今回の旅はまさに、思いつきの急ごしらえの旅であった。私にとってものすごく大きな仕事であった、初めての担任業務がとりあえず一段落つき、そして顧問をすることになった部活の初めての公式戦も、大差で負けたとはいえ何とか一段落つけることができたのだけれど、何となく気持ちにすっきりとしないものが残っている状態で、とりあえず帰宅して酒を飲みながら一息ついていた時にふと、ネットで空席を検索した大阪行の夜行寝台急行列車銀河号に空席があることに気づき、とりあえず暫く仕事もなかったものだがら、カバンとカメラだけを持って家を飛び出したという経緯なのであった。
夜9時半も過ぎ、最寄り駅では長距離乗車券も寝台急行券も買うことはできず、私は短距離の乗車券だけを持って東京駅まで出向いて、改札内の出札で往復乗車券と寝台急行券を手に入れるという、これまでにあまりしたことのなかった経験を早速することになったが、あとは列車の時間まで特に何もすることはなく、とりあえず酒を売っている店を探しつつ、なぜだか心の中に残るもやもやとしたものを少しずつでも取り除こうと努力した。
やがて夜も11時となり、私はいよいよ急行銀河号の乗客となった。カーテンを閉めて独りになって、買い込んだ酒と持ち込んだCDを友とし、寝台車だから普通に寝られるだろうと思ったけれど結局は浅い眠りしか得られず、そのまま私は大阪の朝を迎えることになってしまった。寝不足気味の頭で眺める外界は、私の心と同じように、どんよりと曇っているようだった。
急行銀河号とともに朝の大阪に着いた私は、とりあえず特にあてもなく大阪駅の中を彷徨った。何となく新しい匂いのたっぷりする駅の中ではあったが、通勤時間帯にかかっていて人通りが多すぎることに辟易し、結局はすぐに立ち去ることにしてしまった。折りしも甲子園まで行けば春の高校野球が行われている最中、乗車券も適当に西明石までの往復で買ってあり、私はとりあえずJRで西へ向かうことにした。
JR神戸線ということになる列車で大阪駅をあとにすれば、列車はいくつもの川を渡っていく。そしてその度に、都会の中にありながら、意外にも大きな眺望が開けるのである。桜は寧ろ東京の方が豪勢に開いているくらいで、こちらではまだ五分咲き程度ではあったが、工場や家並みの中に立ち並んで存在を主張する桜というのも、それなりに見応えがあるものだ。武庫川を越えると、街並みの背後には六甲の山並みが美しくそびえるようになってきた。中腹にまで建物に攻められる都会の山ではあるが、それなりに雄大さを誇っている。
私はとりあえず甲子園に行ってみるかと、甲子園口駅で下車した。JRとしては最寄の駅なのだろうがだいぶ距離があるらしく、住宅街と商店街に囲まれる普通の小さな駅でしかないような感じだ。その商店街もまだ朝早いせいか静かなままなのだけれど、いくつかの喫茶店が軽食営業を始める素朴な雰囲気がある。私は商店街を抜け、甲子園筋という大通りへと進み、住宅街の閑静な雰囲気を楽しみながらのんびりと歩いた。途中に建つ大きくて安そうな店に立ち寄ったりしながら大通りをゆっくりと歩けば、やがて高架の阪神の線路が見えてきて、心なしか車の交通量も多くなってきたような気がした。
そして阪神のガードをくぐると、辺りの雰囲気は一転した。老若男女入り混じり、たくさんの人々が、蔦にからまれた巨大な球場を目指していたのである。プロ野球に対する熱狂とはまた違うのかもしれないが、大阪桐蔭対東北という地元勢の試合であるということもあってか、辺りは活況を呈している。桜の花もきれいに咲き誇る入り口はやはりにぎわっていたが、蔦のからまる壁に沿ってぐるりと外周を巡れば、意外に朝の静けさを保っていたりもしている。
