勤務先が冬休みに入り、特にやることもなくて苔の生えてきそうな生活を送っていた時、テレビニュースは北陸地方大雪のニュースを伝える。雪が珍しい地域に暮らすものとしては、雪が降っているというそれだけで、日常にはない大変なことが起こっているような感じがしてしまう。富山くらいなら日帰りでもできそうだが、一泊でもして少し奥まで入り込めば、春飛騨に行ったときに訪れていない白川郷の合掌集落も楽に訪れられそうだ。冬の豪雪を見越して作られた急斜面の屋根が本領を発揮している所を見られるかもしれない……考えれば考えるほど大雪の北陸地方を見てみたいという気持ちは募り、ニュースを聞いた翌日、私はとうとう、寝台特急北陸号に飛び乗ってしまったのだった。
北陸に大雪をもたらしているらしい寒波は、ここ数日の暖かさに緩みきった関東の人間の体をも引き締めてくれる。当然ながら夜の上野駅からの出発となったが、仕事納めや忘年会シーズンに当たる夜の駅に大荷物を持ち歩くのは多少邪魔くさい感じもする。北陸号の乗客にも季節柄、純粋な観光客は少ないようで、大勢を占めるのは帰省客や、それよりもむしろ、出張帰りのサラリーマンで、喫煙者の廊下はストレス解消の談話室と化していく。
時折車体に水滴のようなものが打ち付ける音がし、窓ガラスに雪が付着しているのを見て、まだ暗い中、自分が北陸の領域に足を踏み入れつつあることを認識したまだ暗い早朝。列車は10分くらい遅れて走っているのだという。私はまだ闇の中の高岡駅に降り立った。照明に照らされたホームも線路も、薄暗い中降り積もった雪で真っ白な姿を示す。そして、決して少なくない量の雪が、目覚める前の駅にさらにしんしんと降り積もっていく。私は城端線の列車に乗り込み、さらに内陸を目指した。線路際にも雪は大量に積もり、駐車場の車も数十センチほどの雪をかぶっている。立ち木には実がなっているかのように雪の塊が付着し、大量の白い粒が窓ガラスを右から左へ常に横切っていく。街並みを外れれば雪の量はさらに増えていくようだ。10分も走れば外は薄明るくなってきて、次第に、車窓には一面の銀世界となるはずの白い田んぼの姿が明らかになってきた。積雪は当然歩道をも埋め尽くし、私は今日のうちに靴がずぶぬれになってしまうことを覚悟した。まだ朝早いのに乗客の少なくない砺波の辺りでは家並みも続いていくが、屋根にはやはり驚くほどの雪が積もる。そしてだんだん明るくなってきて、車窓に広がる真っ白な田んぼが実はすぐそばに険しく壁のようにそびえる灰白色の山並みの中の限られた部分でしかないことも明らかになってくる。ホームの端にやはり大量の積雪を抱える福光で長く休憩した列車は、すっかり明るくなって完成を見た一面の銀世界の中をとことこと走っていった。
列車の終点の城端駅から白川郷まではさらにバスに乗り継ぐことになるが、バスの時間までには1時間半もあり、じっとしているわけにも行かなくて、私は雪の降る早朝の街並みへと出てみた。大雪は容赦なく私の体に降り積もっていく。そう、この辺りの雪は、例えば北海道の道北や道東で降る雪とは違う、積もる雪なのである。城端駅の周辺の市街は白い田んぼの中の小さな集落に過ぎないのだが、少し歩いて川を渡り路地に入り込めば、古めかしい木造の建物が並ぶ古い街並み、そして神明社や善徳寺といった大きな寺社が現れた。善徳寺の周りの道は石畳で整備され、この街はこの寺院を中心とする門前町であるらしいことが伺い知れる。目に入るすべての建造物は多量の雪をかぶり、時折顔を出す太陽の光に照らされて輝きを見せる。寺の門前は広小路となってかなりの賑わいを見せるが、駅に戻ろうと市街を外れると道は一気に狭くなってしまう。この街の中心は決して鉄道駅ではないのだということを主張しているかのような極端さだ。今でこそ活気はあるものの深い雪に閉ざされる城端、しかし小京都と呼ばれ、五月の曳山祭、九月のむぎや祭といったイベントは賑わいを見せるのだという。
