教採の旅も3年目に突入……あまり喜ばしいことではないのだが、今年もこれが長旅をするきっかけとなる。長らくこのような身分を続けると、同志は少なくなっていくものだと思うのだが、どういうわけか今年は大学時代の同期と後輩が戦線に加わり、共闘態勢を取ることさえできてしまうようになった(実体は憂さ晴らしと称する飲み会という説もある)。もちろん3人が行程を全く同じくするということではなく、目的を果たした同志たちは次の目的地へ向けて離散することになり、それぞれがそれぞれなりの独り旅へと出ていくことになる。
相変わらず収入は多いわけではないので、今年も九州への道は近畿までの普通列車とそこからの夜行列車である。数週間前、やはり試験で函館から帰る際に初めて飛行機を使ったのだが、離陸時のGにどうしてもなじめず、やっぱ旅はこうじゃなくちゃ、などと車窓を見ながら満足感に浸っていた普通列車から、今年はなは号のレガートシートに乗り継ぎ、熊本に着いたのは試験前日の早朝であった。宿を水前寺方面に取っていたこともあって、私はすぐに豊肥線で水前寺に移動し、ロッカーに大荷物を放り込んだ。こんな旅ももう3年目、だめ押しの勉強も会場の下見も本当はした方がいいんだろうがどこ吹く風、私はすぐに水前寺公園へ向かって歩き出した。
水前寺公園は7時半から開いている。確かに暑い九州ではあるが早朝ならまだましだ。池を中心に広がる美しい庭園にはまだ人もさほど訪れておらず、心地よい風を浴びながらくまぜみ時雨を独り占めにするというのもなかなかいいものだ。私は同じく豊肥線沿いの武蔵塚という駅のそばにある、宮本武蔵の墓もついでに拝んでいくことにした。
今回は周遊切符を使い、鉄道だけでなく一部JRバスにも乗ることができるようになっていたので、私はそれを利用し、内陸の菊池温泉をめざすことにした。発車するとすぐにバスは山道に入り、林の中の高低のある道を田圃やとうもろこし畑を見下ろしながらぐねぐねと、国道もあるのにわざわざ細い道を選ぶように進んでいく。やがて、そんな風景は途切れ、唐突に温泉街が開けてきた。菊池にはそれなりにきれいな街並みに小さい商店街などあったりするのだか、むしろさびれきったような感じもあって、私は温泉だけ入って行くことにした。その商店街の中の一つの店のようにさりげなく存在する温泉銭湯だが、中はそこそこ広く、まだ早い時間に誰もいない中で独り占めする菊池の湯は私を最高に贅沢な気分にさせてくれる。
帰りはただ乗りはできないのだが便を考え、熊本行きのバスに乗り込んだ。そこそこ広い道だったけど、あたりの雰囲気はここに来た道と同じようで、田畑や森林の間ののどかな風景が続いていく。菊池温泉には昔は熊本から電車が通じていたらしいのだが、今は途中の御代志というところでぶち切られている。私はここでバスから電車に乗り換えることにした。私を迎えてくれたのは、何とも奇妙な鉄道だった。御代志のホームの半分は完全にバスのロータリーの一部になっていて、改札口という概念をどうやっても適用できない、駅としてはいい加減な作りなのに、鎮座まします電車は都営地下鉄のお古とはいえ立派な都会仕様のステンレス、しかしワンマンカーで乗り方も降り方もバスみたいときている。そんな熊本電鉄の列車は、か細い線路をごとごとと街へ向かって進んでいく。私は途中の八景水谷(はけのみや)という所で列車を降りた。この近くには、熊本市の水源地が庭園風に整備されている案外きれいな場所がある。曜日の関係で資料館は休館だったが、暑い中たくさんのお子様たちが、服を濡らすのも構わず水と戯れる風景はなかなかほほえましいものだった。
