南紀(2006.3.29-31)


1.往路、新宮、那智(3.29) / 2.大島、潮岬(3.30) / 3.紀伊勝浦、太地(3.31)

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 慌しい年度末の仕事をこなし、春の暖かさの中で行われた部活の大会も終了し、私は束の間のオフを利用して、本州最南端を目指す旅に出た。夜のうちに寒冷前線が通過したようで、暖かいであろう旅先に合わせた春のフォーマットでは薄ら寒ささえ感じられる、まだ漸く空の白み始めた頃合いの都内をあとにして、私は駅へ向かった。東京の桜も早くも咲き誇り、公園の街灯に照らされて幻想的な夜桜となる。旅に出る前からいきなりきれいな花の風景を目の当たりにし、私は幸先の良さそうなことを感じながら旅に出ることができた。

 明るくなって漸く朝らしい雰囲気を現すようになった東京駅で、私は朝食を仕入れ、500系のぞみの自由席に席を取った。最初はガラガラであったけれど、発車の5分前を過ぎたあたりから急に客が入りだして空席を見つけるのが難しいくらいになって、博多を目指すのぞみ号は定刻に東京駅をあとにした。建物ばかりが並ぶ都会の風景の中にも寺社や学校、団地の中には7分咲きほどの桜が所々に集中して花開き、薄ピンク色の鮮やかな春の彩りを与えている。

 神奈川県に入り、建物の背が低くなって大地の起伏もはっきりするようになると、まだ黒ずんでいる丘陵に接するように、すがすがしい快晴の青空が広がった。遠くにはまだ少しの雪を被っている丹沢の山並みも時々頭をのぞかせる。そして緑色を呈し始めた田畑の向こうには、褐色の丘陵に挟まれるように、真っ白な富士山が堂々とそびえ立つようになった。小田原を出ると辺りは急激に山がちになって、トンネルから出ても富士山は見られにくくなったけれど、深緑の混じる褐色の山間の風景の中には蜜柑のオレンジ色の水玉模様が散りばめられ、そしてもちろん桜や梅の鮮やかさも織り交ぜられ、春の明るい風景へと脱皮しようとしているかのような風景が展開していく。

新幹線から富士山 箱根の山をトンネルで越えると、車窓には上半分を真っ白にした富士山がよく見られるようになってくる。特に富士市では広々とした裾野を含め、快晴の空のもと、真っ白な富士の姿が背の低いたくさんの製紙工場に守られ、煙突の蒸気に祝福されるようにして堂々とそびえ立つ。車内のビジネスマンたちの殆どは眠りに就いてしまっているようだけれど、こんな快晴のもとの堂々とした富士の姿はそうそう見られるものでもないような気がして、私はどうしても眠る気にはなれなかった。目的地に着く前からまたも素晴らしいものを見ることができて、これから旅の本番で出会うものが見劣りしないかどうか、などと私は無駄な心配をした。富士山が去った後も山間から街並み、浜名湖と移ろう車窓を眺めながら、私は俊足ののぞみに身を任せた。車内は混んでいるはずなのになぜか、私はきれいな風景を独占しているかのような気分になることができた。

 私は名古屋駅で乗り換えるためにのぞみ号から下車した。車内の暖房は暑いほどだったが、外は晴れているとはいえまだ寒い。次に乗るつもりにしていた特急列車の発車までは少し時間があって、私はこの前の冬にここを訪れた時には出なかった、新幹線側の改札を出てみた。表口よりもビジネスホテルの類が集中してどことなく実用本位な匂いを感じる街並みから、西笹島町という、所々マンションや病院などが混じるひっそりとした住宅街へ、私は軽い散歩を楽しんだ。あおなみ線のささじまライブ駅が見つかるかどうかを気にしながら歩いてはいたが、そこまでの時間はどうやらなさそうだったので、私は住宅街をぐるっと一周するように歩いて駅に戻り、名古屋駅にほど近い領域に存在する静かな街の雰囲気を楽しむに留めた。

 そして私は特急南紀号に乗り込み、本州の南端を目指したのである。いろいろな路線の交錯する名古屋駅付近を進めば、さっき歩いた西笹島町のマンションや予備校などを丁度反対側から眺めるような車窓となり、あおなみ線のささじまライブ駅や近鉄線の米野駅なんかもすぐ近くにあったりして、ちゃんと地図を持っていればいろいろな駅を訪れることもできたのかも知れないと感じさせられた。列車は他の線路と立て続けに別れていき、ついには関西本線の単独行となって、高架から小さな建物の密集する街並みを眺めた後で地平に下ると、早くも車窓には空き地のような畑も目立つようになってくる。公園や庭先に咲く花に彩られながら、列車は暫く住宅街を進んでいく。