私もせっかくだからと、安い入場券を買って観戦していくことにした。大阪桐蔭側は地元の利か、豪勢な応援だったのに対し、1塁側は若干すいていたようだった。値段の高い中央の内野席ほどたくさん人が入っていて、安い屋根のない席にはだいぶ空席も目立っていた。そんな状況だからファウルボールが飛んでくれば、子供たちが大喜びで駆けずり回るという何とも微笑ましい光景も何回か繰り広げられることとなったのである。試合は大阪がホームランで先制したが、すぐに東北もホームランで応戦、中盤で東北がリードしたものの終盤で大阪が一発で追いつく。昨日惨敗したわがチームとは異なる堅実な守り具合が私には強く印象に残った。本当は野球っていうのは点を取るのが難しい競技なんだと。8回裏の東北の1点リードを9回表でよく守りきり、3対2で東北の勝ち。自分の入ったサイドのチームが勝ってくれたので何となく嬉しかったし、たまたま立ち寄っただけの試合がなかなか面白かったということもまた、私にとって良い思い出となった。
しかしながら試合中にぽつりぽつりと降り出した雨が次第に強くなって、試合が終わる頃にはもはや傘を手放すことができないくらいになってしまった。私は球場の至近にある阪神の甲子園駅へ向かい、梅田方面行きに大阪桐蔭の生徒がごった返すのを横目に、すいている神戸方面の列車に乗り込んだ。もはや家並みしか見えない、四角い建物しか見えない高架の上を列車はひた走り、西宮を出てようやく、実は近くにあった六甲の山並みが、雨に煙りながらも何とか見られるようになった。
時間はちょうど昼どき、私は時々名前を聞く芦屋という街に降り立った。イメージどおりどことなく高級な雰囲気が、ほんのちょっとした所からも漂ってきているような気がする。大きな道は歩道がきれいに整備され、4分咲き程度の桜並木もそれなりに美しい。もっともJRよりも南側にいる分にはどこにでもありそうな住宅街と商店街が広がるのみで、特に変わったものがあるわけでもなかったし、昼食に立ち寄ったラーメン屋も広々として落ち着いた店だったけれど、ここにしかないものというわけでもないような気もする。JRの芦屋駅の北側に回り込めば、六甲の丘陵がだいぶ近くにそびえるようになっていたけれど、そっちへ行ってみようかなという気持ちを削ぐようなしとしと雨が、しきりに空から落ちてくる。いわゆる高級住宅街的な雰囲気は北側の駅前に顕著に見られるような感じだったが、丘陵の中腹にまでにじり寄る家並みの中に入り込めば、集合住宅などではない一軒家の屋敷街があったりするのかもしれないなと、今回は想像するに留めておくことにした。
私は今度はJRの客となって西へ進んだ。車窓からは六甲山の姿がだいぶ間際に見えるようになった。そんな、今眺めているきれいな六甲山と同じ名前の六甲道駅に列車は差し掛かり、私は何となく途中下車してみたくなった。阪神大震災の時の押しつぶされた駅舎の映像も記憶に新しかったわけだが、その痕跡のようなものは駅にも周辺にもあまり感じられることもなく、寧ろ必要以上に建物が建て込んでいて、車窓から見たような六甲の雄姿を望みながらの散歩というのは列車を降りてしまうと寧ろ難しくなってしまうのだなというのが、私にとっては新鮮な感覚でもあった。ただ市街の中に坂がたくさん存在するということだけが、この辺りが山の麓に当たる所であることを物語っていたわけである。そんな、山に続く道の中に阪急の六甲駅があった。周辺の商店街も、落ち着いた良い雰囲気を醸し出していた。
阪急六甲駅から、私は列車に少しだけ乗って王子公園駅に降り立った。ここでも列車からの視点と、降りた地点からの視点はことごとく異なるものであるようで、阪急電車からは六甲や摩耶山により近い分、ダイナミックに黒い山肌が控えて、王子公園駅でも山側のホームに登りさえすれば、長閑な山間の風景と誤解されかねない風景に出会えたりもしたのだが、駅から外に出て街の中に進んでしまうと、そのような風景はあまり望むことはできなくなってしまうようだった。
