世間の連休は5日で終わるが、私にはうまい具合にあと2日の休みが残っていた。北の方への旅から帰ったばかりではあったけれども、私はもう1日だけ日帰りで、東武佐野線の沿線へ出かけることにした。
ラッシュが始まる前に出かけたので浅草までの道もすいており、浅草からは通勤と逆の方向に進んでいくことになったので、対向列車を見ては優越感に浸ることのできる快適な急行りょうもう号の旅路であった。北上して行くにつれ建物だらけの風景の中にもだんだん緑が多くなってくる。東北ではそうでもなかったがこの辺りではすでに田植えが終わっているか、あるいはやっている途中であるか。若干季節が進んでいるようである。そして、学校の校庭に集う元気な子供達が、世の中が正常営業に復帰したことを如実に示す。
館林からの東武佐野線は、田圃というよりもむしろ小麦畑の多い風景の中を走っていく。春小麦の黄緑色が、広々とした大地にまぶしい。佐野市駅が近づいてくると、曇天の中にさえうっすらと山の陰も見えるようになってくる。この辺り古い瓦屋根の家が多く見受けられ、公園ではツツジの花がちょうど見頃だ。列車は瓦屋根の間をすり抜けると、前方遠くにそびえる山を目指して進むようになった。だんだん列車との距離を狭める山並みを背景にし、黄色い小麦畑は絵になる。よく見てみると種をまいた時期の違いによるのか、隣り合っている小麦畑でも緑が深かったり黄色かったりと、どれも決して同じ色ではない。
周りを囲む山の中には赤い地肌をむき出しにしたものも見受けられる。針葉樹が多いのかはたまた天気のせいか、東北で見た山並みよりも深い色をしているようだ。そして灰色のセメントの原料が堆く積まれているのが車窓に目立つようになると、列車は程なく終点の葛生に到着した。
降り立った葛生の商店街には古そうな瓦屋根が並び、周りを囲む山のふもとには数多のセメント工場が建つ。そのためかしょっちゅう大型トラックが行き交うのだけれど、街並み自体はとても古い建物が多くあって、趣のあるものになっている。「葛生原人」が発掘された土地といい、中心街は「原人ロード」と名付けられている。原人発掘跡地なるものが市街のはずれにひっそりとしている。モニュメントだけの存在だが、こんな岩がごつごつした川沿いの土地に座り、古代に思いを馳せるのも悪くはない。
私は古い建物の並ぶ街の中にしばらく足を預けた。月曜日にあたるためか文化資料館という施設は休館であったけれど、ロビーだけは開いていて、アンモナイトの化石やフズリナの化石に手を触れることができる。セメントすなわち石灰岩の取れる土地とあって、化石の類も多く出てくる土地ということなのだろう。学生実験でフズリナ個体の化石を扱ったことはあったが、黒い岩の中に大きな白いゴマのようなものが点々と固まっている様は圧巻でさえある。
原人ロードの末端には嘉多山という小山があり、公園として整備されていた。フズリナの化石も含まれている石灰岩がふんだんに使用されているというのはここの土地柄ということなのだろうか。そんな階段道を上っていくと中腹には原人ステージと呼ばれる、古代住居をモチーフにした建造物を中心とした広場があり、さらに遊歩道を上り詰めたところには展望台もあった。日が射してきて辺りは暑いくらいであったが、森を通り抜けてくる風は涼しく快い。葛生の街並みを構成する建物達は周りを山で囲まれた中にひしめき合うように存在し、その縁ではひときわ大きなセメント工場が煙を上げている。工場の音は辺りに響くけれども、奥の方まで連なるかすんだ市街は、今まで見てきた古い街並みの集合体として、きわめて素朴なたたずまいを見せていた。
私は葛生駅から佐野線で折り返し、今度は佐野を訪れることにした。昼飯時になったのでさっそく佐野ラーメンというのはお約束の行動といったところか。喜多方系の太麺で、とりあえずはあっさりしているなという印象を受ける。
とりあえず今年の私は厄年であったということもあって、私は佐野厄除け大師を目指すことにした。もっとも私はそれほどそういうことを信じるわけではないので託つけでしかないのではあるが……。どこにでもあるようなそれなりのにぎわいのある街並みの中に厄除け大師はあるのだが、思ったより小さい寺であったことに私は意外なものを感じていた。それでも建物は古く、木々も街の中にしては鬱蒼としているのでそれなりに風格はある。別に特別な祈願をしてもらうこともなく、賽銭だけあげて私はそこを退散した。
佐野市駅から再び列車に乗り、佐野線の起点の館林に戻る。私は館林駅からまっすぐ延びる、新しく整備されたような街並みをしばらく歩いていき、館林城址に整備された緑の多い地帯へと入っていった。辺りは文化会館や市役所、運動公園などが入り、この街のいこいの広場的な存在となっているようだ。その真ん中を貫いて流れる川沿いの道にはツツジが植えられ、ピンク色の花がちょうど満開になっている。しばらく川に沿って歩みを進めると、川幅が広がって沼地のようになった辺りにつつじヶ丘公園と呼ばれるものがあった。
公園の中にはツツジだけでなくいろいろな植物が植えられ、金を払えば温室の中にも入れるのだが、今の時期はだれが何と言おうとツツジなのである。公園の奥の方へ進めば、古木群を始め、ピンクや白や朱色や、様々の種類のツツジがたくさん植えられているのを見ることができる。盛りは全体的に過ぎたところと言った感じであったが、それでも遅咲きの種類は今がちょうど見頃で、そこいらできれいなものを見ることができた。沼を渡る渡し船もあるほか、園内は庭園のように池が配置される。水面に映るツツジのピンクや白の花もまた、池のさざ波に揺れてそれはきれいなものになっていた。
館林自体「ツツジの街」を自称するほどの街で、当地出身という向井千秋さんもツツジの種を宇宙に持っていったという話があるほどなのだが、それだけにこんな公園でなくとも、街を歩いていればそこいらの民家のちょっとしたところにツツジが植えられ、そんなツツジも今ちょうど見頃。私はちょうどいい季節にこの館林という土地を訪れることができたようだ。そんなうれしさを感じながら私はそのまま館林駅から帰路に就いたのだった。