関東は快晴の毎日が続いているというのにテレビからはしきりに全国的に大雪だという信じがたいニュースの流れる冬の日、年末の仕事にほんの少しの合間を見つけた私は、ニュースの真偽を確認すべく、急遽短い旅に出ることにした。
切符の手配に手間取ったりしつつ予定よりも1本後の特急あずさに新宿から乗り込めば、3連休のわりにはすいていた車内に私は安心もしたが、雲ひとつない都会の背後の富士山や、強烈な朝陽に照らされる多摩川の広く清々しい河原、背の低くなった建物達の背後に次第に近づいてきた多摩の山並みの姿に見とれているうち、立川や八王子あたりで車内も連休らしい混み具合となり、高尾を過ぎれば車窓は急激に、葉を落とした木々を纏う谷間の風景へと様相を変えていった。
車窓に現れる建物も僅かに谷底にへばりつくだけとなり、空の面積も小さく、車窓そのものが褐色を呈したかのような風景の中、強力な電灯が点いたり消えたりするように、山並みの間を太陽が移動していく。相模湖を過ぎても列車は断続的にトンネルを越えていったが、湖や広い川の水面が垣間見られるようになると、列車はやがて褐色の明るい段丘の中を行くようになった。基本的にはトンネルだらけの車窓だったが、駅の近くで小集落が開ければ、その背後には広い水面を従えた谷が広がり、不思議とせせこましさを感じさせない風景が続く。小さな家並みを貼りつけながら田圃の広がる狭い平地が深い谷の両側に広がり、その対岸に少し距離を置いて控える茶色の丘陵は、大したものではないはずなのにどこか、風景に雄大さを与えているかのようだ。
大月を過ぎてもまだまだ空は快晴で、辺りにはニュースになっていた雪のゆの字も感じられない。名古屋にさえ大量に積もっているらしい雪の姿がどこまで行けば見られるのかということも、私にとっては楽しみの一つであった。わくわくしながら車窓を眺め続けるうち、間もなく笹子トンネルに入ろうとする段になり、線路沿いの草むらに少量の残雪の姿を、私はついに発見することができた。長い笹子トンネルを越えても空は快晴のままだったが、トンネルを出てすぐ現れる甲斐大和駅のホームには薄く雪が残っているようだった。しかし雪の姿は程なく完全に消え失せ、風景はもとの褐色の谷間の続くものへと戻っていき、そんな谷の奥に勝沼の扇状地は、何事もなかったかのように広大にすがすがしく広がる。列車が臨時停車した勝沼ぶどう郷駅は高台にあって、山並みの間に紛れ込むように広がる盆地が見渡せる。駅の周囲の葡萄畑はこの時期枝だけとなって寂しいが、白く煙る広大な盆地の姿はまた勇壮なものだ。
列車はその盆地の中へと降りるように進み、下界に広がっていた風景は次第に列車と同じ高さに展開するようになって、途切れることなく塩山の市街地へと進んでいく。そして列車の行く手を阻むかのように立ちはだかる丘陵には、これまで見られなかった低い雲の姿も見られるようになった。もうひと山越えれば本格的な雪景色なのだろうかと、私は期待した。
塩山を過ぎると車窓からは険しさは失われ、遠巻きに丘陵に囲まれた平野の中に住宅地と葡萄や桃の畑が代わる代わる現れる風景が広々とするようになった。丘陵までの間に広がる平野の空は、真っ青というよりも少し青白く霞んでいるかのような感じがする。山梨市、石和温泉、甲府と特急列車は思いのほかこまめに足を停めていく。列車の北側には深緑と赤茶色の丘陵が近くに控えるが、南側の車窓はそのまま、甲府の巨大な市街地へと姿を変えていく。甲府の市街に雪はないけれど、行く手に控える険しい山の上部は、斑に白い雪を纏っているようだった。