しかしここには、実に素晴らしい桜の風景があった。駅からすぐの王子公園、そして隣接する青谷川の川面にせり出すように、薄いピンクや、葉の緑も目立つ白色の桜の花が、ゴージャスなまでに辺りを賑わせていた。ほんのり甘い匂いも漂う中、登り坂をゆっくりと登っていけば、建物の背も低くなって、背後に摩耶山の山並みが雄大にそびえ立つ風景にも出会うことができたのである。芦屋や六甲道は風景的には私の期待とは違うものだっただけに、私はなんだかようやく、探し求めていた風景に出会うことができたような気がして嬉しくなったのだった。私は王子公園動物園の中には入らなかったが、園内にも立派に桜の花が咲き誇っていた。しかし雨足が徐々に強くなるこんな空模様では、園の中にも外にも人影は疎らにしか見当たらない。
そして再び斜面から下る方向に彷徨ううち、私はJRの灘駅に繋がる市街へと誘われていった。私はあまり関西の地理を詳しく把握しているわけではなかったので、適当に彷徨っているうちに新しい街や新しい駅が出現すると、何だか嬉しくなってくるのだった。灘駅の南側に回り込めば、HAT神戸というらしい、なぎさエリアに開発されつつある団地群があって、その裏手は運河に面している。所詮は人工的な海岸線だし、運河の対面には工場群という全く違った世界が控えていたわけだが、後ろを振り返れば摩耶の山並みは雲をまといつつも、灘の市街を守ってくれているかのようにそびえ立っている。
それにしてもこの辺り、大きな建物は必ず新しいのである。言うまでもなく阪神大震災の影響だということは私にでも容易に想像がつき、普通ならビルが隙間なく連続するはずの所に、不自然に空き地が開いていたりすると、あの災害の深い爪痕のようなものを感じざるを得ない。人工的なものが多くを占めるそんな街並みにはしとしとと涙雨が降りしきり、震災の当時の様子などを自分なりに想像しながらそんな中を歩いていると、ついつい感傷的な気持ちが芽生えてしまうのである。私という人間の愚かさに同情してくれた空が、私と一緒に泣いてくれているかのような……。
JR灘駅の至近には、阪神岩屋駅も最近地下化されたのか新しい匂いを漂わせつつ静かに佇んでいた。甲子園との関連の深い阪神電鉄ということか、この雨で第3試合は中止になったと構内に掲示がされている。それも致し方ないと思わされる雨模様であったが、私が見た第1試合の次の第2試合はちゃんとやれたのかどうかが、私には気になるところだった。こうして私はとりあえず灘の周囲をいろいろ彷徨ってきたわけだったが、灘の酒を作っているのがどの辺りなのかを探りきることができなかったことが心残りとなった。後で調べれば東灘、住吉とか魚崎とかの方で、微妙に違う所であったらしい。
私はJRの灘駅から列車に乗って、神戸市街の中心にかなり近づいた三ノ宮で下車した。ここにきて雨足もかなり強まり、普通に歩いても足元がずぶ濡れになってしまうほどになり、さすがに北野の方へ足を伸ばすというのはためらわれたが、旧居留地くらいなら雨に濡れても見るものはあるかなと、足元を気にしながらも歩いてみることにした。一応美しく整備された街並みではあったが、昔ながらの、江戸期の洋館がそのままというわけにはいかないようだった。実は唯一江戸時代から残存する建造物だった洋館も、震災で倒壊してしまったのだという。ここにも震災の影響か、と私はさらにしんみりとした気持ちにならざるを得なかった。所々オフィスとして使われていたり、デパートや商店として使われている洋館が、美しく整備された道とともにエキゾチックな雰囲気を醸し出すのだけれど、基本的にはおそらく震災後に建ったのであろう、新しいビル群が集中する街並みでしかなさそうな感じだった。
こうして三宮のオフィス街を彷徨ううちに、足だけでなく体中ずぶ濡れになってしまい、宿の予約も取らずに家を飛び出してきたから受け入れられるか不安だったビジネスホテルへの飛び込みも無事認めていただいて、普通ならまだ宿に入るような時間でもなかったのだが、何だかよくわからないままのひっちゃかめっちゃかな旅をとりあえず一段落つけることにしたわけである。そんな雨も暫く宿で休んでいるうちに止んでくれて、夕食時にはまた少しだけ周囲を散策できるようになっていた。宿のすぐ近くに中華街があったので、自然と夕食のジャンルが決まることになったが、店頭に並べられている点心の類が私にはどれも美味しそうに見え、適当に買って食べ歩くスタイルだったようなのでいろいろと買い込み、そして今日の寝酒は青島ビールとしゃれ込んでみたわけである。
