1.往路、新宮、那智(3.29) / 2.大島、潮岬(3.30) / 3.紀伊勝浦、太地(3.31)
串本で迎えた朝は、晴れてはいたがすごい風が吹き荒れていた。私は今日はレンタカーを借りて潮岬の周辺を探ってみようと考えていた。レンタカー店で借りたパッソは私にとってはシフトレバーやハンドブレーキが慣れない所についていて、最初に道に出るまでは戸惑いの連続だったが、私は慣らし運転とばかりに、まずは橋杭岩の更に先にある紀伊姫という無人駅まで、国道に沿って車を運転してみることにした。車は便利な乗り物ではあるが、歩きや自転車、バイクでの旅とも違う外の世界と隔絶されたような感じがして、なかなか思うように停まったり路地に入ったりすることもできないのが難点であるような気もする。
紀伊姫までの国道は強風に吹かれて少しさざ波の立つ青い海に沿って延びていたが、その海をじっくり眺めたくても、交通量もそこそこあるので勝手に減速というわけにもいかないのだ。私は予想通り小さい駅で乗車駅証明書発行機も壊れていた紀伊姫駅の様子を確かめるだけ確かめたのち、大きなホームセンターを転回場として利用させてもらって、橋杭岩まで引き返し、車を停めた。
橋杭岩というのは要はマグマの切れ目に上がってきた硬い石英斑岩が浸食されずに残ったものだと案内看板が教えてくれたのだが、やはり大きな直立する岩が、人工物であると言われても嘘であると気づかないかもしれないくらいに一列に整然と並んで、対岸の巨大な大島へ向かっていく様は、天然の造形としてはできすぎのような気がしてしまう。弘法大師が天邪鬼を使って建設させようとしたが途中でやめてしまったという伝説も残されているという。辺りには停まっている車が揺さぶられるほどの強風が吹き、雄大な風景をじっと眺める余裕もあまりなくなって、私は再び車を走らせることにした。
私は車通りの多い市街を抜け、陸繋島のような潮岬へ分け入って、その先端へ向かう前に、くしもと大橋へと進んだ。大橋の前半は護岸に守られた低い道となり、そして中間に浮かぶ島に差し掛かってループ線に入り、ぐんぐんと高度を上げていく。橋の途中では駐停車も禁止だし、護岸も高いし、ループが楽しいという以外に楽しみがあるわけでもなかったが、橋を渡りきって大島へ上陸し、すぐにあるポケットパークに車を停めれば、橋の周囲の海の様子が広く見渡せた。
さっき目の前からはそれなりに巨大なものであるように見えた橋杭岩も、対岸から渡ろうとしてくるようになるこちら側から見れば、橋としてはごく短い未完成なものでしかないようだった。しかし正面に控える串本の市街の向こうにはまた海がさざ波を打っていて、島のように浮かぶ潮岬との間が、頼りなくも見える本当に細い砂州による繋がりでしかないこともよく把握できる。そんな全ての風景は強風に打たれ、風の音とも波の音ともつかない重い音が、周囲に響き渡る。
私は大島の中に通された幹線道路を少しだけ走り、金山展望台という所に登ってみた。外には相変わらずの強風が吹きすさび、さほど太くない幹の木々は風に吹かれて不気味なうめき声をあげながら、必死に飛ばされまいと耐えている。木々が耐えてくれているおかげで、私のような小さな存在も、吹き飛ばされずに歩けているようなものだった。木々が切れた合間からは、特に展望台のような所でなくても周囲の海が大きく見渡せる。眼下には、恐らく橋が架かる前は対岸から渡る船が発着していたと思われる港とその周りの市街地が広がっている。上から見ると、港の周りに小さな家並みが集中し、結構な規模の市街であるかのようにも見えてくる。正面には険しく立つ島のような潮岬と、本土の丘陵を結ぶような位置に成り立つ串本市街の特徴的な地形、その砂州の向こう側にまで領地を確保する海の姿も、高度が上がったことでよりはっきりとした特徴を掴むことができる。そして何より、木々の切れ間を狙うように容赦なく襲ってくる強い風と、それによって轟くうなりもまた、少し不気味な印象深い情景を作り出していた。