やがて、街中の建物と同じように10センチほどの雪を頭にかぶったバスが城端駅前を出発した。バスはいったんさっきの門前町を通るけれど、市街で道が広いのは本当に門前だけ、あとは雪を厚くかぶった細い路地のような家並みの間を縫っていき、やがて真っ白い農地、真っ白い建物、真っ白い立ち木に囲まれた広い道を行くようになった。雪は止んだけれども辺りは依然として白い世界である。やがて高度もだんだんと上がっていき、道の周りを囲むのは、農地よりも斜面と白い雑木林へと変わっていく。バスはカーブを繰り返し、みるみるうちに高度も上がり、あっという間に再び大粒の雪の舞う山道へ進んでいき、一瞬は陽に照らされた谷向こうの山並みも再び煙ってしまう。
長い長い五箇山トンネルを越えると、バスは私を谷間に放り出さんばかりの勢いで平村の集落へ降りていき、杉木立で埋め尽くされた谷を横目に、最初の合掌集落のある相倉の入り口をかすめ、むぎや節の里を謳う下梨の集落へ進む。高台から見下ろせば雪に埋もれそうな集落はそれなりにきれいに見えるけれど、アイスバーンと化した道からは激しい振動が車内に伝わってきて、その振動はバスの屋根に積もった雪を大きな音と共に振り落とす。厳しい冬の情景が映像と共に重厚な音声によっても演出される道は、旧来の合掌造りとそれを真似たような建物が入り混じり街ごとドライブイン状態となる上梨の集落を経て、庄川ダム湖となったほとりに姿をあらわす上平村の菅沼という合掌集落の入り口を通っていく。白い世界と化している谷底にはまた、白い高速道路も一筋に延びる。やがて発電所関係の建造物や、人のいなさそうなささら館を過ぎると、バスは険しい山を深く削るように流れる庄川を何度も何度も右へ左へと渡っていくようになった。飛越七橋という名で括られる橋は、一つ渡るごとに富山から岐阜へ、岐阜から富山へと、バスを県境の両側に揺さぶり、7つ目の橋を越えてバスはようやく完全に岐阜県へと放り込まれた。がちがちのバーンだったと山側の道に比べると、岐阜側に積もる雪は若干やわらかいようで、バスに伝わってくる振動も軽減されたけれど、辺りを囲む斜面と立ち木は、相変わらず雪深いままだ。
やがてたどり着いた白川郷の合掌集落も、やはり深い雪に埋もれてしまいそうな所だった。しかし、白一色になりそうな風景の中に切り立つように建つ切妻の黒さと、透明の太い氷柱が、ここに確かに人々の生活があるということを強く主張する。見慣れた建物群とは明らかに異質な、急斜面の屋根が特徴的な民家が雪原の中にたくさん建ち、見慣れない風景が作り出されている。おそらく田畑なのであろう雪原の間に細い道がいくつか通されて、歩けば歩くたび、白い雪と氷柱をたくさん身にまとった合掌造りの建物がさまざまな角度で現れてくる。道路の雪はよけられているけれどもそれぞれの建物の中へ入っていく細い路地には大量の雪が積もり、一般公開されている和田家もそんな雪の奥に立つ。厚い屋根雪を支える太くて黒光りする柱はただ何も言わず、その内側に安らぎの空間を確保する。しかしながらやはり空気は冷たく、辺りは底冷えのする寒さに包まれる。温度計は氷点下1度を指し示す。
集落の西通りはたくさんの合掌造りの建物が路地を挟んでひしめき合い、広い雪原の中にまばらに合掌造りが立つ東側とは異なり、いかにも市街地といった風情を示す。街の西側を流れる川に架かる細い橋を渡って対岸に出ると、広大な園地にいくつかの合掌造りがちりばめられた民家園という園地があった。この中の建物は他の場所に建っていたものを移設したものだそうだから、隣接していた昔のままの集落とは意味合いが違うのだけれど、順路にも一切雪かきがされずに大量の雪が残り、歩くたび靴が冷たく濡れる園地の雰囲気はかえって昔のままのものなのかもしれないと思ったりもする。やがて昼時になり、陽も射すようになって、つかの間の暖かさで雪は緩み、そこここの合掌の屋根はその急角度の意味を誇らしげに周囲に示すかのように積もった雪を大音響と共にどさっと滑り落とすようになり、そして建物の中にいれば、窓には大粒の雨のように雫が滴り落ちていった。土産物屋に並ぶのがさるぼぼやら赤かぶらやら、地酒も含めて飛騨のものばかりで、北陸にきたつもりの私としては拍子抜けだったけれど、どぶろくの街であることを示すかのような土産物屋街を歩けば、午後になって日に照らされるようになった合掌集落は朝の薄暗い雰囲気とまた違い、明るく生き生きとして見えてきたのだった。