甲府の市街地は韮崎まで続いていき、遠方に丘陵を控えながらその手前に広がっていた平野にもやがて起伏が現れて、高尾での唐突さとは大きく異なる導入を経て、車窓はまた少しずつ険しさを帯びるようになる。斜面には葡萄畑も広がり、列車が丘陵を抜けるたび、車窓には斜面いっぱいに広がる葡萄畑の風景が現れるようになっていく。背景を囲む丘陵は多くが落葉樹によって占められているようで、山梨から長野へ向かう車窓は程なく、青空のもとに褐色の山肌の印象を強く残すものへと移り変わっていく。もしかしたら八ヶ岳なども含まれているかもしれない、行く手をふさぐ山並みは厚い雲に隠されて、線路端にはまた、僅かではあるが残雪の姿も現れる。この辺りはまだ空も快晴に近いけれど、前方の山にかかる雲も多くなっていく。
長野県に入っても周囲の道路が雪に埋もれるなどということはなかったが、草むらの根もとや日陰の草地に残される雪の量が、確実に多くなっているような印象を私は受けた。北側にはすぐ近くに八ヶ岳連峰の端にあたる山が、白い姿を斜面の向こうに堂々と現すようになった。そしてスキー場のある富士見、すずらんの里まで進むと、近くの山の斜面に生える木の根もとにも、そこまでの間に広がる禿げた田圃にも、そして車のあまり通らない道にも雪が残るようになって、土の色と白色とが織りなす斑模様がいよいよ周辺に広がるようになってきたのである。車窓に占める白い部分の面積が次第に優勢になっていくのを、私は興奮しながらひたすら眺め続けた。
茅野を過ぎると、遠くなってしまった丘陵までの間にまた市街が広がるようになり、大雪のエリアへ連続しているのかと思わせぶりだった雪の量も、寧ろ減少していってしまった。日陰にはもちろん残ってはいるのだけれど、寒波の手にもどうやらむらがあるのかもしれないなと私は感じた。下諏訪の近くで一瞬姿を見せた諏訪湖は、少しだけ凍って白くなっている姿を低い丘陵に囲まれるように横たえ、その周囲には少しだけ雪の量を増したような感じのする岡谷の市街が広がっていた。
私は岡谷で一旦列車から降り、昼食を摂っていくことにした。灰色の丘陵に囲まれる岡谷の市街では、歩道にはうっすらと雪が残り、場違いに大きな2つの大型店舗を結ぶように延びる歩道、は商店街としてきれいに整備される。歩くのに支障のない程度にしか雪はないし、充分に着こんでいたので寒さを感じることもなく、よく晴れた空のもとに残る僅かな雪によって作られる旅情を、私は食事とともに存分にいただくことができた。諏訪湖に立ち寄るほどの時間はなくて、自由通路の上からうっすらと雪化粧した街並みの向こうに少しだけ垣間見られる湖面を覗くだけ覗き、私は再び列車へと戻ることにした。
乗り込んだ長野行きの普通列車は、特急列車よりも寧ろ混雑していた。列車は長いトンネルを越えて、みどり湖から丘陵に囲まれる広い盆地へと出ていったが、残雪の量は寧ろ減っている感じさえする。寒さに耐えながら予約を入れた今晩の宿の女将は、雪がたくさんあるとテレビと同じように言うのだけれど、地図上での距離感とは裏腹に、なかなかその世界に近づくことができないでいるような感覚に、私は苛まれることとなった。
列車は塩尻に着き、私は間髪入れずに発車する中央西線の列車へと乗り継いだ。塩尻駅の周辺にも、葡萄畑の広がる盆地に雪の姿は殆どない。しかし行く手に波打って控える山並みを拝めば、その2枚目あたりはだいぶ白味が強くて、空も大部分は青いものの線路の行く手の方向だけは大量の黒い雲が浮かんで、これまでとは明らかに異なる調子で雪の存在を示唆する車窓の雰囲気が、私は今度こそは本物であるかのような気がした。果たして、ほんの一駅進んだ洗馬駅まで来ただけで、辺りにははっきりとした大きさの雪の粒が褐色の山並みを背景にちらちらと舞い始め、そこから先は列車が進めば進んだだけ、積もる雪も舞う雪も急速に量を増やし始めて、車窓はあっという間に真っ白の雪国の雰囲気へと装いを変えていったのである。