本来の展望台まで登っていけば、正面には海の上で対岸からこちらへ向かって整然と並ぶ橋杭岩の様子もよく見えてくる。強風には悩まされたけれど、串本や潮岬の独特な地形を、私は充分に掴み取ることができたような気がした。強い風に吹かれながら車まで戻っていくと、その途端に辺りは激しいにわか雨に襲われた。私は急いで車の中に隠れるように乗り込み、車の旅にして本当に良かったとしみじみ感じていた。私は展望台から眺めた、恐らく橋が架かる前は通過することはあり得なかったであろう大島港の集落に足跡をつけていくことを試みた。集落の中の道はやたらと細い路地ばかりで、小さな家のびっしりと集中する、車では案外動きにくい街だった。集落外の高台でないと車を停めることが難しい感じで、私は結局、丘陵を背景にして佇む桜の美しい寺院など、数枚の写真を思い出に残すことしかできなかった。
私は島内のメインルートに戻り、大島の東端を目指した。起伏のある島内の道は大抵は深緑や若草色の森の中に通されていたが、山桜も7分から満開に咲き誇り、鬱蒼としがちな山道を明るい雰囲気に仕立て上げている。島の東端の樫野崎には大きな駐車場があり、ここから岬の先端へは歩いて向かうこととなる。吹きさらしである分、さっきの金山に比べれば風は多少強まっていて、不意打ちのようにパラパラと雨粒も紛れ込んでくる。明るく整備された遊歩道沿いには、金柑の無人販売所がいくつも店を並べる。無農薬を主張する小さな橙色の粒の詰まったネットが何だか眩しく見えて、私も100円を投じて一袋買い求めた。この地は明治期、沖合でトルコ使節の乗った船が遭難したという出来事からトルコと縁のある所らしく、遊歩道沿いにはトルコの民芸品を売る店もいくつか並ぶ。
岬の先端には、やはり強風が吹きすさんでいた。白亜の灯台に登れば、左手の外海に当たる方にはごつごつとした巨大な岩石が敷き詰められていて、外海の波の荒さを感じさせてくれる。だからといって内海の側は穏やかであるかというとそんなことは決してなくて、今日のあまりに強い風のもとにあっては、どちらの海も荒い波を立てる。起伏に富む陸地を覆う木々も、灯台の足もとの草も、強い風に必死で耐えているかのようだった。
私は車に戻り、走り出す前にさっき買い求めた金柑をおやつにしてみた。一口サイズの橙色の球を口に放り込んで齧った瞬間、口の中には蜜柑の甘酸っぱさと、皮に集中していた甘さが広がり、なかなか美味しいものだった。私は再び車を走らせて、樫野の集落の細い路地へ入り込むように少し移動し、海金剛という海岸を訪れた。風はまだ強かったがここにきて空は見事に晴れあがり、少しばかりの林を抜けて出会った海は、本来のみずみずしい青色の表情を取り戻していた。
前方に建つさっきの白い灯台までの間を見ても、その反対側を見ても、陸地は激しい浸食を受けて垂直に近いほど岩盤が露出し、ごつごつとした険しい風景を作り出す。中には海蝕洞が穿たれているような所もあるし、海の中にも直線的、平面的にスパッと切断されたかのような巨大な岩石がそこここにたくさん散りばめられて、真っ青な海と深緑の丘陵との境に、灰色や白の険しい岩礁という、新たな要素の加わった風景を作り上げている。ここにもいくつかの展望台があって、場所を変えるたびに岩の配置が少しずつ変わって、また新たな険しい風景に出会うことができる。海は穏やかそうには見えるけれど、強い風にあおられて決して静止してはいないし、遊歩道を包む森林もざわめきを止めないけれど、明るい太陽に照らされて、美しくも険しい海岸線がしっかりと守りを固めているかのようだった。
