかおせち料理だった。年越し蕎麦も付いていて、国民宿舎にしてはなかなか粋な夕食であった。


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