テレビで報じられていた世界へ入る境界線は、予想していたよりもあまりにはっきりとしたものであった。あまりに劇的な車窓の変化に、私は呆気にとられるやら感動するやら、すっかり興奮した気分となった。周囲の丘陵も線路にぐっと迫ってきて、車窓はあっという間に山道の険しい雰囲気を帯びるようになっていく。列車がカーブを切れば、谷間には僅かに家並みの集中する風景が現れる。道路こそ除雪されてはいるが、あらゆる空地は白い雪に埋もれて、建物の屋根にも大量の雪が積もる。列車が走る線路、そして列車の訪れる駅のホームに積もる雪もみるみる増えていき、時には地吹雪のように、積もった雪が風にあおられて舞い上がる。トンネルを越えるたび雪の量は更に増えていき、走る列車は線路の雪を吹き飛ばし、雪以外のものが何も見られないほどになることも珍しくなくなった。列車は薮原駅で暫く停車していった。ワンマン運転でドアの閉め切られた車内は、物音も立たずに至って静かで、周囲には雪が更にしんしんと降り積もっていく。追い抜く特急列車は雪を巻き上げて爆走し、周囲をまた一瞬、真っ白に染め上げていった。
薮原の辺りがとりあえずの峠だったとみえ、木曽福島に近づけば雪の様子は若干だが落ち着いて、周りの風景もやや黒味を帯びるようになってきたようだった。しかしそれでも山並みに囲まれながら時折広がる古い建物の家並みは、屋根にすっぽりと雪を纏って充分に白い風景となっている。暫く閉め切られていたワンマン列車も、有人駅の木曽福島駅ではドアが開放され、外の冷気が車内に侵入してきた。その厳しい冷たさに、私は雪国に来たことを再確認することとなった。
木曽福島をあとにし、上松の付近に来ると、列車は丸い岩をたくさん河原に従えた川の流れに沿って進むようになる。川の対岸は高い山が切り立ち、斑模様に雪を纏った黒い姿を現す。ここはどうやら、寝覚ノ床と呼ばれる見どころらしい。いつかまたじっくり、眺めながら歩いてみたいところだ。列車は暫く大小様々な大きさの丸い石が大量に河原に転がる川に沿って、険しい谷間の道を進んでいく。丸く見えるのはもしかしたら石の上に積もった雪のせいであって、違う季節に来たならもっと荒々しい風景になっていたりするのかもしれない。それほどまでに雪の量は多く、その量は進むにつれて更に増え続け、一時は止みかけた雪の勢いはぶり返して更に強まり、車窓全体が真っ白に煙るようにさえなっていく。大桑、野尻と交換のために列車は暫く停まっていったが、周囲には大粒の雪が舞い、全てを埋め尽くさんばかりの勢いで、雪は谷間の集落へ降りしきる。最早すぐそばに控えているはずの山並みさえ、霞んでよく見えない。民家や駅の植木にも大量の真っ白い雪がこんもりと積もり、原型がどんな形であるかさえもあやしいほどの凄まじい世界の中を、列車はひたすら歩み続けたのだった。
私は恐らく雪に埋もれているであろう古い街並みの風景の期待される妻籠(つまご)の宿場町を訪れるべく、南木曽(なぎそ)駅で列車を降りた。南木曽駅の周囲にはほんの僅かな観光客向けの市街が広がるが、その全ては駅前広場もろとも白い雪に埋もれ、しかも空からは引き続き止むことなく大量の雪が舞い降りてくる。私は常設ウォーキングコースの案内に従い、妻籠宿を目指して歩いていくことにした。ウォーキン
グコースとは言うものの車も通る道であるようで、特に大量の雪を掻き分けなくても轍の後を追っていけば容易に歩いていける程度で、スノーブーツを履いてこなかったことを後悔するような事態にはならない。もちろん国道のような道とは違って、周囲は森林に囲まれて静かな雰囲気に包まれる。大量の雪に埋もれた周囲はあまりに静かで寂しさも誘われるが、今回の旅はそれを求めに来たようなものだし、私にとっては寧ろ嬉しいことだ。
気温が低いせいもあって雪もさらさらとしているし、北海道のように完全な粉雪ではないから傘は必要だけれど、雪の積もった傘がずっしりと重くなってしまうようなことはそんなにはないし、深みに嵌ったとしても足の周りの雪はすぐに融けるわけでもなく、寧ろ私にとって今年初めての、そして昨日まではテレビの向こうの別世界であったはずの大雪を堪能するには充分の雰囲気だった。道は森林の中を行くだけでなく、アップダウンを繰り返しなが