大島の林の中の道を引き返し、すっかり明るくなった海のもと、くしもと大橋を渡って串本の街側へと戻って、私はそのまま潮岬へと歩みを進めた。こちらの方も島と見てやれば恐らく大島とは兄弟のようなものなのだろう。大島の中とよく似た雰囲気で、潮岬へ向かう道もやはりアップダウンのきつい山道であったが、時折現れる海岸線の荒々しくも美しい風景を楽しみに、私は鬱蒼とした山道をこなしていった。
程なく海側には広大な芝生、そして陸側には一昨日テレビのニュースになっていた、竜巻でガラスの割れてしまったタワーが現れ、私は潮岬の園地にたどり着いたことを知った。駐車場に車を停め、まずはレストハウスの食堂で腹ごしらえをし、私は園内の散策に出た。さすがに吹きっさらしなので、天気は良いけれど髪の毛が逆立つほどの強い風を浴びながらの、ちょっと大変な散策となった。岬の周囲は海軍施設の跡であるらしい望楼の芝で広々としているので、岬にありがちな閉塞感はここで感じられることはなく、天気のせいもあって極めて明るい雰囲気の感じられる岬だ。眼下ではやはりごつごつした大小様々な岩石、岩盤の敷き詰められる荒々しい海岸線へ、海も荒れ狂うように何度も何度も白い飛沫を打ちたてる。そんな荒々しさも感じられはするが基本的に明るく真っ青ですがすがしい海岸で、南国の明るい雰囲気を感じさせてくれる。
高台から荒々しい海岸線を眺めつつ、私は園内を少し散策した。団体バス客の訪れないくらいにタワーから離れた所まで来ると、旭之森というちょっとした森ができていた。早くも盛りを過ぎた桜が生えている以外はよくある自然の森であったが、この道の途中にも忘れられたようにひっそりと、本州最南端を主張する展望台が佇んでいた。潮岬の白亜の灯台はここよりも先でしか見ることはできないし、タワーの近くにあった、バス客で混雑している展望台よりも心なしか海へ飛び出した所にあるような感じで、眼下の青い海にもまた違った角度から白波が寄せられてくる。私は本当の本物の最南端を密かに見つけることのできた喜びに、束の間浸っていたのだった。
灯台までは歩いても行けたのだろうが、車を置いているタワーから離れすぎるような気がして、私は車も灯台まで持っていくことにした。しかし灯台の駐車場は、ガラガラでそんな感じが全くしなかったのに実は有料だったりした。灯台の周辺の園地からでも既に、黒い岩礁に白波を打ちつけながら逆巻く青い海の姿が見られていたが、灯台の上に登ればそこはまさに強風の吹きすさぶ世界だった。テラスに出てみても、タワーの見える方角や内陸の方角はまだ歩くこともできたけれど、外海に面する半分へは、柵があるわけでもないのにどうしても、体を前に進めることができないほどの強風が吹き荒れていたのである。大海原であるとか、岬の海の美しさであるとかを感じる余裕も私にはなく、ただ全てが吹き飛ばされてしまいそうな風のすごさだけを感じて、私は今回は立ち去ることにせざるを得なかった。
灯台に隣接する神社の境内にも小さな展望台があり、ここからは串本、潮岬の西側の海岸線までを見渡すことができた。その海もやはり青く爽やかな表情を持ちながら、荒々しく波を逆立たせている。沖合には大きな船が何艘も、波に上下に揺さぶられるように往来し、長閑な海岸線の風景を演出するが、実際にはきっと大変な航海なのだろう。
私は車に戻り、串本海中公園もあるその西側の海を目指すことにした。潮岬の西岸の道では、高台から時折本土の海岸線も見渡せる。車を停めたくても後続車が途絶えないから思うようにはいかなかったのだが、串本の市街に接する砂州にだいぶ近づいた所にあった駐車場で車を停めれば、串本の市街を通り越した向こう側に岩の整然と並ぶ橋杭岩が見渡せ、そして目前には串本海中公園の方角に海原も広がった。串本の砂州で隔てられた二つの海の色合いは異なり、大島の浮かぶ東側は深い青さだが、目の前の西側は寧ろ輝くエメラルドグリーンを呈しているのである。どうやらここにはサンゴ礁ができているらしい。