城端駅方面に戻るバスは来た道をそのまま折り返し、飛越七橋でもふたたび富山から岐阜へ、岐阜から富山へと複雑に県境を移動してやがて完全に富山県へ戻っていく。日が射したせいもあってか往路よりは伝わる振動も少なく、比較的楽な走行である。往路でも通りがかった上平村の菅沼合掌集落で私はバスを降りた。この辺りは五箇山と呼ばれる領域で、山並みに囲まれて広くゆったりと流れる庄川と、大きな高架の国道とに挟まれたごく狭い範囲に、やはり雪にうずもれそうな合掌造りの建物たちがしっかりと存在を主張する、小さな集落である。私がこの集落を訪れようと思ったのは、ここに「塩硝の館」という展示施設があるということを、今日この地を訪れたときにもらったパンフレットを読んで知り、興味を持ったからである。塩硝とは硝酸カリウムのことで黒色火薬に含まれる酸化剤である、ということは化学教員という職業柄、そしてまた愛読する落第忍者乱太郎という漫画によく出てくるということからも私はよく知っていたわけだが、その塩硝とこの合掌集落との間にどのような関係があるのかということは、私は全く知らずにいたのだ。
塩硝の館へ入館したところ、悪天候の下よほど珍しい来館者だったと見え、私は館のおばちゃんに手厚いもてなしを受けることになり、展示についてもかなり詳しい解説をしていただけた。解説されていた塩硝の製法は、実に漫画で解説されていたのと全く同じ、排泄物を熟成させる方法で、ここでは民家の床下に隠すように穴を掘って製造していたのだという。しかも、漫画の方ではあまりに収率が低くて割に合わないというオチになっていたのだけれど、この地ではこの方法で、真剣に、大量に製造していたらしい。かつてはこの庄川右岸地帯を重罪人の流刑地とすることで、五箇山はろくな所ではないから行ってはいけないという意識を一般人に植え付け、この地に近づけさせないことで、塩硝製造の秘密を守ってきたのだ、とおばちゃんは語る。そして、最近この合掌造り集落が世界遺産になってからは徐々に変わってきているんだけど、と前置きした上で少し小さな声で、今でも砺波平野では、五箇山に対してあまり行かない方がよいとんでもないところというイメージを持っている人が多い、と……それはもしかしていわゆる部落問題というやつなのかしら、と問いただすようなことはしなかったけれど、単に雪に埋もれそうな合掌造りを見たくてここに来て、塩硝のことを知ってさらに調べてみたら、この世界遺産に秘められた大変な秘密を知ってしまったような気がして、館を後にして写真を撮りまくりながらも、私はいろんなことを考えさせられてしまったような気がしていた。
城端駅へ向かうバスの車内では、この辺りのローカル事情や歴史、果てには民謡までが普通の路線バスでありながらテープで放送される。もっとも、早くも最終バスということになる車内、客は少なくはないが疲れて眠ってしまった人がほとんどだったりもする。バスはがたがただった往路よりははるかにスムーズに走り、庄川沿いの美しい風景も、もやの取れた車窓に美しく流れていく。やがて五箇山トンネルを越えれば、対面の山との間隔はだんだんと広がって、ついには一面に真っ白な砺波平野の田んぼが現れた。バスは最後の山道を下り、その平野の中に開ける城端の市街へと下っていった。もはや合掌造りの群落はないが、雪景色の田畑は周囲に明るい雰囲気をもたらす。街に戻れば出発時には閉まっていた店も開いていて、決して眠っているばかりではない市街の賑わいも垣間見ることができた。
