親不知(1993.12.11)


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 臨時列車に格下げになったばかりの中央線夜行列車で松本駅に降り立った私は、まだ闇の中なのに活気の出てきたホームから、大糸線の列車に乗り込んだ。列車が走って行くにつれ風景は白み始め、もやがかかってぼんやりとした中に、安曇野の広大な田園風景が広がっているらしいことがわかってくる。前夜の国分寺は雨だったが、今日も空は晴れない。季節柄雪景色を期待していたが、木崎湖から佐野坂にかかるあたりになってようやく、一面の銀世界とは行かないまでも雪が積もっているのが見られた程度でしかなかった。雪景色には少し早かったかもしれないが、しかしその景色が私にとって今シーズン初めての雪であったことは間違いない。友人の誰もがまだ見ていない景色を、こうしてみることができている喜びを感じつつ、私は列車に身を任せた。


 南小谷で私は列車を乗り換えた。外は雪ではなく雨で、険しい山地の間、列車は姫川に沿ってちょこまかと進んでいく。糸魚川で時間があったので、私は「ひすいロード」という商店街を海岸へ向かった。街の中には所々勾玉のオブジェが置かれ、ひすいと縁のある街であることを示す。海風は強く傘も折ってしまうほど。海岸はテトラポッドで固められ、悪天候のせいで、海も、荒れていた。


 私は北陸本線に乗り、親不知駅に降り立った。風と雨は海岸に出てますます強く、傘もほとんど役に立たない。私は国道を歩きながら、眺められる風景にというよりもむしろ、このような激しい天候に、天下の険の厳しさを感じていた。天険コミュニティー広場というところからは、車はトンネルを迂回するので、人間だけが高い崖の上を進むことができる。全面通行止めの柵は見なかったことにしよう。遊歩道と化した旧道には手すりが設けられている。私はそこから、直下の海を見下ろしてみた。その高さのすごいこと! そして波は激しく、そのそそり立つ断崖にぶつかっている。すごい、激しいとしか言いようのない景色が、そこに広がっていた。こんな道さえなかった頃の昔の旅人は、引き潮になるのを見計らって、波間を縫うように進むしかなかったという。崖には道路の完成を喜びを示した文字が刻み込まれている。この荒波を見ていると、当時の人々の喜びようが、妙に実感こもったものに感じられる。


 そんな激しい風景も、進んで行くにつれ次第に穏やかなものとなっていき、しまいには海水浴場さえ見られるようになってきた。市振宿の入り口には、海道の松というものが取り残されたように生えている。昔の旅人は、東へ向かう人はこれをここから海に降りるという目印にし、西へ向かう人はこれを見て、荒波を越えることのできた喜びに浸ったという。たとえ現代、旅人に忘れ去られようとも、我関せずと自己主張している、そんなどっしりとしたすごさを、私は感じた。


 私は富山県下の宮崎海岸へ足を延ばした。波打ち際には丸っこい石がたくさん。そしてその石が、押し寄せる波に洗われて、ざわざわと独特な音を立てる。こんな風に手荒にもまれるからこそ、こんなにきれいに丸くなるとも言えよう。右手遠くには、さっき悩まされた親不知の断崖がそびえ立つ。根本的に海水浴場として整備されているから、自然そのままというわけではないのだけど、時節柄誰もいない海というのも、何とも不思議な空間……。この海岸ではひすいの原石が見られるという。私は見たことがないから、どれがそれなのかわからなかった。しかしそこいらに広がる名前のない石でさえ、波に濡れて、きれいに輝いていた。


 帰路は直江津に出て、信越本線を上っていった。すでに闇夜になった車窓には、雪が、ちらちらちら……。田圃やあぜ道にも少しではあるが積もっている。もう一つ、私だけの風景が増えている……。冬の旅も、また、いいものだ。


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