1.往路(12.29) / 2.釧路湿原、標茶(12.30) / 3.川湯温泉(12.31) / 4.清里町(1.1)
今の職場に勤めてから3回目の冬、あらゆる仕事がだんだんうまく進むようになり、一緒に仕事をする機会も多くなった同期の友人ともさらに充実した仕事、そして楽しい酒を楽しむことができるようになった2004年も残り僅かとなった冬休み。年内最後の仕事となる部活動が終了する日の夜から、私はまた雪に閉ざされているであろう北海道へ旅に出ることを計画していた。ところがその日は、東京にも雪が降り、予定されていた部活動も中止となることが決まってしまった。私は直ちに予定を変更し、購入済だった今夜の札幌からのまりも号の寝台券を高額の手数料が必要な状態になってしまっていたのを悔やみながらもキャンセルし、夕方の予定だった飛行機を今すぐ出発の便に変更して、大げさかもしれないと思いつつもスキーウェアを羽織って、慌しく家を飛び出したのだった。
山手線からモノレールという定番のルートで、私はとにかく真っ直ぐ羽田空港を目指した。小雪の舞う車窓は曇り、臨海地区の案外きれいに広がる風景も今日ばかりは殆ど見られない状態のまま、私は羽田空港へとたどり着いた。つい最近開業し私にとっては初めて利用することになった第2ターミナルビルではあったけれど、飛行機の出発があまりにも間際に迫っていて、私は新しいビルの雰囲気を殆ど味わうこともできず、ただ帰省客でごった返すターミナルを、慌しく搭乗口へと向かった。
機内も当然のようにほぼ満員で、数時間前に便の変更に成功したことがとても奇跡的なことであるように感じられる状態だった。さすがに厳冬装備では暑ささえ感じるほどだ。貨物の積み込みに時間がかかったとかで出発も大幅に遅れ、さらに滑走路も混みあい、所定の出発時刻の10分遅れでビルを離れた飛行機が離陸態勢に入ったのはそのさらに15分後、滑走路に大きな飛行機が数珠繋ぎとなり、前の飛行機が激しく水しぶきを上げながら離陸するのを見送って、ようやく離陸にこぎつけるような混雑ぶりであった。離陸したらしたで飛行機は間もなく雲の中に入り、いつもこのルートでは下界に大きく広がっていた千葉や茨城、我が実家付近の絵地図のような風景も今日は全く見ることができないという、北海道に着くまでもなく既に真っ白な世界となってしまった風景の中を進むこととなった。暫くすれば飛行機は雲の上に出て、眼下に真っ白いふわふわの絨毯のような雲を広げる青空の世界を飛ぶようになっていった。
音楽でも聴きながらうとうとしていれば、飛行機はあっという間に着陸態勢に入ることとなった。こちらでは雲は寧ろ薄いようで、切れ目からは海水面も姿を現すようになっていた。飛行機は程なく雲の下へ降り、苫小牧の市街、そしてその背後に広がる山並みが大きく広がるようになった。街なかはともかく、草原はしっかりと雪をまとい、そして山並みもやはり雪化粧を完成させている。雪の量は決して多くはないが、程よい白さを呈する北の大地に迎えられ、私は今年もこの白い大地にやって来ることができたことを喜んだ。空は快晴とはいかないが、泣いているようだった東京の空に比べれば、遥かに美しい。やがて飛行機は苫小牧の上空を通過し、すっかり葉を落とした樹林に囲まれるようにゴルフ場のたくさんのフェアウェーが小判を散りばめたような真っ白な姿を見せる中を進むようになると、地面との距離もみるみる近づいていき、そして樽前山に見守られる滑走路へと無事着陸した。滑走路の脇にも雪の絨毯が形成され、小さい窓には広大な銀世界が広がっているかのような風景が広がった。