ら民家の軒先を掠めるような所もあったりする。そしてそのような所では住民が雪掻きをしている姿にもそこかしこで出会うことができる。心からの感謝を込めた会釈を彼らに捧げながら、私は独り、山の中の雪道をゆっくりと、ずんずんと歩いていった。道沿いには史跡の類も点在するが、この時期生活道路を兼ねない領域は除雪が行き届かず、うっかり足を踏み入れようならとんでもないことになってしまうので、私はメインロードをひたすら、滑らないようにしっかりと踏ん張りながら歩みを進め、カーブを切ったり森を抜けたりするたびに現れる新しい雪景色を楽しんだ。
そんな道を約1時間程進み、私は妻籠の街並みへと進んでいった。それまで道の周辺に現れる建物といえば、別にこの地でなくてもよいようなどこにでもある程度のものばかりだったのだけれど、妻籠の領域へ入ったとたんに道の両脇は突如として古めかしい木造の建物たちに固められるようになり、私は特に案内がなくとも目的地にたどり着くことができたことを理解した。古めかしい建物たちは昔どおりに宿として用いられているものも多いようだったが、普通の民家となっているものもあるようで、この街並みが決して単なる見せものではないことを感じさせる。
そして宿場町にたどり着いたことによる最も大きな雰囲気の変化は、観光客の往来が突然激しくなって、賑わいを見せるようになったことである。恐らく多くの観光客は車やバスで直接この地に乗りつけ、この宿場町の内部の領域を散策しているのだろう。古めかしい建物の街並みは依然として激しく降りしきる大雪のもとにありながら、たくさんの人々が往来するおかげで、寒いのにどことなく暖かそうな賑わいを感じさせてくれる。障子で入口が塞がれているために中を覗けない建物も多いが、古い建物の中には宿
だけでなく飲食店や土産物屋として営業しているものもあって、たくさんの人を集めている。そして途切れることのない人波の中では、そこかしこで写真撮影のために人々が歩みを止める……寂しい雪道を楽しむつもりで来ていた私にとってはいささか拍子抜けでもあったのだが、昔からきっとたくさんの人を集めていた、賑やかな宿場だったのだろうと私は納得することにして、暫し寂しい雪道の中のオアシス的な古い街並みを往来する旅人の一人となって、昔ながらの風情を堪能したのだった。
しかしそのまま歩みを進め、妻籠の宿場町の反対側の末端まで歩いてくると、車でこの宿場町だけを目当てに訪れる人々は引き返してしまうので、古めかしい建物はまだ残るものの、道の雰囲気は再び深い雪に閉ざされた寂しいものへと戻っていった。妻籠から大妻籠へのウォーキングコースは除雪もされず、私は車道を歩いていくしかなくなった。もっとも大妻籠の領域に入ってしまえばその車道も路地のような細いものとなって、また最初のように森林の中のアップダウンに富んだ寂しい雪道ばかりが続くようになった。古い建物も時々は密集していたけれど、最早さっきのような楽しい賑わいは復活するはずもなかった。
こうして私は大妻籠の集落にたどり着き、何軒も電話して漸く探り当てた民宿へ投宿した。たどり着くや否や、独特のイントネーションの女将さんにいろいろと、気の毒だのなんだのと非難とも歓迎ともつかない言葉を浴びせられることとなって私は多少戸惑ってしまったのだが、要は外から見た私のなりが、気がつけば靴も靴下もズボンもずぶ濡れの状態であったことを心配して下さっていたらしかった。大雪なのはわかっていたからズボンの下にスパッツは仕込んであって寒さに関しては辛くはなかったのだけれど、足回りは確かに気が回らなかった所もあったかもしれない。この家の主人はイワナの養殖をしているということで、大量の夕食の献立には、見た目はまるでサケそっくりの刺身や卵も上がり、昔ながらの木造の建物の中で落ち着いた一晩を過ごすことができたのだった。