 木曽川、揖斐川、長良川のゆったりとした流れを立て続けに越えて、特急列車は桑名から三重県へと歩みを進めていく。家並みの風景の合間には時々田畑が広がる姿も現れるようになっていく。県境とともに空も急に黒くなりだして、大きな車窓にぽつぽつと水滴もついたりする。これから行こうとしている潮岬で竜巻があったというニュースを私は切符を手配した後で聞いていたのだが、その気相の不安定さがまだ残っているのかもしれないと、私は少し心配になった。

 四日市の辺りでは住宅に代わり、車窓には厳つい工業地帯が広がる。この辺りではまだ桜は開いていないとみえ、赤みを帯びてたっぷりと膨らんだ蕾が枝先にたくさんついて川端に整然と植えられている。もう少しでここにも華やかな車窓がやってくるのだろう。そして伊勢鉄道線へと分岐すれば、車窓にはいっぱいに畑が広がるようになった。まだ土色のものが殆どだけれど、何かが植えられて緑色の絨毯になっている領域もあるし、水が一部に導かれて代かきぐらいは終わったような田圃もあったりして、まさに季節の模様替えの最中なのだということが感じられる風景だ。時々は住宅街や鈴鹿サーキットの遊園施設の遠景が丘陵に混ざって現れたが、水の引かれつつある田園の風景が基本であった伊勢鉄道の区間を走破すると、辺りは再び大規模な街並みに飲み込まれ、列車は津へと進んでいく。

 津の住宅街は暫く続いていくが、それを過ぎてしまえば車窓に映るものは長閑な田園風景がメインとなっていく。線路際は長閑ではあっても、少しだけ離れた道路沿いに郊外型大型店の四角い建造物が立ち並ぶ様子は、奇妙な感じを車窓に与える。空模様もやや持ち直して、強い陽射しが大きな特急列車の窓を眩しいばかりに照らすようになった。

 松阪を過ぎると車窓は、いよいよ本格的な山間の田園風景へと変わっていく。特急の停まる多気でさえ、辺りの風景は田圃に囲まれる長閑なものでしかないような状態になっていく。瓦屋根の小さな家並みには時折古めかしい重厚な木造のものが現れるようにもなる。時折は並走する道沿いに人工建造物、ガソリンスタンドやコンビニなども現れるが、田圃すら広々とは広がれなくなった山間の深い褐色の道を、列車は進んでいく。相変わらず不安定な空のもとにあっては、陰鬱な雰囲気さえ感じられてしまう車窓が栃原、川添と続く中、谷間には寧ろきれいに丸く刈り込まれた茶畑が広がり、古めかしい木造の家並みも現れるけれど、その隙間の僅かな空地にも茶畑が敷き詰められる。特急の停まる三瀬谷にも、名前の通りの谷間の風景が広がっている。

 車窓の険しさを保ったまま、列車は山道をひたすら進む。どうやら線路に並行して川も流れているらしく、時々山肌の緑を深く映しこんだ水面が眼下に現れる。水流は穏やかではあるが河岸は激しく削られ、白く大きな岩石のごつごつとする渓流の様相だ。臨時停車の梅ヶ谷もそんな山間の駅だった。実際に乗降した人はいなかったようだが、駅に隣接して桜の名所と思われる、紅色の蕾をたくさんつけた木々が植えられている園地があるようだった。もう少しすればきっとたくさんの乗降客が現れることになるのだろう。

 次の紀伊長島まではほんの一駅だけれど、更に険しい山道のトンネルを越えていく、かなり大変な道のりとなった。そしてトンネルを越えると、遠方には市街に隣接して、丘陵に囲まれるように青い海の姿が現れた。広々という感じではないけれど、深い褐色の風景ばかりが続いてきただけに、この旅で初めての海との出会いは、とても爽快なものであるように私には感じられた。