バスは城端線に並行してそのまま高岡駅を目指して、夕焼けになりつつある太陽が真っ白の砺波平野を赤く染めようとする風景の道を進んでいく。私はとりあえず福光駅までバスに乗った。福光の市街は駅前よりも、小矢部川の対岸の方が賑やかで、しかもある意味城端よりも素朴でどこにでもありそうな、きわめてごく普通な商店街となる。小矢部川に架かる橋に立てば、石川県方面に沈む赤い夕陽を背にして流れていく川はとても美しく輝いていた。福光駅に戻り列車を待つ間に日はどんどんとかげっていき、高岡駅に向かう列車に乗り込めばまた、車窓は近くの雪だけがぼんやりと浮かび上がる闇夜の風景へと変わり、また冷え込んだ空気が辺りを包むようになっていったのだった。
私は富山に宿を取った。翌朝の富山は大雨でも大雪でもない大みぞれ、窓から見ている分には大粒の白い雪のようなものが大量に舞ってきれいなのだが、外に出てみれば白い粒は確実に体を塗らしてくる。昨日に比べれば若干上がっていることを感じつつ、私は高山線の列車に乗り込んだ。大きく白い粒は大量に富山の空を舞い、昨日ほど真っ白という印象は受けない田畑や住宅街、呉羽山をこれから改めて白く染めようとするばかりの意気込みを感じるほどだ。西富山を過ぎると車窓にはまた広々とした白い農地が広がるようになり、大粒の雪はますます元気を増していく。もやも立ち込め辺りは白一色になり、立ち木や建物など白でないものが、辛うじて風景に変化を与える。
私は越中八尾駅で列車を降り、大雪の中、市街へ向かって歩いてみた。富山よりも気温は低いようで、服についた雪もすぐに融けてしまうようなことはない。しかしあっという間に傘を真っ白に染めた雪は、ずっしりとした重みを腕に与える。雪というものが重みのある物体であるということを、雪の少ないところに住む私はおそらく初めて認識することになった。しかも車の往来は激しく、積もった雪を容赦なく吹き飛ばしていき、シャーベットになった路面はあまり歩きやすくはない。道にはしばらくどこにでもあるような商店街が広がるが、大きな井田川を渡ってしばらくすると大きな寺院があり、八尾の市街地はこの寺の門前町として、ここからが本当の街並みといわんばかりに駅とは反対側に連なっていく。街並みには春に高山で見たような、窓に細い木がたくさん渡された黒い木造の古い建物も多く残り、黒光りする壁の上に乗る屋根にはやはり大量の雪が蓄えられていて、黒と白の入り混じる街並みを作り上げる。
ときどき建物の隙間からは、かなり低いところに白い農地や、白い河原の風景が垣間見られる。実はどうもこの街は井田川の河岸段丘の上に乗っているらしく、坂の街を謳う絵や展示もそれなりにあるらしい。市街を載せる段丘のへりには、この街で5月におこなわれるらしい曳山祭りに関する展示館がある。曳山そのものは春に高山でも見た背の高い山車で、細かなところの装飾にも金を使っている贅沢な感じのものだ。この八尾は生糸の生産が盛んで、富山藩のドル箱とも言われた土地らしく、曳山の装飾もこのような土地柄を反映しているという。
メインストリートから1本裏側に入った諏訪町通りでは、石畳の道の両脇を黒光りする古い家並みが固める。積もった雪が溶けて水浸しの石畳は歩きにくいけれど、顔を出した太陽に照らされてきれいに輝き、黒く落ち着いた雰囲気をよりいっそう引き立ててくれている。そして鏡町の市街地には、有名なおわら風の盆に関する展示館があった。9月の二百十日前後におこなわれるおわら風の盆では、胡弓を使う独特の音色にのせられて、たくさんの人々が明け方まで踊り明かすのだという。この八尾の雰囲気を求めてたくさんの文化人がこの街に移り住み、彼らによってたくさんの七七七五調のおわら節が残されてきたらしい。今は雪に閉ざされてしまった感のあるこの街だが、祭りのある街はどことなく、そうでない時期にも楽しい雰囲気を秘めているかのようである。