私は串本の市街を掠めて本土へ戻り、エメラルド色に輝く海に気を取られ過ぎないように気をつけながら、海に沿ったカーブの多い道を暫く進んだ。やがて私は海中公園へとたどり着いたのだが、一番見てみたかった海底展望塔は荒天のため閉鎖中だといい、私はあくまでこの辺りの海岸線の一つとして、対岸に大きく潮岬を横たえたごつごつとした磯浜に、陽がやや低くなるにつれて青味を強くした海がここでも白い波を盛んに上げる様子や、屋外で飼育されている水族館のウミガメの仕草を眺めていくことしかできなかったのだった。
これで私が見ておきたかったものは一通り見ることができて、あとは夕陽を探しに出かける時間まで少々の間ができた。風吹山という見どころが距離的には近くにあるようだったので、私は紀伊有田駅の周辺にある集落に分け入り、駅の隣にあった有田中学校の見事な桜を見つけて喜んだりもしたのだが、集落の道はやはり他所者には狭くて、肝心な山へ向かう道もどこから入ればいいのか結局わからないままになってしまった。
結局私にとっては、素直に街に引き返し温泉で暫くまったりと過ごすのが一番良いことのような気がした。紀伊有田の集落をあとにして私は海沿いの道へ戻り、青々とした海を立ち止まってじっくり眺めたくなるのをこらえながら来た道を引き返し、潮岬からの道と合流して串本の市街へ戻っていった。高台のホテルへ向かう道へ車を進めれば、サンゴの湯という町営の施設がすぐに現れた。宿にも硫黄分の多い温泉があったが、こちらは単純泉らしい。管理の行き届いたきれいな施設で、のんびりと余った時間をつぶすには上出来な所だった。
だいぶ陽も傾いてきた頃合いを見計らい、私は最後に再び潮岬へ向かって車を走らせた。時間にも余裕があり、私は潮岬の半島内を、午前中は不安定な空模様のもとにあった東側から、時折現れるきれいな海岸の風景をたどりながら進んでいった。園地のレストハウスも閉まり、大型バスもいなくなってすっかり寂しくなった望楼の芝や灯台を通り過ぎて、さっきは通過していた、左手に灯台を見る展望台で私は暫し車を停めた。
走っている間は眩しかった太陽だったが、今の西の空には厚い雲が立ちこめて、太陽のある辺りにはオレンジ色に染まった部分が見えるものの、空全体が鮮やかなというわけにはどうしてもいかないようだった。しかし、厚くて黒い雲の切れ間から海へシャワーのように注ぎ出すオレンジの光線の中に行き交う大型船の姿はシルエットとなって、それなりに幻想的な雰囲気の夕暮れの風景となっていた。展望台からは下の岩場へ下る階段道もあって、夕陽に照らされた海が、風は落ち着いたものの相変わらず海岸に白い波を相次いで打ち寄せることを止めない風景を眺め、寒くなったら車に戻ることを繰り返しながら、私は刻一刻色合いの変わっていく西の空を暫く眺めていた。そして一瞬、日の入りの瞬間だけは雲の外に太陽が姿を表し、赤色の光球が強い輝きを見せた後は、西の空は灰色の雲に固められていき、そして次第に周囲は宵の表情へと変わっていったのだった。
結局私は予定より少し早めにレンタカーを返車することにした。予め潮岬のレストハウスで夕食のためにさんま寿司やめはり寿司を買い込んで、昨日のような失敗はしまいと心がけたのだが、追加のつまみを買うために串本市街のスーパーに立ち寄ってみればここでもそのようなものが、定価自体も安い上に時間的に値引きシールが貼られた状態で並べられていたのである。今回の旅ではどうも、食事に関しては何をやっても裏目に出てしまった。