翌日はうって変わって空は極めてよく青く晴れ上がり、宿の周囲の丘陵と森林に囲まれた古い集落では、積もったばかりの大量の新雪が太陽に眩しく照らされる爽やかな風景が広がった。宿を出発する間際になって私は女将さんと軒先で雑談などすることとなった。このような大量の雪はテレビでも60年ぶりと言っていたが、確かに雪は降る所だけれどこんなに大量の雪は記憶にはないという。今日は歩いて馬籠(まごめ)へ向かうつもりだと言うと、女将さんは車の道を歩きなさいと忠告をくれた。相変わらず雪道用というわけではない普通の靴で歩くことになるわけで、その辺りも心配させてしまったのかもしれない。中山道沿いのこの辺りの家はみんな親戚同士であるとか、宿の裏の斜面にいくつか存在する水槽を見つつ昔はイワナの養殖の他に釣り堀などもやっていたという話であったり、名古屋と新宿にいる息子がなかなか帰ってこないという話であったり、古い建物に泊まれたことも貴重な経験だったけれど、それにもまして僅かな間だったのにいろいろと話のできたことが思い出に残った小さな民宿であった。
小さな古い民宿をあとに、私は中山道の車道を馬籠へ向かって歩き始めた。もとより歩道の方へは入る気も失せるほどの積雪があってそもそも道の体をなしてないのだから、女将に忠告されるまでもなく車道を行かざるを得ないのである。残雪のためにつるつると滑りやすいのだが、昨日のように更に雪が降りしきることもなく、基本的には快適な散歩道だ。しかしさすがに峠越えの道だけあり、決してやさしい道ではない。車が走りやすいように作られた道はだらだらとした坂道で、何度もカーブを切りながら少しずつ
高度を上げていく。道の脇にも、そして道を固める斜面に生える木々の枝にも大量の雪が積もり、面積の狭い青空のもとには白い実のような雪の塊をたわわに実らせたたくさんの檜や杉、そして真っ白に雪を纏った落葉樹の織りなす真っ白い風景が、カーブを切るのに合わせて様々な角度からの姿を現す。昨日と同じように滝や史跡などの見どころには事実上立ち入ることはできず、私はひたすら孤独に歩みを続けるしかなかったのだが、時折展開する新しい美しい風景に寂しさを紛らわせた。高度は順調に上がり、ふと後ろを振り返れば妻籠の集落の背後に控える山並みが、遠くの方にまで連なる展望が開けていることもあった。
私はそんなだらだらとした山道を1時間ほど歩き続けた。道はやがて馬籠峠へとたどり着いた。標識が現れただけで展望が思うように開けたわけではなかったが、たどり着いたということがはっきりとわかったことが私には何となく嬉しかった。そしてここを過ぎると道は一転下り坂となり、滑らないように気をつけながらも足取りも軽く、歩くことが更に楽しく感じられるようになったのである。ここからはつい最近、県境を越えた市町村合併
によって長野県から岐阜県へと変わった所となる。標識の支柱などに記された県名は殆どがシールによって上書きされた状態だったが、まれに「長野県」のままになっていることもあり、そういうものを探しながら歩くという楽しみも加わったというわけである。下り坂を少し下れば、峠集落という小さな、しかし木造の家が密集する素朴な集落もあるし、カーブの底にあたる所からは時折、奥の方へと連なっていく岐阜県方面の平地が広がるのが垣間見られるようにもなってきた。
そしてまたカーブを切りながら続いていく下り坂をゆっくりと歩き下り、私は宿から丁度2時間ほど歩いて、ついに馬籠の宿場街へとたどり着くことができた。入口にある高台の陣屋跡に登れば展望台のようなものが造られていて、正面には雲に隠れてしまってはいるけれど恵那山の下半分が堂々と立ちはだかり、岐阜方面へ山脈が連なっていく様子が展開する。そして谷間はやはり白い実を実らせたたくさんの樹木で埋めつくされて、真っ白な冬の森の風景を作り出している。山道を歩いている間は暑ささえ感じたものだったが、ベンチに腰掛けて体を休めるとさすがに寒さが甦り、ここまでの山歩きで靴もかなり濡れていることに、否応なく気づかされることとなった。暫くベンチで休んでいると、ベンチが小刻みに揺さぶられるのを感じた。どうやらそこそこ大きな規模の地震がこの時発生していたらしい。そしてこの地震によって、帰り道の足も少しだけ乱されることになるとは、正直この時は思っていなかった。