ホテルでゆっくりと体も頭も休めることができた上に、翌日は前日の荒天が嘘のようにすっきりと晴れ、心まですがすがしくさせてくれるかのような朝の風景が、元町には広がっていた。昨日雨の中彷徨った旧居留地のオフィスに向かう人々の群れが、元町駅から海側へとひっきりなしに移動していく。すがすがしい朝の空気の中、重厚な石造りのビルが並ぶ旧居留地を横目に、私はすぐ近くだということはわかっていたのに昨日は疲れて行く気になれなかったメリケン波止場へと向かった。
下界にいる限り車の往来はまだ朝早くて少ないのだけれど、上空を跨ぎ越す高速にはひっきりなしに車が往来している。そんな無機的な賑わいのオフィス街から歩道橋を一つ渡ればすぐに、まだまだ静かな雰囲気のメリケン波止場があった。ビルの背後に六甲の山並みが顔をのぞかせる中、目の前には停泊する小船とともに海水が小さく揺らめいている。朝の風は冷たいけれど、オフィス街や高速の人工建造物が小さく見えてくる長閑な朝の港の雰囲気を、私はしばし楽しんだ。
そんな都会の中に長閑な雰囲気を生み出している波止場ではあったが、ここにも震災の記録が残されていた。大地震で破壊された波止場の一部が保存され、昔は遊歩道を照らしていたのであろう古い街灯が傾いたまま、ひびの入ったコンクリートの上に立って、波に洗われている。ごく狭い範囲に守られているだけのものなのだけれど、当時のひどい状況がありありと伝わってくるかのようだ。今ではこの波止場の周辺はすっかりきれいに整備されてしまっていて、ポートタワーがシンボルのはずなのに巨大なホテルの影に隠れるようになってしまっているというのが何ともいえないのだけれど、この街には決して忘れてはいけないことがあるのだということなのだろうなと思い、私は北風に吹かれながら海を眺め、心の中で黙祷を捧げたのだった。
私は街へ戻り、昨日は夜の賑わいを見せていた中華街をかすめた。店のシャッターは下りていたけれど、仕入れや仕込みで既にある程度の賑わいを見せ、裏手の普通のアーケード商店街がひっそりと静まり返っていたのとは好対照の雰囲気であった。JRの高架下に連なる商店街も、まだこの時間では照明すらつかず、ガードの真下に入れば真っ暗で、不気味ささえ漂ってくるのである。
JRの北側に回れば、線路と並行する大通りから分岐する道はすべて登り坂で、険しい地形に密集する市街であることがよくうかがえる。そんな線路沿いの大通りに面して、石垣が異彩を放っている。花隈城址といい、織田信長が中国進出を目論んで建てたといわれるが詳細不明であるという。そこはちょっとした高台の公園になっていて、ちらほらと桜が開く園内からは、ひっきりなしに列車が往来する向こうに高い建物が林立し、ポートタワーもそんな中に紛れ込むしかない様子だ。
美しい桜並木もある路地の坂道を登っていくと、遠くからでも目立つ県警、3つの巨大な建物が横に並ぶ県庁、そして四角い建物の中に立派な存在感を示す洋館の県公館が並ぶ、兵庫県の官庁街が現れた。坂の下に並んでいたビル群でさえ小さな建物に思えてしまうほどの、スケールの大きな建物が立ち並ぶ。ぼちぼち始業の時間とみえ、役人たちがアリの行列のように、周囲や地下鉄の出口から巨大な建物へと吸い込まれている流れに私は逆行し、地下鉄のホームへと向かった。
私は地下鉄に乗って、新神戸駅で下車した。山並みに貼りつくように存在する新幹線の新神戸駅の近辺には、山の上へ向かうロープウェーの乗り場もあり、高台にあるロープウェー乗り場からは巨大な新幹線駅が深緑に囲まれるように佇む様子もよく眺められる。ロープウェーの駅は北野遊歩道の入り口となる。満開に近く桜の咲き誇る遊歩道を歩いていけば、すぐに神戸市街を眺め下ろすことのできる見晴台があった。市街には高い建物ばかりが並び、クレーンもたくさん立ち並ぶ。槌音もよく響き、これからさらに成長を続けていきそうだ。そしてそんな建物の海の向こうには、やはりクレーンに囲まれた本物の海が広がって、あまりに強い日射しに白く煙りつつ、市街の背後を固めている。
