軽井沢(1998.10.14)


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 今年の私は水曜日が休みという、まじめに働いている人から見ればふざけているとしか言いようのない身分であったが、講師として勤務している学校が行事で授業がないなんていう事態になるととても余裕のある生活を送るはめになってしまう。ちょうど手元に、遠方で行われたイベントに参加するために購入した青春18きっぷの秋版のような切符の残りが余っており、またこの時期の軽井沢という土地には学生時代の思い出がたくさん詰まっているという事情もあって、私は久しぶりにこの地を訪れてみることにした。
 学生の頃は軽井沢まで普通列車の乗り継ぎで行けたが、今や軽井沢には新幹線で行くものということになってしまった。碓氷峠を越える路線バスもあるにはあるが、朝のちょうど良い時間のダイヤは感涙ものの過疎、というわけで仕方なく高崎から軽井沢までだけ、初めて長野新幹線を使うことになった。あのころはゆっくりゆっくり走っていた列車も、いまでは長い長いトンネルをあっさりと通過してしまう。そんなこんなで、あのころに比べればはるかにあっさりと、私は軽井沢に到着した。

 軽井沢駅は霧の中だった。新幹線が来てかえってせせこましくなったっぽい駅前を横目に、私は予約しておいたレンタカーを借り受け、シルバーのデミ男くんとともに出発した。雨降りに霧の立ちこめる中の旅にはなってしまったが、白糸ハイランドウェイの木々はぼちぼち紅葉が始まっていた。天候不順で今年は色づきはよくないほうらしいという話を聞いていたけれど、なかなかどうして、きれいな風景が展開する。天気のせいも季節のせいもあるのか、どの道行ってもめったにほかの車など来ないのをいいことに、私はしょっちゅう一時停止してはカメラのシャッターを切っていた。

白糸ハイランドウェイ

 私はデミ男を北軽井沢方面に向かわせ、行ったことのなかった町営鬼押出し浅間園に行ってみた。コクド系のほうは行ったことがあったのだが、そっちにくらべて、遊歩道がより遊歩道らしいという印象を私は受けた。溶岩の上に立つ紅葉の木々も、霧の中に幻想的な風景を作り出している。

鬼押出し浅間園

 私は思い出をなぞりに、北軽井沢の中へ車を進めた。北軽井沢といえば別荘地でもあり、小学校の林間学校に使うような施設もあったりする。学生の頃、私はそんな小学校の移動教室の世話をするバイトをする機会があったり、また別の機会には仲間と単に遊びに来たりといったことがあって、この北軽井沢という土地にはたくさんの思い出を持っている。それもちょうど、今くらいの季節に。あのころと比べて、泊まった貸別荘の名前だとかよく使った店の場所だとか、微妙な部分で変化もあって、時の流れには勝てないものもあるのかもしれないなあ、なんていう感慨にも浸っていたが、それでも豊かな自然の中にたたずむ閑静な所という大筋の部分は変わってないということに私はとりあえず満足しつつ、再び車を走らせた。

北軽井沢

 私は長野原から万座鹿沢口方面へまわり、そして鬼押ハイウェイへと進んでいった。鬼押出し付近の、まるで西部の砂漠に来たかのような風景も、今日の霧の中にはよりいっそう幻想的な風景になっている。万山望、千ケ滝から、軽井沢高原教会付近の、もっとも軽井沢らしいと思う並木道に寄り道しつつ、私は一旦中軽井沢駅に下った。軽井沢駅のほうはだいぶ変わった気がしたけど、こっちのほうは本当に昔のまま……よく使ったお土産屋の類も全て健在……で、何となくほっとするものを私は感じていた。

鬼押ハイウェイ 中軽井沢

 一旦西に進み、追分宿の雰囲気を車窓からかいま見て、私は新軽、旧軽に戻り、旧碓氷峠方面へと車を進めた。ここを訪れるのは私にとっては初めてだったのだが、さすが峠の道、距離はそんなにないものの急坂と急カーブの連続の薄暗い道が続く。上り詰めたところに神社があって、そこが長野と群馬の県境となっていた。すなわち、神社への石段から本道までが県境にまたがっていて、石段の左側の史跡には長野県教委の、右側のには群馬県教委の説明がついている。境界線マニアにはたまらないかもといった感じなのだが、それを除いて考えれば、薄暗い小さな、素朴なお社がたたずむのみだった。

 横目に見た旧軽の人通りのにぎやかさには、季節外れでも軽井沢は軽井沢なんだなあなんていうあきれにも似た感情を抱きつつ、私は軽井沢駅に戻り、今日のパートナーのデミ男くんに別れを告げた。今日の走行距離は122.9 kmということだった。

 外には夕闇が訪れつつあった。天気は最後まで悪いままで、雨こそ止んだものの霧が晴れることは結局なかった。しかしながらそんな霧の中に、駅前ロータリーの街灯が散乱し、どことなく幻想的な風景を作り出していた。私は峠を下りるバスに乗り込んだ。薄いバイパスをカーブを繰り返しながら走っていくので、明るいうちであれば紅葉もそれなりにきれいに見られたのかもしれないけれど、すでに車窓には何も現れない時間になってしまっていたのだった。


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