陣屋跡の高台から降りた私は、いよいよ馬籠の宿場町の本体へと足を進めていった。古い建物の並ぶ街に入り、道は石畳になって雰囲気を残そうとしていることが感じられるようになったが、妻籠との大きな違いは、街自体が斜面上に展開しているのか、街に入っても依然として急な下り坂が続くということだった。そして道自体も狭く、妻籠よりもより高密度に昔ながらの時間と雰囲気が詰まっているかのように、私には感じられた。人通りも昨日の妻籠のようにたくさんの人がということはなく、時折通りがかる程度で、冬の寂しい宿場町の雰囲気を存分に味わうことができる。融雪剤の撒かれて
いる石畳の急な下り坂を、滑らないように気をつけながらゆっくりと歩いていけば、常に古い建物の姿が道沿いに連なり、そして立ち止まって高台の方を振り向けば、ずっと遠くの頂上まで古い建物が続いている。平面的だった妻籠よりも寧ろ、古い街の雰囲気をじっくりと楽しむことができる構成であるような感じを私は受けた。そんな、大量の雪を纏う古い建物の並ぶ街道の様子をそこここでカメラに収めているのは、決して観光客などではない、恐らく民宿の女将と同じようにかつて見たことのないほどの雪の量に驚いているであろう、その建物に住む人自身だったりするというのも、面白い現象だ。
そんな素朴な馬籠の雰囲気を、私は土産物屋で足を停めながらのんびりと楽しんだ。空からはまた、細かいけれど雪がちらちらと舞い始めた。昼食に入った店に流れていたラジオは、さっきの地震によってJR中央線がストップしていることを報じている。地震の揺れは感じていたが、それほどまでのものだったということは私はこの時に初めて理解したわけである。帰りの足をかなり心配しつつ、私は宿場町の下の入り口付近にあるバス停で、谷間に広がる田圃が真っ白な雪原と化すすがすがしい風景の中に身を置き、駅に戻るバスを待ったのだった。
中津川駅へ向かうバスは晴天の空のもと、白くなった谷底を目がけてゆっくりとカーブを切りながら走っていき、程なくさっきまで歩いていたような、白い雪の実をつける木々の間の道へと進んでいった。路温1℃という表示の通り、路面の雪も少し融けてきていて、そして杉などの緑の木や竹が蓄える白い実の量も、進めば進むほどに徐々に少なくなっているかのようだ。そして森を抜けると、田畑として切り開かれた斜面に囲まれるようにして近代的な家並みが現れ、辺りは中津川の市街へと移り変わっていった。
中津川のどこにでもあるような建物の密集する市街もやはり雪に埋まり、そして時折登る高台からは、山並みに囲まれるように広がる市街の姿が一望のもとに広がる。山並みの低い所は切り開かれて、そこに雪が積もった結果白くなっているが、その背後には恐らくさっきまでいた方角へと連なる山並みの姿が、堂々と控えている。中津川のバスターミナルを過ぎれば駅までの間に最早古い街並みは現れなくなったが、バスは頻繁にアップダウンを繰り返して丘から丘へと走り、家同士の隙間も広いので、山並みに囲まれながらもしっかりと広がる雄大な白い風景を、様々な角度、様々な高さから楽しむことができる。そして駅に近づけばやはり、車窓にはそれなりの規模の大きな街が成立するようになっていった。
果たして、さっきの地震は確かに列車のダイヤを乱していて、私が駅にたどり着くや否や、定刻通りでは乗れないはずの特急列車が遅れてやってきた。他の列車もきっと遅れているだろうし乗れる列車に乗ってしまおうと考えた私は、とりあえず自由席券を購入して飛び乗ってみることにした。定刻より25分遅れて発車した名古屋行きの特急列車は、高くそびえる恵那の山並みの麓を雪に埋もれた白い屋根に埋め尽くされる中津川の市街を尻目に、再び雪が降り出した農村の合間を疾走していった。ワイドビューの車窓には遠くに現れる堂々とした山々までの間に、白い雪を纏ったたくさんの家と広い田圃が密集する集落が代わる代わる現れてきた。