 紀伊長島を過ぎても風景の基本は山道なのだけれど、入り組む海が線路の近くにまでくれば、古めかしい木造瓦屋根の敷き詰められた集落の向こうに、丘陵やたくさんの島をそのまま浮かべた海の姿が、山道の合間に見られるようになった。そして集落を囲むように蜜柑畑の姿も所々に見られるようになってきた。恐らくリアス式のような複雑な海岸線となっているはずで、ずっと海岸線に沿っていくことができれば最高だけれどそれは無理な話で、一瞬海の姿を垣間見れば再び列車はすぐに険しい山道へ戻ることを繰り返していく。尾鷲ではさすがにひときわ大きい規模の市街が山間に現れる。海の姿こそかなり遠くにしか見えないけれど、広がる街並みの様子、建物の感じはどことなく少し前の時代の味を感じさせてくれる。桜の花も再びぽつりぽつりと開きつつあるようだ。いつか別の機会に時間を取ってゆっくり、じっくりと歩いてみたい街だ。

リアス式海岸 そしてそんな市街を抜けると、僅かの間ではあるが列車は入り江に並行して進むようになる。すぐにトンネルへ入ってしまうけれど、その合間に見られる海の姿は、対岸を灰色の丘陵に守られながらいくつか島を浮かべ、大きくゆったりと横たわる。程なく対岸の陸地も切れてしまい、トンネルを抜けるたびごと、列車は入り組んだ海岸線に接する明るい大海原と出会うことができるようになっていった。

新鹿 列車は長いトンネルと、入り組んだ海岸線の集落の風景を、長い周期で交互に車窓に映しながら進む。ほんの僅かな海との一つ一つの出会いを楽しみながら、列車は歩みを進めていく。海も険しい海岸線の穏やかなという言葉だけで形容されるわけではなく、新鹿の砂浜のように独特の清楚な美しさを誇るものも混ざってくるから、なおのこと車窓の雰囲気は楽しいものになっていく。そして歩みを進めるほどに、桜の花もより豪華に咲き誇るようになってきた。まさに桜前線を横切り、その流れに逆らうかのような旅路である。

 熊野市駅の周囲にも大きな市街が広がり、そしてここからはトンネルもぐっと少なくなって、列車は明るい住宅地や田畑の中を進むようになった。海の姿は遠ざかってしまうけれど、丘陵に囲まれる起伏に富んだ土地には蜜柑畑が寧ろ広々として広がる。天気も安定を取り戻して外はあくまで明るく、渡る小川も深い緑色に輝く。そして新宮を目前にして、列車は漸く海沿いの高台へとやってきた。いつでも広々というわけにはいかないけれど、海岸に沿って伸びる森林の向こうに、穏やかに青白く輝く海が横たわる風景がのぞかれるようになった。三重県最後の鵜殿駅の周囲には、大きな港があるせいか、意外に大きな市街が広がる。そして列車はまた山間に少しだけ分け入って、緑色に輝く大河の熊野川を渡り、新宮の市街へと進んでいったのだった。

海のような熊野川 私は新宮駅に降り立ち、次の普通列車までの間の1時間足らずの待ち時間をこの街の、とりあえず歩ける範囲で過ごすことにした。駅自体も大きいし、乗降客だって少なくないけれど、どことなく静かでうら寂しい雰囲気さえ感じられる所だ。駅そのものは大きくてきれいなのだけれど、それを取り巻く市街の規模が、決して寂れているわけではないのだろうが、なんだかコンパクトにまとまり過ぎているかのような印象なのだ。川沿いに建つらしい城跡くらいは行ってみようと思って、私は市街地を川の方へ向かって歩いたのだが、いつの間にか天理教の教会へと紛れ込んでしまっていた。それでもそこにあったささやかな展望台からは、大河熊野川の流れをそれなりに楽しむことができた。川というものはこんなに明るい緑をしているものだっただろうか。川というよりもまるで温暖な海に近いような色を呈する大河は、明るい風景のもとあくまでもゆったりと流れゆくのみだった。

丹鶴城公園入口 本来訪れるつもりだった丹鶴城公園はすぐ隣であったが、時間もなさそうだったし石段もきつそうだったし、私は今回は入り口に咲き誇る桜だけを愛でて帰ることにした。余裕のある日程だったなら城内の桜でも1日じっくりと楽しんでいきたかったところである。新宮の街なかには空き店舗も多いけれど、商店街は日射しのせいか、なぜか明るく見えてくる。そんな明るい雰囲気を楽しみながら私は駅へ戻り、昼食は結局大昔、何度か紀勢夜行から早朝降り立った時にもお世話になった覚えのある駅そば屋で済ますことにした。