いったん上熊本駅にでてから、私は路面電車に乗り換え熊本城へ向かった。もちろん言わずと知れた熊本の有名所であるが、私がこれまで城というものに抱いていたイメージよりもスケールが大きく、石垣も堂々とし、そして何より中の構造がとても複雑である。興味がないわけではないからいろんなところをくまなく見てみたいという意思はあった。しかし、暑い中疲れた体を引きずって行くようなところでは本当はないのかも知れなかった。
一人目の同志はこの日の昼に熊本入りし夕方宿で合流、もう一人の同志は、なんと翌日、試験日当日着のなは号で会場に乗り込むという荒技を成し遂げここに三人の同志が集った。会場の近くには水前寺公園の水脈とつながっている江津湖の周りに公園が整備されていた。樹木の間を流れ、湖面の上を流れる風を浴びながらの昼休み、試験のできはともかく、のどかな公園には忙中にしてきわめて穏やかな時が流れていたということも、忘れられない。試験が終わると、当日乗り込みの同志はすぐに次の試験地へ、もう一人も翌早朝には旅に出て、翌日の私はまた、独りの旅路へ戻ることになった。
私は天草諸島へ向かうべく、三角線の列車に乗り込んだ。宇土半島に入ると列車は海沿いに出て、晴天に対岸の雲仙が堂々としていた。三角からバスに乗り換え、橋を一つ渡ればすでに島である。もっとも普通に走っている分には別に島という感じはしないのだけれど、天草五橋を一つ一つ渡るときには、川に架かる橋を渡るのと違って、崖などに閉鎖されない広々とした海原が車窓に広がる。ここまではいい天気だったのだけれど、上島に入ってすぐの松島に着いたとたんににわか雨にあってしまった。雨の中の天草五橋巡り遊覧船からは見える空も海も灰色になってしまったけれど、たくさんの島という宝石を結びつけているような天草五橋は、それぞれに個性のある形で、しかしどれも堂々と海原にそびえ立っていた。
引き続き私は、さらに先を目指すバスに乗り込んだ。上島の北側の海岸沿いを西へ進み、瀬戸(せど)大橋で川のように細い海峡を下島に渡った所が、本渡市の市街地である。街の中を歩く限りは、べつに天草の島という必然性を感じることはない、それこそどこに行っても見られるような商店街もあったりするのだけれども、島原の乱の時には血に染まり屍の山が築かれたという石橋、そしてすべての犠牲者を合祀した殉教公園といった史跡を訪れるたび、私はなんとも言い様のない感覚に包まれていた。広々とした本渡の街並みは、海峡の向こうにそびえる上島とともに穏やかに横たわっているというのに……。殉教公園の丘の上には、天草切支丹館という展示施設がある。隠れ切支丹が信仰の対象にしたマリア観音像や、実物の踏み絵、島原の乱で使われた旗の実物や天草四郎という人物の紹介。別に私はキリシタンでもなんでもないのだけれど、目の前に広がる平和な本渡の街並みの下に眠る血塗られた歴史が、妙に生々しく感じられ、しばらく身震いが止まらなかった。
歴史ということを考えなければ、本渡の街並みはきわめて普通である。そんな街並みをしばらく散歩し、帰りのバスに乗り込むときにはだんだん夕刻が迫ってきていた。行きと違い今度のバスは熊本駅、熊本空港への直行便である。もちろんそのまま帰ることもできるが、切符の関係でできるだけ鉄道を使った方が安上がりになる。しかし直行便は三角駅を通らず、宇土半島の先端を三角西港方面へ迂回していく。鉄道との接点は網田(おうだ)という小さな駅だった。熊本行きの列車はしばらくなく、そのかわり三角行きの列車がすぐに来た。網田にいてもらちがあかなそうだったので、私は一駅だけ列車に乗り、赤瀬という駅に降り立った。それは丘の上の森の中にある、網田を小さな駅というならばきわめて小さな駅といわなければならない無人駅だった。舗装こそされているものの歩くのにはあまりに難儀な急坂が、丘の下の海岸線との間を結ぶ。海岸線は海水浴場になっており、海の家のような施設もあるにはあるが、この日は天気が良くなく、ひっそりと静まり返っていた。もちろん夕刻にさしかかったこともあって泳ぐ人は