北野の異人館街もは、ここからすぐ近くだった。大通りの路面は石畳として整備され、決して無機的ではない、様々な色や形の石造り、レンガ造りの建物が並び、周囲の市街とは一風変わった美しい街並みだ。やや観光地化されている感は否めないが、すっかり良い天気になった青空のもと、私はちょっとした異国旅行の気分を味わうことができた。
路地は山肌に迫ってますます細く曲がりくねり、坂の傾斜も急なものになっていく。高台には風見鶏の館や萌黄の館がシンボリックに建ち、観光客の支持を集めるが、そんな中に純和風の天満宮もしっかりと存在を主張しているというのが面白い。境内の急な階段をさらに高台へ登れば、案外正面からは写真に収めにくい風見鶏の館をちょうど横から眺められる所もあり、うまいこと共存共栄しているのだなあといった感じもするし、既に花も終わりの梅花園へ進めば、そこは港の見える展望台となっていて、三宮の巨大建物群を正面に、無数の無機的な建物の海の向こうには、さっきと大して距離的に変わらないはずなのになぜかその占有面積を広げたかのように見える海が、横一線に横たわる。異人館を目当てに来た客はなかなかここまではやって来ないようで、背後の丘から聞こえる静かなさえずりと、街から聞こえてくる静かな槌音や車の音の中、私は暖かい春の日射しをしばし独り占めにすることができた。
異人館街の中には公開されている洋館もいくつか点在している。今回は私は外の雰囲気を味わうに留めたのだが、そんな洋館の周囲は狭い路地が本当に狭く感じられるような賑わいを見せていたりする一方で、ちょっと外れるとどこにでもあるような普通の住宅街が混在している所もあって、面白い散歩のできる街だなと私は思った。登り坂はかなりきついけれど、北野の街並みの細い路地といろんな色や形の建物が入り乱れる独特の雰囲気を、私は充分に味わうことができたのだった。
私は再び広い坂道を下って、山の麓の海側の市街を目指した。大きな幹線道路を渡っていくたびごと、建物は大きくはなるが無機的な形になり、人や車の量は多くなってしまう。元町の市街に戻り、さっきとはなるべく同じ道を通らないように注意しつつ、私は再び海を目指していった。神戸のポートタワーには高校生の時にも来ているはずだったが、道をあまり覚えていなくて、あたかも初めての街であるかのような感じさえ受けてしまったのは、やはり震災のせいなのだろうか、と私はつい普通の街並みとは違う感覚で眺めてしまったのだが、それでも再び海を見れば、広々としたほっとした気分に落ち着くことができた。
ポートタワーの上からの眺めは、当然のように素晴らしいものだった。晴天の下の港の風景も当然良いのだけれど、すぐ近くに控える山並みまでの細い領域に、ここからは小さく見えるビル群が、細長く密集して広がっている。そんな巨大な市街の風景もまた、素晴らしいものだ。どこを向いても見応えのある見晴らしを眺めながら、歩いてばかりいた旅の足を私はしばし休ませた。海原と山並みを両方見られる風景、密集する建物群がすぐに山肌に接する風景に、私はしばし見とれていた。
私は再び港町から市街へ、そして線路を越えて緩やかな坂を登った。モダン寺と呼ばれているらしい本願寺はあまりにもモダンすぎて覗いていこうという気持ちも起こらず、ただひたすら坂道の両脇に普通の市街が広がる中を進む。そんな何でもない街の中に関帝廟の朱の外壁が異彩を放ち、中に入ってみれば、小さいながらもこの周囲の建物群の中にあっては異様なきらびやかさを示す中国寺院の雰囲気を充分に味わうことができた。毒々しいまでにきらびやかではあるけれど、なぜだか寧ろ落ち着いた雰囲気が辺りに漂い、桜の美しい静かな境内となっているのは、人も多くなくひっそりとしているからなのだろうか。近くの熊野神社は単なる社でしかなかったけれど満開の桜は美しく、またバックに大きくそびえるようになった山並みも美しい。