着陸しても乗客はすぐには降りることはできず、飛行機はここでも構内を10分ほど彷徨っていた。この時期どこも混んでいるということはわかるが、このあと乗り継ぐ特急列車の時間もぎりぎりに迫り、その前に切符も買わなければならなかった私としては、何とももどかしい時間であった。ようやくターミナルビルに到着した私は、とにかくわき目も振らず、地下の空港駅へとまっしぐらに走っていった。手荷物を預けたりしていたら、予定が大きく狂ってしまうところだった。しかし恐らくこの時に、私はマフラーをなくしてしまったようだった。もちろん暫く外に出るわけではなかったから私は緊急事態だとは思わなかったのだけれど、後々私はやはり、辛い思いをすることになったわけである。
道東へ針路を取った私は快速列車に一駅だけ乗って南千歳駅へ向かい、ホームで久しぶりの乾いた雪を踏みしめる感覚を楽しんだ後、スーパーおおぞら号に乗り込んで釧路を目指した。こちらも車内は混雑し、自由席にも一つも空席はない状態で、せっかく買った弁当も食べることが難しい状態で、朝から何も口に入れていなかった私は暫くひもじい思いをすることになった。外にはすっかり雪で覆われた原生林、そして真っ白な絨毯となった牧場か畑かが続いていく。考えてみれば私はまだ、この季節のこの区間を昼間に乗車したことはなかったような気がする。座ってじっくりと眺めていたい景色が車窓には続いていたけれど、そこは我慢するしかない。
路面には積雪はないようだが、夕張に近づくにつれて深まってきた山並みの風景はあくまで白く、川を渡れば凍りかけた川面を真っ白な河原が守っている、絵のような白い風景にも出会うことができる。道東なんて欲張らずにこの辺りでも散策するのもまた楽しい旅になったかもしれないなと私は感じていた。デッキに立っていれば外への窓口は小さいものでしかないから、駅を通過したのかどうかはたとえ大きな駅でも判別がしにくい状況だった。しかし急に長いトンネルが多くなり、合間に見える外の風景が妙に山深くなっていることから、新夕張を越えて石勝線の新線区間へと入っていったのだなということは何とかうかがえた。オサワ信号所で列車は一休みしていくが、客扱いをするわけでもないし、車内の状況は当然変わらない。
車窓にはその後も暫くトンネルと山道ばかりが続くから、占冠程度の集落でもちょっとした都会のようになって、車窓に大きな変化を与えてくれる。もちろん以前その地に降りた時とは全く違う雪景色にはなっていたけれど、私にはその時の印象がはっきりと感じ取られ、束の間懐かしい気分に浸ることができた。列車はトマムでスキー客を降ろしていき、私もようやく座席をとって昼食にありつくことができ、雪の山道の白く美しい風景も、ようやく大画面で楽しむことができるようになった。雪原には風紋が刻まれ、積もる雪がさらさらとした粉末状であることを感じさせてくれる。そして新得に近づけば山並みの間に林が切り開かれて、白い雪原が広々と広がるようになってきた。葉を落とした白樺林も、明るい美しさを醸し出すようになった。
十勝に入れば空も快晴といってよいほどになり、白樺や柏の林、そして一筋の落葉松に仕切られた雪原の風景も、ますます明るく輝くようになっていく。雪原の風景は、私を安らいだ居眠りの時へと誘っていった。気がつくたび右側の車窓には、絶えることなく広々とした雪原が広がっていった。うとうととする間に列車は帯広、池田と過ぎていき、車内の混雑もだいぶ落ち着いて、煙草も安心して吸えるようにもなった。
