大糸線沿線(1993.8.18-20)


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 夏の甲府〜松本行き夜行列車は、小淵沢を過ぎた付近で夜の闇を抜け出す。あいにく外は大雨で、田畑の敷き詰められる山間はガスで煙っている。まれにみる冷夏はこの日も例外ではなく、私は寒さを感じてシャツを羽織った。松本に着いた頃には雨は上がっていたが、どんより曇った街は静かで、これから松本城400 年祭でにぎわうことになる街であるとは信じがたい雰囲気が街なかを満たしている。

 北松本から乗った大糸線の列車は、程なく安曇野の田園風景の中を走るようになった。遠くにそびえる山はガスに煙っていたが、それはそれで優雅な風景を醸し出す。信濃大町の市街を抜ければ、遠くの方にあったはずの山並みは、いよいよ列車に近づいてくる。列車は杉木立の中を進むようになり、車窓には大小3つの湖が立て続けに現れた。細かい違いまではわからぬが、湖岸に立つ家々の姿を反射し、どれも美しく輝いている。そして信濃森上を過ぎると、車窓はいよいよ山がちになって、濁流渦巻く姫川に沿って列車は進むようになった。大雨のあとで流量が増し、その流れには恐ろしささえ感じられる。

 列車の終点となった南小谷から、私は塩の道千国コースへと歩みを進めた。それはとてつもない急坂であった。みるみるうちに高度は上がり、あっと言う間に私は山間の林の中を進むようになった。姫川の濁流の音も心地よいせせらぎ程度の音になってあたりに響いている。所々地下水もしみ出してぬかるむ道やその周りは、背丈の低い草で覆われる。所々に立つ地蔵は、行き倒れになった人の供養のためのものだという。そうなってしまう人がいるということも容易に理解できる急坂を、私は進むしかなかった。私は比較的身軽だったけれども、背中に大荷物を背負ったボッカたちもこの道を通っていたのだと思うと、私はその難儀さにただただ閉口するしかなかった。それはまさに山道で、山登りをしているときと同じように、すれ違う人との挨拶の言葉も自然に出てくる。そんな中で千国番所や牛方宿といった集落が現れた時、私は安堵感さえ感じたのだった。

 とりあえず前山百体観音という、小さな石像がたくさん建つ所で、このコースは一段落つく。ここまで来て、空には晴れ間さえのぞくようになってきた。しかし山の頂は雲に隠れて全く見えず、すぐにでも駆け上がって行けそうな高さまでを覆う。ここは栂池スキー場の麓に当たるところで、禿げ山の斜面にはたくさんのロッジホテルの類を見ることができる。私は近くのバス停から、白馬大池駅に降りるバスに乗った。発車してしばらくすると道はヘアピンの連続となり、目的の駅の姿は見えるのに、なかなかそこまでたどり着くことができない。どうやら私は相当高い所にいたらしい。ようやくたどり着いた駅は、エプロン姿のおばさんが駅員である小さな委託駅だった。駅の周りはといえばかなりワイルドに流れる姫川と、2軒のさびれた土産屋があるのみ。

 私は上りの列車に乗り込んだ。姫川の流れはかなり荒々しく、支流との合流点では水しぶきが一面に飛び散っている。相当おてんばな姫であるらしい。そんな姫川の源流があるという南神代駅で私は列車を降りた。塩の道に比べれば格段に無難な国道に沿って、佐野集落から15分ほど松本方面に進めば、その案内がある。私は森の中のコースにのっとって、姫川の源流を目指した。森の中には確かに、川が流れている。しかしその川に沿って視線を上流の方へ動かすと、その川は唐突に湿原の中に吸い込まれる。正しくは、湿原の中からわき出す3つの水流が、いきなり姫川になっているのである。源流といえば細くなって細くなってというイメージがあるけれども、こういう川の始まり方もあるのかと、私は驚きさえ覚えた。そばの湿原に埋もれるように、「一級河川姫川起点」の標識が立つ。源流から大胆に流れるおてんば姫川ではあるが、さっきの激流に比べればかわいいもので、水も澄みきってさわやかな流れだった。子供はみんなかわいいのだ。

 私は引き続き上りの列車に乗り、信濃木崎駅付近の木崎湖ユースホステルを宿とした。


 翌日、私はまず森城蹟仁科神社という所を訪れた。それは木崎湖の湖岸ぎりぎりに立つ。城の面影はほとんどなくて、鬱蒼とした森の中にひっそりと神殿が建つ。段差のある地面を見た時に、もしかしたら城だったのかも知れないと思える程度のものである。案内板によれば、木崎湖から流れ出る川をせき止め、城は島のようであったらしい。湖面は対岸の山を映し、かすかな日の光を受けてきらめいている。

 稲尾駅付近まで、湖東には湖岸に沿った道が続く。木崎の集落付近では林の中であったが、やがて道の周りには新田が広がるようになった。細長い湖なので、こうしてみると、ゆったりと流れる大河のようにも見えないこともない。湖面だけを見ていると、地面は空の色、そして上方が山の色となり、逆さになって空中に浮いているかのような錯覚を覚える。対岸はこちらとは対照的に、湖岸ぎりぎりにまで山が迫っていて、この湖が断層湖であることをよく示している。稲尾駅から、居谷里湿原へ私は寄り道した。進んでいくと田畑の間だった道はいつの間にか山道になり、私は小川に沿って進んでいくことになった。今の時期、湿原には特に咲いている花はなく、特徴的な、背の低い草、大きなミズバショウの葉、シダなどが、独特な趣のある景色を作り出している。質素でひっそりとした所だ。