いない。しかし、対岸の雲仙は、部分的に赤い夕日を浴びながら、静かに堂々と、宇土半島を見守っていてくれたのだった。
翌日、私はまた足を伸ばし、球磨川沿いで遊んでいくことにした。八代から乗った肥薩線の車窓には常に球磨川が寄り添うが、河口近くの大河やダムも、上っていくにつれて現れるようになる荒々しい流れも、高い山の緑色を映して美しく輝く。球磨川下りには人吉から出る清流コースとその続きの急流コースがあるといい、さしあたって私は人吉で列車を降り、清流コースを体験してみることにした。しかし、小さな船に定員一杯詰め込まれてしまい、残念ながら窮屈だなという印象が非常に強く残る結果になってしまった。瀬を渡ったり橋の下をくぐったりする辺りでは涼しい風にも当たれたけれど、九州の蒸し暑さを解消するまでに至ることはなく、急流が名を馳せる球磨川でもこのコースの限りではスリル感はほんの一瞬の楽しみでしかない。激しいのを体験したければ、さらに先を行く急流コースを選ぶべきだったのだろう。清流コースの着地点が急流コースの発地点なので乗り継ぎも考たのだが、金がかかり過ぎるのと、運悪く降りるときににわか雨にあったのとで、今回は断念することにした。私は一旦人吉に戻って食事をし
てから、船で行くはずだった球泉洞まで列車で行くことにした。船の上から川を見るのも楽しいけど、列車に乗って上の方から流れを見渡すのもまた楽しいもの。肥薩線は、私にとって新たに加わった「好きな路線」になった。
球泉洞へはその名も球泉洞駅が最寄りである。確かに直線距離は最短かもしれない。しかし歩いていくのはなかなか難儀で、球磨川が深く削り取った谷にかかる長い橋を渡り、急坂を登り、谷の対岸に小さな駅とその周りにわずかばかりに広がる家並み、そしてそれを取り囲むわずかばかりの田畑とあくまで深い緑色を呈する森林を眺めながら、しばらく歩いていかなければならない。球泉洞というのは鍾乳洞で、炭酸カルシウム、水、二酸化炭素と炭酸水素カルシウムの間の平衡反応によって成長するという原理だったら生徒にこの前たたき込んだばっかりだけど、洞窟に入った私は、やっぱり実物にかなうものはないなと感じるしかなかった。外界とは明らかに違う、湿度こそ高いがひんやりと冷たい空気の中には、つらら状や柱状や滝状や様々な形を現す鍾乳石が、至る所奇妙な風景を作り出している。もちろん通常料金で入れる部分でもいろいろ見られるのだが、ここの目玉は、追加料金を払ってヘルメットと長靴を借りて入る「探検コース」だろう。かがまなければ歩けない道や70度の階段を震えながら進むと、地面の中にこん
なのが!!とただただ驚くばかりの巨大な激しい滝、そしてそこから流れる川を飛び石伝いに進めば、終点にはつらら石や石筍やストローのジャングル。苦労して進んで行くだけの価値は充分あると思わせるダイナミックさ。外に出ればよくある、大きな川の流れる山間の風景なのだけど、地面の下にはこんなにすごい風景が隠されているんだ、と思った時、球磨川下りは楽しめなかったけど私はそれ以上にいいものが見られたような気がしたのだった。
夕刻、私は肥薩線で八代に戻り、鹿児島本線を二駅ほど南下したところにある日奈久という温泉街を訪れた。さほど騒々しいというわけでもなく、しかしそれなりのにぎわいのある温泉街には、100円で入れる公衆浴場もあり、私は九州で得た心地よい疲れをいやすことができた。そして、日奈久特産の竹輪を酒の友に、試験といいながら観光しまくる私を赦してくれた九州の大地に別れを告げ、上りのなは号に乗り込み、ようやく他の同志達と同じように、次の試験のある金沢への旅に出たのだった。