列車が東進を続けるにつれ、風景は寧ろ山がちなものへと変わっていく。雪の量も太平洋岸気候となったと見えやや減っていて、急な斜面では寧ろ雪はなくて、こげ茶色の地肌が顕になり、枯れた笹の葉が一面に広がるようなこともあった。列車は間もなく海沿いを進むようになった。空はまた曇ってきて海の色も明るくはなく、そして左手に控える笹の丘陵に雪は寧ろ殆どなく、ほんのり雪化粧をするのみの大地ばかりが広がるようになって、さっきまでのような大胆な白い絨毯にはなかなかお目にかかることができなくなってしまった。列車は暫く、海沿いと内陸を行ったり来たりしながら進む。内陸に入ればまだ雪景色は見られるが、海沿いに出れば枯れた笹の丘陵しか見られなくなって、車窓には寧ろ荒涼とした寂しい風景が続いていく。
そして時刻が午後3時を回れば早くも夕暮れの様相を呈するというのも、さすがは冬の北海道といった趣だ。空もまた曇りがちとなり、雪の量も大して増えないまま少しだけ雪化粧した荒地、そして大楽毛辺りから広がるようになった住宅地や工場地帯の中を、列車は釧路へ向かってひた走っていったのだった。
今日私がこなした乗り継ぎの中で唯一、釧路駅でのスーパーおおぞら号から釧網本線への乗り継ぎは、食料を仕入れるなど余計なことをする必要の一切ないゆとりあるものとなった。時間的にはほんの7分なのだけれど、私にとっては今日一番ゆったりとしたひと時であったよう感じられた。北海道の冬の乾いた冷たさを存分に味わうにも、充分な時間だった。そしてまだ4時にもならないのに既にだいぶ薄暗くなった釧路駅を出発し、私は釧網本線の乗客となったのである。大河釧路川も凍ってはおらず、荒地に残る雪もごく僅か。刻一刻と暗くなる車窓に、私は今日はどれくらい、湿原の風景を楽しむことができるのか、それだけが気がかりな旅となった。
車窓にはピンク色の夕焼け空が大きく広がって、阿寒の山が美しいシルエットをのぞかせる。程なく現れた疎らな林越しに広がる湿原は列車の西側にあたるものだから、車窓には真っ赤な夕陽がとても大きく広がることになったのである。雲の模様を浮き上がらせるように複雑な形をした夕焼け空は感動的なまでに美しい夕方の風景を作り出し、鮮やかなオレンジ色の空のもとに建つ岩保木水門もまた、寂しいながらも堂々とした姿を現す。そして列車はいよいよ、足元に蛇行する釧路川を従える低木の林の中へと進んでいく。
列車は幾度となく警笛を鳴らし、減速する。以前早春にここを通った時と同じように、鹿の家族連れがひっきりなしに線路に現れ、我が物顔でぴょんぴょんと跳ねる。まるでどこかの生徒のように、警笛を鳴らしてものたのたとするのみで、線路から出りゃあいいということに気づくことなく線路に沿って逃げていく奴もいるから、なおのこと列車も遅れてしまう。次第に周囲は暗さを増していき、列車の全面に所謂かぶりつきをしていると、線路上には浮かび上がるような一対の光の玉が……すなわち鹿の目玉がこちらを凝視し、列車がだいぶ近づかない限り動き出さない。明るいうちに見る分には可愛らしいけれど、運転手さんにとっては、これも戦いなのかもしれない。
塘路を過ぎると林というよりも草原が、まだほのかに明るさの残る車窓に広がり、そして定刻よりも5分ほど遅れて、私は今朝の突然の予約にも快く応じていただいた公共の宿のある茅沼駅にたどり着くことができた。丹頂が来ることを売りとする駅裏には今日も3羽ほどが、暗くなりつつある草原をのんびりと歩いていた。茅沼駅で下車したのは私だけだったけれど、宿の人も車で迎えに来てくれていた。以前の夏場の旅で日帰り入浴のために訪れたことのある所で、歩いてでも行けたのだけれど、既に陽の暮れてしまった冬の道にあっては、ごく僅かな時間であってもありがたい送迎であった。外は既に夜になってしまってはいたが時間的にはまだまだ充分早い時間で、私は再会を果たした天然温泉を宿でのんびりと楽しむことができた。当初は今晩の夜行列車に乗る予定であったのに、十勝の雪原の風景や温泉も楽しむことができて、私は東京の雪に感謝しなければならないような気もしたのだった。