2年目の教採旅行は、もともと休みなので休暇を取る必要もなく、その上慣れもあって、より観光色の強い旅となった。長崎は親戚筋が多い土地なのだが昨年は募集がなくあきらめていた土地である。親戚筋が多いということは、行ったこと自体は多いけれども、彼らが観光地とみなさない場所を訪れることがまずないということにつながっている。しかも学生時代の友人も住んでいるところで、試験というよりもこの場所を訪れるということに楽しみを感じていたのかもしれない。収入面での問題があったため、私は17日、昼間の東海道線を普通や快速列車でひたすら西進し、京都から夜行あかつき号の「レガートシート」に乗るという経費節減型ルートで長崎入りすることにした。
翌朝、私はあかつき号を諫早駅で途中下車し、そのまま大村に向かった。九州の夏は当然蒸し暑く、それに追い打ちをかけるように、商店街だろうが森の中だろうが、関東ではあまり聞くことのないクマゼミがシャーシャーシャーシャーと時雨を降らす。そんな商店街を抜け、海に近いあたりを通る大きな道を歩いていくと、やがて緑豊かな公園が現れた。この公園は大村城の跡で、城の建物こそないものの、海を背景に緑の公園の中、石垣の上に立つ真っ白な城壁が映えてなかなかきれいな風景を作り出している。そして、そんな公園を奥にたどっていくと、海へ突き出るような格好の玖島崎へとたどり着いた。海に面したアズマヤに座ると、通り抜ける海風は心地好い。空港が近いので時々飛行機のプロペラの音も聞こえてくるが、一面に大きく広がる海の風景の中での飛行機は、まるでラジコンのようでもあった。
国道を避け裏道を通っていくと、わりと良くある住宅街だったりする中に武家屋敷の古めかしい壁が現れたりする、歩いていて楽しさを感じることのできる街並みを大村駅に戻り、私は諫早駅へ向かった。大村よりもむしろ大きな街並みが広がる駅前から、市内をながれる川に沿って歩いていき、街並みを抜けると大きな緑の丘陵が現れる。これは諫早城の跡地の公園であり、さらに歩みを進めると、公園内の池の上に石造りの眼鏡橋がかかっている。もともとは川の方にかかっていたものであるらしいが、石造りの堂々とした橋は、緑の中にあって美しい庭園を作り出している。あたりは相変わらず暑いけれども、水のある風景は涼しさを醸し出す。
ここまでくるとむしろ島原鉄道の本諫早駅の方が近く、しかもその周りには、諫早駅側とは別に便利でにぎやかな街並みが展開している。私はここから列車に乗ってしばらく下った。干拓の里という極小さな駅からその施設への道は、干拓でできたというのか広々とした田圃の中をまっすぐに進んでいく。干拓の里というのはすなわち、干拓資料館にちょっとした公園が併設されているような感じで、土地こそ広いものの中は見事にがらがらである。ニュースで話題の諫早湾干拓事業についてはあからさまに推進はしていないものの、さすがに反対するようなものは一切見あたらないものだ。ちっちゃい水族館も中にあって、ここならではという感じで干潟の再現展示もあって、ハゼ類やシオマネキがそれは無邪気に跳ね回っていたわけだが……。塩見櫓に登れば、だいぶ遠くではあるけれど、水平線近くに平行にもう一本うっすら線が見えるのが、たぶん報道でギロチンと呼ばれた物体なのだろう。
宿のある、そして翌日の試験会場のある長崎市街までは、長崎本線の旧線を行った。途中までは海の間際、どのくらい間際かというと列車自体が海の上を進んでいるのかと錯覚するほどの海岸線を走っていくが、やがてまったく対照的に、スイッチバックまである山道へと入り、やがて丘の斜面にへばりつくように広がる住宅街へとつながっていく。親戚筋の家がこのあたりにあって、行くときは必ず急な坂道を通っていたものだったけど、その難儀さは車窓からも充分に伝わってきた。長崎市内にとった宿は築町電停そばの真裏が中華街という場所で、食事にも苦労しないぶん恵まれていた。
長崎の試験日程は2日に渡るが、どちらも午前中で終わってしまうので必然的に午後は暇になるのだった。とりあえず宿のある場所に戻ったとしてもどうせまだ入ることはできない。宿は出島跡にも近いところだったので、私はそのあたりをしばらくほっつき歩いていた。歴史の教科書ではおなじみの出島であるが、今は周囲の埋め立て地と同化していて「島」とは呼べない。一辺は今も川に面していて、一部当時の石垣が近くの橋の上からも見ることができる。おもしろいのは残りの3辺に関しても、道路の上にその輪郭線が描かれていて、その線をたどっていくことによって往事の雰囲気を想像する手がかりにすることができるのだ。そして、まさに出島であった領域には、発掘された古いものを展示した資料館や、出島の復元模型であるミニ出島、そしてそれなりに古くかつ異国情緒あふれる建物なども見られ、歩くだけでもなかなかおもしろいところだ。
ここは大波止(おおはと)という桟橋にも近く、各方面への航路の他に港巡り遊覧船も出ており、私はそれに乗り込んで長崎の細長い海へ出た。船は思ったより遠くへ伊王島のあたりまで行ってくれて、その間には、大きな街の大きな港だけあって本当にいろんなものを見ることができる。巨大で厳つい造船所もあればいろんな工場もあれば、古くからの教会やマリヤ様の像や、荒々しい断崖や、たくさんの島や、横たわる船だって小さなものから巨大なものまで。さほど長くない航行時間だけれども、あんなにたくさん楽しめる遊覧船ってそうそうないかもしれない。
夜の入り口にかけて、私は稲佐山に行ってみることにした。目的はもちろん噂の夜景だったわけである。のぼった頃はそれなりに、谷間に広範囲に広がる街並みの様子も見ることができたのだが、運悪く雲がどんどんでてきて、あたりが暗くなっていけばいくほど、何も見ることができなくなっていった。ただ雲がでていたのが頂上だけだったようで、ロープウェーで降りるときにそれなりにきれいな夜景を見ることができたのはよしとするべきだろう。
その翌日は、試験のあと、佐世保在住の友人と合流した。車に乗せてもらい、西彼杵半島の大村湾沿いに、街の中からやがて現れる海岸沿いに北上し、ついには半島の先端である西海橋へたどり着いた。海面からの高さが半端でなく、下を見るのが怖くなってしまうほどだが、真下を見なければ、川ではなく海に架かる橋として広く開けた明るくきれいな海の風景が広がっている。道はここから佐世保市に入るが、市街地へ入るまでにはさらにいくつかの島を渡っていく。そしてやがて入っていった佐世保はさすがに大都市であった。友人は私を九十九島巡りの遊覧船へ案内してくれた。海王というらしい派手な船は、大小多数の島を浮かべる美しい海、真珠も養殖されているきれいな海を、くまなく巡ってくれたのだった。
その日は友人宅に泊めてもらい、ご家族共々手厚いお世話のもと、長旅の中にして楽しい一夜を過ごさせてもらった。そして翌日、私は次の試験地である秋田への旅に出ていったのである。もっとも、ご親切に試験の結果で報いることができなかったのは残念なことではあったが。