私は大きな幹線沿いに、さらに歩みを進めた。やがて私は、桜並木のピンク色が深緑の山肌へ向かって続いていく川沿いの道を横目にして、体育館や競技場もあるらしい大倉山の領域へと出た。さらに彫刻の並ぶ道を少し南下すれば、とても大きな湊川神社の境内が始まっていく。どうも楠公と地元の人に呼ばれているようだが、単なる社にとどまらない巨大な神社の境内は、昼の太陽に照らされてとても明るい。
そしてここまで来れば、JRとしては神戸駅の領域となるのである。街としては三宮や元町のほうが栄えているのかもなと思っていたが、歩いてみればそんなことは全くなく、地上にも大きな建物が林立し、そして地下にさえ商店街の続く、あまりにも立派な街並みだったりした。駅の南側に出れば、さっきの海の続きにできているハーバーランドという領域に出るようだったが、そちらを訪れるのはまたの機会にすることにして、私は駅の周囲に広がる市街の中から、新開地の商店街を探り当てることにした。
路地にさえマンションの並ぶ街を少し歩けば、新開地劇場という、昔のポートピア連続なんとかというゲームを思い起こさせる施設があって、色とりどりに道の舗装された商店街がここから始まった。小さな店が多いが長く続いていき、大通りを渡れば立派なアーケードを構えるまでに成長していく。神戸といえば港元町というイメージもあるのだけれど、こんな商店街の賑わいに触れると、それだけが神戸なのではないのだといった感じを私は素直に受けたのである。
そんな商店街の中にあった素朴な喫茶店で昼食に、せっかくなのでそばめしをいただき、外に出れば商店街はすぐに湊川公園に接続していた。何だか公園というよりもだだっ広い広場しかないような印象を私は受けてしまったが、反対側には申し訳程度に、それでも大きい青銅の楠公像があって、その周りを三分咲き程度の桜の木が固める。そしてその下のベンチでは、老人たちが将棋を楽しんでいる。この大都会の中にあって、暖かい春の日射しを満々と受け取って長閑な午後を過ごすことのできる場所のある神戸という街に、私は何だかうらやましさのようなものを感じていた。
地下に潜って湊川駅で、私は神戸高速鉄道という名前の神戸電鉄の列車を待った。といっても終点の新開地駅はホームの先端に立てば充分に見ることのできる駅間の狭さである。古い列車がとても大きなモーター音を響かせて地下駅にやってくるということに何だか新鮮な感覚を受けた私は、その終点の新開地駅まで移動し、今度は山陽電鉄方面の列車に乗り継いだ。阪神大震災で駅舎がつぶされてしまったことでよく知られる大開駅は通過してしまう便であったが、やはり何だかその瞬間は、不意に苦しいものを感じてしまった。
私は高速長田という駅で再び街へと繰り出すことにした。駅の近くには大きな神社があるらしく、門前の商店街もそれなりの賑わいを見せているようだったが、私はとにかく、震災の報道で有名になった新長田の辺りを陸上から目指し、最も酷かったらしい辺りが今どうなっているのかをこの目で見てみたいと思ったのである。実際の最寄り駅は隣の西代駅ということになるらしく、私はとりあえず太い幹線通りに沿って歩いた。既に不自然なまでに道幅は広く、建物は簡素か異様に新しいかのどちらかであり、不自然なまでに明るい雰囲気が辺りに漂っているかのようである。山陽西代駅からJR側に針路を取って路地へと入り込めば、いまだに仮設住宅を名乗るプレハブも現れ、もしかしたら震災とは無関係の区画整理のためなのかもしれないが、土を丸出しにした公園というか、空き地のど真ん中に不自然に電柱が立っている広場があったり、普通こんな所に空き地はないだろうといった感じの建物の間に不自然に空き地があったりもする。