 私は電車で簗場まで移動し、中綱湖を訪れた。ここは小さな湖で、一面を視界に入れることができる。一部は湿地化しているのか、菖蒲のようなものや、蓮の葉を楕円にしたようなものが浮かぶ。湖面が狭いために、湖は山の姿だけを映しだし、それなりに深みのある意味合いの深緑色を呈している。

 千国街道沿いに進んでいくと、青木湖はすぐに現れた。道はどんどん高度を上げていき、崖の上から湖を見下ろす格好になった。丸い湖で、ダム湖のようなごつごつした感じはなくて一面に水が広がっているように見える。大きな湖で、広々ゆったりとしている感じがこの湖にある。

 その道は一瞬、湖面から離れた。秋葉岬という所で、周囲は秋葉岬自然教育園ということになっている。曰く、「ここには何もありません。失はれつゝある自然だけです」と。入ってみると、右側の森も、左側の森も、木々の間から水の色が見え、岬への道であることがわかる。終点までは全然遠くなく、何か文字が書いてありそうな石が埋もれるように立ってそのことを示す。本当に自然以外何もないところで、辺りにはセミや虫や鳥の声ばかりが聞こえる。ボートのオールが水面にさざ波をたてる涼しげな音も、わずかに聞こえてくる。

 やがて道は、キャンプ城街、そしてスキー場を控えるホテル民宿街へと入っていった。大きなホテルの建つ湖岸には、杉林の中にテーブルとベンチが備えられる。森林浴、そして何より思索に耽るにはもってこいの場所である。セミの声、そして風も涼しく、心地よい。

 引き続き私は小さな道祖神のたくさん立つ千国街道沿いを進んでいった。湖の北側は冬は全面通行止めになるといい、舗装もされていない。空は晴れ上がり、木々の間からきれいなエメラルドグリーンの水面がかいま見える。左側に壁のように立ちはだかる山をもって、日本海性気候と大平洋性の気候の境となるとものの本にはあった。山奥では何がどんな意味を持っているのか、わからないものだ。道は高度を下げていき、再び舗装されるようになると、間もなく国道と合流した。今まで歩いてきた静かな道とはうって変わって、車の往来は激しい。対岸に今まで歩いてきた道を見ると、ずいぶん長いこと歩いてきたんだなあ、と私には思えてきた。

 間もなく青木湖を一周しようという頃、臨時駅のヤナバスキー場前駅があった。スキー場の入り口の建物同様当然人はおらず、「営業しておりません」のワープロ文字が寂しい。駅舎の中の日めくりカレンダーも4月4日日曜日で止まっている。だが駅の施設は冬のままで、「間もなく列車がまいります」という声が今にも聞こえてきそうな所である。営業期間外の臨時駅、それは、時間の流れから取り残されたような、寂しい存在である。

 簗場駅から私は上りの列車に乗り、海ノ口駅まで戻った。私はここから、木崎湖の北に広がる田圃の中を山の方へ向かった。すぐ近くにあるように見えるのになかなかたどり着けないのは、大きすぎる山と、小さすぎる稲のおかげで、距離感がつかめないからだろうか。私は湖の西側へ回り込んだ。東側と違って高度が少し高く、キャンプ場の間の林の中を進んでいく。湖のすぐそばであるとは思えない道だが、杉林越しには水面が夕日を浴びてきらめいている。湖には、杉林がよく似合う。湖の対岸に小屋のような稲尾駅が現れる頃、こちらの道も湖岸に出た。さざ波が岸に打ち付け、ぱしゃぱしゃと音を立てている。そして海ノ口駅からおよそ1時間、私はようやく朝訪れた仁科神社へ戻ることができた。今日、私はいろいろ静かで美しいものが見られ、近頃続いていた忙しい日々から脱却し、精神的にもリラックスすることができたような気がした。


 旅の最終日は、穂高駅で自転車を借り、私は大王わさび園を訪れることにした。街の中には文化財や道祖神が点在する。アップダウンがなくて走りやすい道を進んでいくと、目的の大王わさび園には程なく着いた。そこではわさびづくめの土産物や、当然わさび畑も見ることができる。わさび田のある風景もそれなりに趣のあるものではあるが、黒い覆いがかぶさって何がなんだかよくわからないのはどうも、面白みには欠けるかなという印象を私は持った。

 私は引き続き街なかを自転車で進み、追分駅の付近から山の方へと向かっていった。道はきれいな林の中、だらだらと緩い坂が続いた。やっとの思いで夫婦岩にたどり着き、私は安曇野の西端の高台を進んでいった。道はたいがい森林の中ではあったが、時々かいま見られるさっきまでいた街並みは、ずいぶん遠くの下の方に小さく存在する。こんなに登ってきたのかと、私は少し感動した。帰りの道はごく平坦で、私は広大な田圃や、時々現れるレンゲ畑の間の道を、きわめて爽快に駆け下りていった。

 私は穂高駅に戻り、あとは、脱却しきった日常への回帰の道を、各駅停車の列車でゆっくりと歩んでいったのだった。


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