 私は串本行きの普通列車に乗り込み旅を続けた。新宮の市街を抜けると、三重県側とは全く違う、まさに海の目の前を進む車窓が展開するようになった。暫く丸い石のごろごろする海岸が続いたが、それでも基本はやはりトンネルと交互に現れる、磯浜のごつごつとした海岸線だ。三輪崎を過ぎると列車はまた、海岸から少し離れた住宅と田園の間を、時折海原との出会いを楽しむかのように進んでいくようになった。

那智海岸 有名な那智の滝を訪れるべく、私は那智駅に降り立った。駅自体は大きくて、神社を模して派手に丹の色に塗られていたりもしているのだが、周囲に広がるものは市街とは言えない程度の集落で、そのすぐ背後は深緑の丘陵に押さえられている。駅舎を見なければ静かで、穏やかな時の流れる雰囲気のある所だ。人出は決して多くはないがドイツ人らしき観光客もいたりして、どうやら彼らもこれから山に登っていくらしい。滝へ向かうバスの時間まで少しあったので、私は駅の周辺を少しだけ歩いてみた。駅裏には整備された砂浜の海水浴場が横たわる。この時期もちろん人はそんなにいないけれど、白い砂浜に対峙す補陀洛寺る海はやはり鮮やかな色を呈している。沖縄の海に例えるのは言い過ぎのような気がするが、海底の地形を反映するかのように、様々な青色がモザイクをなす鮮やかな海だ。そして丘陵側に戻り、空き地に咲く白いタンポポの花を愛でながら駅の周囲を一周するように歩けば、集落にまぎれる一つの寺として補陀洛(ほだらく)寺がひっそりと建つ。何のことはない桜のきれいな小さな寺なのだが、これもなんだか世界遺産に指定されてしまっているらしい。

 私は那智駅に戻り、那智山神社行きのバスに乗り込んだ。那智駅始発ではないので既に車内には席が埋まるほどの客が乗って混雑していた。バスは時折田畑の広がる、開きかけた桜のきれいな山道を登る。このまま終点まで行くのかと思いきや、大門坂駐車場というバス停で乗客の半分は下車していった。熊野古道巡りの入口ということらしい。バス停には竹の杖がたくさん置いてあって、登る人は自由に使っていいことになっているようだった。上から下りてくる人もたくさんいて、バス停の周辺は異様な賑わいを見せていた。この先はバスの道もいよいよ険しくなり、カーブを切りながら一生懸命登っていかなければならなくなる。山肌の深緑の中には、早くも満開に近い桜が時々姿を見せる。そしてその深緑の急斜面から一筋の滝が勢いよく流れ下る様子が、バスの車内からもよく眺められるようになってきた。

 バスのたどり着いた那智山神社の一帯は、斜面に沿って狭い領域の上層に寺社、その下に宿坊やら土産物屋やらの立ち並ぶ所で、団体のバス客も来るせいか、麓に比べれば格段に賑やかな雰囲気に包まれている。私は急な階段道の参道を、ゆっくりゆっくりと立ち止まりながら、時々道沿いに密集する土産物屋ものぞいたりしつつ登っていった。土産物屋には高級な土産物として那智黒石を使った碁石や置物の類も売られているのだが、碁石を取ったあとの穴のあいた原石やら袋詰めの小石やら、高級品は要らないけれどこの地を訪れた記念になる程度のものはあってもいいと考える私のような旅人のツボにすっぽりと嵌るようなものも売られていたりして、私は那智黒飴とともについつい購入させられてしまった。

熊野那智大社 急坂の参道を登りきった所には、熊野那智大社の新しい丹塗りの社、そして恐らく世界遺産に指定されることになった最大の理由であろう、那智山青岸渡寺の古くからの建物が、背後を鬱蒼とした森に守られながら佇んでいる。そしてそばに設けられている展望台からは、急斜面を登ってきた甲斐あって、下界の素晴らしい展望が大きく開けていた。対面に控える、切り立った深緑の丘陵との間に刻まれた深い谷の底に曲がりくねって通されている道は、鮮やかな色合いの桜に所々彩られる。そして色々な緑色が斑に広三重塔と那智の滝がる谷の風景の中で、ある一角だけは均一な緑に塗られている。熊野古道の大門坂という所らしい。少し離れた三重塔の方へ移動してみれば、谷間の登山道の向こうには谷底で三角形に見える海の姿までもがのぞくようになった。そして青岸渡寺の辺りからは、三重塔と、その背後で切り立った岩盤を洗う那智の滝が深緑色を背景として並び、その周囲の桜によって春色に染められる、見事なまでに美しい景観を楽しむことができたのである。