そんな悲しげな雰囲気は、JR駅の南側で最高潮に達した。駅前は高層の建物もあり、広場も噴水つきで整備され、いかにも近代的な様相を呈するが、大火となった新長田一番街に入れば、アーケードこそ構えられているけれど、プレハブ作りの簡素な背の低い建物が軒を連ねる領域もあって、アーケードの隙間からのぞく青空が、かえって悲しみを誘っていたのである。再開発計画が動き出しているようで、そんな建物も取り壊される方向にあるようだけれど、何だかかえって痛々しい雰囲気をさらに増幅してしまっているかのようであった。
隣の商店街にある足湯はたぶん復興のシンボル的なものなのだろう。今日は定休だったが、本物の温泉らしい。しかしそれを取り囲む商店もプレハブ造りだ。あれから9年を過ぎ、三宮、元町、神戸では私はもう殆ど爪痕を感じることはなかったけれど、この新長田が負った傷はそれほどまでに深かったということか。ただ人々の様子が至って普通であることだけには、私は何となくほっとさせられた。早く傷が癒えてほしいものだと、切に願うより他にはなさそうだ。新長田の駅も新しいけれど、ホームはいかにも仮設のような造りであった。
私は新長田駅から列車に乗り込んでさらに西を目指した。新長田を出ると、新しいかまたは簡素な建物と、不自然な空き地の見られる車窓が、鷹取にかけても連なっていく。右側の山並みは相変わらず深緑の堂々とした姿を見せる。そして須磨に来ると、左手はうって変わって、濃い青色の海原が広がるようになった。高校生の時に部活で訪れた思い出の須磨浦からは、淡路島とそこへ架かる大橋も遠くに眺められ、今日もさざめくだけの穏やかな風景を見せてくれた。その後も塩屋にかけて、列車は青々とした海のすぐそばを行き、垂水に近づいても建物の間からちらほらと海の姿を望むことができる。山陽電車の線路も、すぐ間際に併走する。そして舞子が近づくと、明石海峡大橋とその対岸の淡路島の姿が、より大きく車窓に迫ってくるようになった。そんな大橋の真下に、舞子駅はあった。
舞子駅の駅裏の斜面には住宅街があるらしかったが、私はとにかく大橋と淡路島を眺めるために下車したわけである。駅のすぐ近くには、橋の上にある高速バスの乗り場への入口があった。途中階まではだんだん高くなっていく視点から、頭上の橋が淡路島へ向かって続いている様子も楽しむことができたが、バス乗り場まで登ってしまうともはやバス乗り場の施設しか目に入らなくなってしまって、景色としてはいまいちな感じがした。吊り橋の柱は見えたが、あとは道路しか見えないのだ。
最初からこうしてればよかったと思いつつ、私は舞子公園へと向かった。園地のはずれには実は史跡になっているらしい砲台跡があって、橋の下からは少し外れた所にあるので、淡路へ向かって大きな橋が青い海の上を連なっていく様子が、ダイナミックなまでに一面に大きく広がっていたのである。わかりにくい場所にあるだけに、絵になる風景を見つけたかった私は穴場を見つけられたような気がして嬉しかった。
橋の下にも海岸に沿うように遊歩道が造られていたが、橋に架かる道路の真下にあたる部分にちょっとした遊歩道が造られているらしかったので、私は入場料を払って登ってみることにした。長いエレベーターで上に登ってみれば、展望広場からは西側の明石の市街や、東側の市街に面した明石海峡が静かにさざ波を立てる様子が一望の下になり、ポートタワーから見た景色に比べれば市街の背後にあったはずの丘陵が遠ざかってしまっている分見劣りはするものの、背後の市街の様子ものぞむことができる。
面白いのは通路の一部がガラス張りになっていて、波を打つ青い海が真下に見られるということだった。こんな所で海面まで落ちてしまいそうな緊張感を感じるとは思わなかった。展望待合室に座れば広がる海の風景をゆっくりと楽しむことはできるのだが、いわば橋に吊されて浮かんでいる構造なので、どこからか不気味な振動が伝わってきて、なかなか安らいだ気分になれないものだった。それに本州側にはよい眺めが広がるのだけれど、淡路島側の景色を思うように眺められないというのは、この施設の大きな欠点であるような気もした。