段丘の上に広がる古い街並みを一通り回った私は、古い建物の間の路地に入って、雪にまみれた坂道を段丘の下に降りてみた。そこには、細い路地が交差する混み合った街並みとは違う世界が広がっていた。高台に並ぶ市街の建物の下は雪をかぶった丸い石で構成される黒い石垣で固められ、その石垣の下には、黒く広くゆったりした流れの井田川を中心にした白い河原が広く広がり、日の光を浴びて明るく輝いている。建物がせせこましく立ち並ぶ陰鬱になりがちな黒い街並みとは完全に異なる、白く明るい世界が石垣の下に広がっている。八尾の古い市街地もいい街だとは思うのだが、その門前町の雰囲気からは完全に独立しているかのように存在するこの河原の明るい雰囲気、遠くの山並みに抱かれて悠々と流れていく井田川の穏やかさ。この二つの風景のギャップに、私はこの八尾という街の面白さを見出すことができたような気がした。靴をぬらしながらいろいろ見て回っているうちにすっかり晴れ上がってしまった空のもと、来た時とは比べ物にならないほど歩きやすくなった道を越中八尾駅まで戻りながら、私はこの街のいろいろな風景を見ることができた喜びを感じていたのだった。
午後になり、私は名古屋ゆきの特急ワイドビューひだ号で家路についた。席がハイデッカー状態で、巨大な窓には雪に染まった富山の広々とした田畑や雄大な山並みが代わる代わる映し出され、この真っ白い世界をすべて独り占めにすることができたかのような錯覚を呼び起こしてくれる。列車は笹津を過ぎると、神通峡へと進んでいく。山肌の杉の木に乗ったままの雪は、まるで山が黒地に白の水玉の服をまとっているようだ。そして麓には真っ白に塗られた平地が山並みに沿って延びていく。猪谷を過ぎて県境に差し掛かると、山肌は杉よりも落葉樹がメインになって、裸の木はシースルーの肌着のように地肌に積もった真っ白な雪を見せる。そんな険しい山並みは線路近くにまで寄り添ってきて、人工建造物のほとんどない、自然のままの厳しいまでに険しい真っ白の風景を見せてくれるようになった。さっきまで止んでいた雪もまた多量に降ってきて、空も白く、一面真っ白な世界が広がる。こんな風景が本州の中にもあるのだということを知ることのできるこの列車に乗れたというだけでも、旅に出た甲斐があるというものだ。角川、飛騨細江と小さな駅を通過するうちに峠も過ぎ、車窓にはまた真っ白な田んぼの風景が広がるようになる。険しさは薄れてきたけれど、心を洗われるようなすがすがしいばかりの風景は、まだ続いていく。これで雪見酒といければ最高なのだが、残念ながら高山までは車内販売の常務はないとのことで残念でならない。
高山まで降りていく頃には、だいぶ雪の量も少なくなり、もはやモノトーンでは語れない世界になってしまった。しかしそれでも、春に来たときは雪が残っているということだけで驚いたものだったが、そのときの記憶に残る量よりもはるかに大量の雪が残っているし、家や畑には大量に雪が積もって、春に見た風景に白という彩りが加わって見ごたえのある高山の市街を作り出している。車両を増結するために長く停車した高山駅でようやく酒を仕入れ、ようやく私は残り少なくなった雪を見ながら雪見酒を楽しむことができるようになった。
久々野、渚と過ぎていくにつれて雪は急激に少なくなってきて、飛騨萩原まで降りる頃にはもう雪の姿を見ることさえ難しくなった。下呂を過ぎれば雪は完全に消えうせ、中山七里ではむしろ青々とした川が山肌を削り取る荒々しい渓谷の風景が広がった。この時期のこの高山線という路線の車窓は、全く異なる気候の間の変化を大胆に見せ付けてくれるものであるらしい。私はすでに思い出の中のものになってしまった真っ白な山並みの風景を頭の中に思い起こしながら、夜の風景の中を走るようになった乗り継ぎの新幹線の中、引き続きひとり雪見酒を楽しんだのだった。