 三重塔そのものは再建なのだけれど登ることができるようになっていて、登ればやはり滝や谷間の熊野道の展望もまた違った角度から眺められる。とりわけ、二階の展望台からの眺めは丁度、那智の滝が激しく落ち込む滝壺までが見渡せる角度となっていた。一筋の滝でも角度が変わればそれまで見られなかったものが見えてくるという、面白い例かもしれない。那智の滝により近づくためには、お滝道という急な石段を下る必要があった。車道は桜に彩られるが、この石段は鬱蒼とした森の中を続いていく。案内の順路を守らずに滝から先に訪れて熊野大社の方へ向かうのは、急な登りとなってえらい大変なのだなということが感じられる。

那智の滝 そして一旦車道を渡り、鬱蒼とした森の中に佇む御滝神社の境内を更に下っていくと、那智の滝は更に大きく、視界いっぱいに広がって、上方から勢いよく流れ下っていた。別料金を払うともっと水面の近くまで行けるというシステムのようだったので、私は案内に従って更に歩みを進めることにした。ありがたい湧水を飲むための小さな焼き物の杯は、金を納めれば持ち帰ってもよいということで、値段も手頃でいい土産物となった。最終的に最も滝の近くまで近づいてみれば、一筋の滝の流れは四角く削られた垂直な岩盤の表面をダイナミックに流れ下り、周囲に清らかな音を響かせ続けていたのだった。三重塔とともに背景として眺めた風景もよかったけれど、こうして間際にまでやってくることで、私は自然の力強さを間近で感じることができたような気がした。

きのくに線車窓 帰りのバスには滝の近くからも乗ることができたが、始発の頂上から既にたくさんの客を乗せてきていて、私は帰りも席に座ることはできなかった。バスは熊野古道に沿う杉並木の中の急坂道を下り、そのまま麓の那智駅の近くに広がる小さな住宅地へと戻っていった。那智駅からは私はすぐに列車に乗り込み、宿を取ってあった串本へと向かった。列車は険しい山道をトンネルと、その合間に時々田畑や、入り組んだ海岸線に囲まれて青々と佇む海を車窓に展開させながら進んでいく。特に下里を過ぎて暫く、紀伊浦上の辺りでは陸側に深く切れ込んだ入り江のすぐそばを走り、対岸に深緑の壁のようにそびえる丘陵との間に、どこまでもきれいな深い青緑色の海が車窓に展開していく。入り江の最奥部を過ぎるとまた列車は山道へと帰っていくが、紀伊田原を過ぎると車窓には千畳敷のように平らな岩で敷き詰められた海岸線が展開するようになった。やはり海は穏やかで、ロングシートに座りつつきれいな風景との出会いを喜びながらの旅路となった。

きのくに線から橋杭岩 古座で交換のため列車は暫く停車するとのことで、私はホームや駅舎を軽く散策した。ここまで来ると桜もだいぶ文句のないくらいに開いているようだった。線路際の8分咲きの桜に彩られる駅舎と駅前の小さな集落は、深緑の丘陵に背後を囲まれる。海に面してはいない所であったが、そのぶん山間の長閑な雰囲気に満ち溢れているようだった。ここから列車は山側に丘陵が迫っている下に広がる、小さな住宅地の中を行くようになる。紀伊姫を過ぎて暫くすると、海の上に高く切り立った岩が整然と並ぶ橋杭岩が、青い海と更に沖合に浮かぶ大島をバックにする風景が展開し、程なく列車は、本州最南端に大きく広がる串本の市街へと進んでいったのだった。

 宿に連絡した時間よりもだいぶ早めに串本に着いてしまったので、私はだんだんと日が傾き肌寒さも感じられるようになる中、橋杭岩や大島を望む海沿いの道をぐるりと巡ることにした。すぐ近くに大島を浮かべる海は穏やかに青々と横たわり、海に面して巨大なホテルや学校といった大きな建物も並んでいる。そして市街も案外便利がよい。電器店ではポータブルテレビが激安だったので思わず買ってしまったし、ホームセンターもあればスーパーは24時間営業だという。しかし夕食にちょっとだけ奮発するつもりで小さな割烹に入ってみたら、酒も飲んでいないのに単なる定食で2,500円もかかってしまったなんていう失敗もしてしまった。それも日常を脱する旅の楽しみの一つであったということにしておこう。


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