結局淡路島と目の前の海を眺めてゆったりとした時を過ごすのであれば、普通に海岸線に立つのが正解であるようだった。なだらかな稜線を描く淡路島までの間に横たわる海峡は、風に吹かれてゆらゆらと揺らめき、より深い青色になった海上には、そろそろ夕陽の様相を呈してきた太陽が近づいて、揺らめく海に白い道を造る。太平洋側だからあまり知られてはいないけれど、実はかなりの夕陽の名所なのかもなと、私は思った。大きな船はゆっくりと、そして頭上の橋には車がひっきりなしに往来を繰り返す……私は暫く、そんなどことなくのんびりとした時の流れる風景の中に身を任せていたのだった。私は舞子駅に戻り、刻一刻と海へ落ちていこうとする太陽の光をたっぷりと浴びながら、さらに西を目指す列車に乗り込んで海添いを進んだ。
私はだいぶ夕暮れの様相の強くなった明石駅に降り立った。駅のホームに東経135度線が通っていると思いこんでいたのだが、それは実は山陽電車の、隣の人丸前という駅だという。その代わり、ここには駅のすぐ近くに大きな城跡があった。だいぶ低くなって赤みを帯びてきた太陽は、栄えている街並と共に駅前に横たわるお堀を眩しく照らす。園内には櫓のみが残り、その周囲は芝生の公園となる。この時期は所々に、まだ満開とは言わないまでも咲き誇る桜を目当てに、人々が集まっている。何と言うことはない、花見の名所だったのである。
私は最後に近い力で、城郭の中にある西側の見晴台に登った。やはり無機的な建物ばかりの密集する明石の市街に、見事なまでのオレンジ色の夕陽が、まさに落ちている最中だった。きっと明石海峡ではもっと素晴らしい夕陽の風景が見られたのだろうなと想いながら、私は感動的なまでに美しい風景を、しばし楽しんだ。そして、家を出る時は何だかもやもやとした気持ちの拭えない状態だったということも忘れられているほど、私は心のリハビリが完了したかのような、とても良い気分になっていたのである。石垣から降りる間にも陽は刻一刻と落ちていって、櫓の向こうにオレンジ色の見事な光球が街並へと落ち込んでいく様子にも出会うことができて、私は最後の最後にきれいなものが見られた喜びを感じたのだった。
刻一刻と夜の雰囲気を呈してきた駅裏の細い路地を、135度線を踏むためだけに、私は天文台へと向かった。天文台そのものは市街からでも建物の合間に見られるが、賑やかな通りや史跡の残る「時の道」を歩いていっても良かったのかもなと後悔しつつ、私は街灯もあまりない薄暗い裏通りを進んだ。もちろん時間的には中に入ることはできない時間だったが、天文台は暗くなってもライトアップされているから、国道に立つ135度線を示す表示と重ねて写真を撮って、目的を達することのできた喜びを感じることもできたわけである。そしてこの辺り史跡の類も案外数多くあるようで、今度ここに来る時は今回は入れなかった天文台だけでなく、その辺りの歴史についても学んでみたいなと私は思った。
そして近くの人丸前駅のホームに通っているという135度線の写真を撮るために、明石まで歩ける距離ではあったけれど一駅だけ列車に乗る決断をして、私は人丸前駅に入場した。天文台を正面に、いわばお約束の構図をカメラに収めることができたが、それだけでなく高架のホームからは、明石海峡大橋に灯された明かりも、すっかり夜になってしまった街並の背後を、幻想的に飾っているのが大きく眺められたのだった。
すっかり夜になった人丸前駅をあとにして、私は山陽電車で明石駅に戻り、そして東京へ戻る新幹線に乗るためにJRで西明石駅へ進み、さらにこだま号で新大阪を目指した。編成変更でせっかく取った指定席が存在しないというハプニングもあったが、自由席でも充分すいていて、私はもはや光の粒が現れるのみになってしまった車窓を眺めた。光の粒の密度は都会だけに、さすがに高密度で車窓を流れていく。そんな風景を眺めながら、明石でとりあえず手にいれた蛸めし弁当とビールで、ゆったりと流れる時を楽しみ、引き続き新大阪でひかり号に乗り継いで、夜の東京へ向かって真っ直ぐ帰路に就いたのであった。