ダイヤの乱れは回復することなく続き、恵那では先行していたセントラルライナーに追いついてしまい、所定ダイヤでは追い越すことはないが故に我が特急よりもライナーの方が先行して発車するという面白いシーンにも遭遇することとなった。我が特急の方は恵那駅でだいぶ長く運転停車させられることとなっていたようだったが、何とか走り出せば再び特急らしい疾走を見せ、流れるように移り変わる車窓を存分に楽しませてくれた。近くにそびえていたはずの高い山もいつの間にかかなり遠ざかってしまい、赤褐色や緑色の丘陵に囲まれるような家並みの風景に車窓は支配されるようになった。雪もまだ、田畑には真っ白になるほど残ってはいるけれど、全体的な残雪の量は確実に減少の一途をたどっているように見受けられる。土岐市を過ぎてしまえば、本来は雪のない所であるはずと言わんばかり、雪は日陰や北斜面に申し訳程度に残るのみとなった。そして列車は古虎渓、定光寺の渓谷美を一瞬車窓に大きく映していった。最早雪渓とは言い難かったが、深緑の中に紅葉の名残のように赤く輝く落葉樹が、モノトーンに陥りがちな風景にアクセントを与えていた。
あとはひたすら、名古屋のベッドタウンとなる大きな街の中を特急列車はひた走るのみとなった。雪も路傍や時折現れる田圃の一部、空地の片隅や屋根の上などに残るのみとなった。そして都心に近づくにつれ、寧ろそのほんの少し残る雪、屋根の雪、空地や車の雪、河原に少し残る雪、加えて大曾根や千種ではナゴヤドームにうっすらと残る雪が風景のアクセントとなっていくのである。名古屋駅に近づくにつれて列車の速度は再びのろのろとなり、遅れは拡大して名古屋駅への到着は所定の約1時間遅れとなってしまっていた。
私はいろいろ手に入れたいものもあって名古屋駅の構内をうろうろとしたが、とにもかくにも、さすがのものすごい人出であった。完成間もないセントラルタワーをまじまじと眺めたのも私にとっては今回が初めてである。その大きさは足もとの交差点に立ってカメラにその姿を収めようとしても収まらないくらいだ。一番上に展望台でもあれば嬉しいのだが、一般人が行けるのは15階までらしかった。それでもビルの並ぶ都会の向こうにはたくさんの家並みがかなり遠くの山並みに接するまで広がる様子がよく眺められる。ホテルに泊まった人やオフィスで働く人は、きっとこれよりもすばらしい展望を眺めているのだろう。
そして夕方になり、いよいよとりあえずの帰京をするために私は新幹線へと乗り込んだ。新幹線も新幹線で、地震ではなく米原の大雪によってダイヤが乱れていたようであった。私は自由席として乗れるようになった500系のぞみの窓側に席をとり、屋根や田圃や路傍に僅かに雪の残る市街が強い夕陽に照らされている風景が、びゅんびゅんとあっという間に流されていくさまをゆったりと楽しんだ。そして僅かに残っていた雪でさえも、豊橋を通過するまでには完全に消え失せ、あとは快晴の空のもと、弾丸列車は夕陽に照らされてひたすら疾走するのみとなった。空は次第に暗くなり、海側を見れば水平線上に薄いオレンジの夕焼けの帯が伸びるようになった。静岡の手前では「右側の」車窓に現れる富士山の姿もばっちりと確認でき、そしてそれが左側の車窓へ映った新富士の辺りでもまた、堂々とした姿を拝むことができた。しかし外の景色を楽しめたのは三島辺りまでで、あとはまだうす明るさの残る空のもとに、灯りを照らす建造物が並ぶ風景が展開するようになった。熱海の温泉街の夜景も美しく車窓を流れ過ぎ、そして小田原を過ぎれば、周囲は完全に夜の闇に包まれるようになっていったのだった。