その日は私にとっては成人式であった。しかし私は、どうもお仕着せの式典に出る気が起きなかった。突然子供から大人になったような感覚を押しつけようとする式に出るよりは、大人になるという意味を自分なりにじっくりと考えてみたい。私は、そのヒントを雪景色に求めることにした。大人になるってどういうことだろう。成人式に出なくても、大人になれるだろうか。私は松本夜行の旅人になった。1ヶ月前のこの列車に比べ、連休にかかるせいか、客は多いし、スキーヤーとおぼしき人もたくさん乗っていて、山男山女の大量下車の見られる茅野を過ぎても、客は減らない。
松本から急行ちくま、そして長野から飯山線に乗り継ぎ、しばらくするとようやく、辺りはだんだんと薄明るくなってきた。千曲川の川岸には、モノトーンで厳かな銀世界が広がっている。これから私はいくつの「初めて見る風景」を見ることができるだろう。自分だけの世界、初めて見るものを蓄積していく過程のことを、もしかしたら、「大人になる」というのだろうか。
途中下車した飯山は、完全に雪の街だった。史跡巡り遊歩道という名の小径が、山の麓を縫っている。私は足を膝まで埋めて、小径に積もる雪と格闘していた。昨晩冷え込んだのか、雪は固く、ふかふかというよりもざくざくという感触を私はスノトレの底に受けていた。関東育ちの私にとって、スキー場ではない普通の道で、こんなふうに雪を踏みつけて歩くということはあまりなく、その感覚に、私は感動すらしていた。
北飯山駅から再び列車に乗り込み、戸狩野沢温泉駅でバスに乗り換え、私は野沢温泉を訪れた。いい天気になり、陽はあちこちに反射し、明るく、暖かい。私は至る所に坂のある温泉街の中を、そぞろ歩いていった。公衆浴場もたくさんあり、建前上宿泊者は無料で入れるというので、私はそのうちのいくつかで暖まっていった。行き交う人は誰もがスキー装備である。雪やスキーに関係ない、この街自体の持つ見どころもあるらしかったが、それは雪のない時のほうがひょっとしたら楽しめるのかも知れない。私はただ、雪の温泉街の雰囲気を味わうこと、そして雪と格闘することで、新たな経験を積むことに終始することになった。
戸狩野沢温泉駅に戻るバスからの温泉街の遠景も、それはそれで見応えのあるものだ。夏、田圃や畑であると思われる部分は、こんなに白いものがあっていいのかというくらい、真っ白だった。果たして、汚れたものの上にきれいに白いものを敷き詰めることができるようになる、というのも、もしかしたら、大人になるということなのだろうか。それとも、見た目はきれいだけれど、雪のように恐ろしい存在が、大人だということなのだろうか。
私は戸狩野沢温泉駅から再び、列車に乗り込んだ。天気は変わりやすく、雪は時折激しく列車に吹き付けてくる。大人になるということはもしかしたら、荒れ狂う雪の粒一つ一つが、地面に積もって動かなくなる過程のことなのだろうか。積もった雪は日差しを強く反射し、トンネルを抜けた直後にはまぶしささえ感じる。大人になるということを、古典的に「子供時代の死、大人の誕生」ととらえれば、このまぶしさは新しい世界に対するとまどいと等価である。しかし私自身、突然子供から大人になった覚えはない。そんな感覚を押しつける成人式を嫌って旅に出たのだが、結局はこのような感覚から、逃れることはできないのだろうか。飯山市を抜けて若干その量を減らしたように見えた雪は、新潟県に入り、また多くなった。このように、適当に大と小を使い分けるのも、大人なのだろう。
乗っていた列車は十日町止まりだった。私は外に出て、十日町市緑道という道を少し歩いてみた。緑道とはいうものの、それは雪に埋もれて真っ白であった。なんてことのない道ではあるが、市街地へショートカットするように、駅裏に広がる畑の間を、妙な曲線を描いて延びている。地図上で見れば、まるで鉄道の廃線跡である。しかしこれが、本当に廃線跡なのか、もともとなんという鉄道だったのかを示すモニュメントは一切、残っていない。廃物利用、そして、寝た子を起こさない。これも、大人のなせる業か。
十日町から乗り継いだ列車でも、車窓には広々と真っ白の雪のじゅうたんが広がった。これを思い切り踏みつけたり、寝ころんだりして、足跡や人型をつけてみたい。誰しもがそう思うことだろう。自己の存在証明を残したいがために……。終点に近づくにつれ、険しさよりも開放感の目立つ車窓へとだんだん、変化していく。そんな風景に、私は何となく、安堵感を感じたのだった。
越後川口から私は上越線に乗り換えた。大河信濃川に沿い、そこにはダイナミックな風景が広がっていた。私はこの線には夜しか乗ったことがなかったので、これも私にとっては初めて見る風景である。結局は、新たな発見を積み、いろんなことを知っていくことが、大人になるということなのだろう……。
私は小千谷を訪れた。駅前は正直いって寂しい所なのだが、信濃川を渡ると、辺りは一転にぎやかになった。私は市内の高台にある船岡公園に登った。雪をかぶった街並み、そしてそれを取り囲むようにそびえる、白と黒の山並み。見晴らしは、なかなかよかった。川の両岸のにぎわいは、日が暮れてくるにつれて顕著になってくる。本町のアーケード街は照明がぎらぎらとしていたが、駅側の方は、今一つ。これだけ駅と街並みが離れていると、小千谷の街の正体を知らずにここを立ち去る旅人も、少なくないような気もする。
私は夜の闇の中、家路についた。今日は、大人に関する様々な定理が得られたような気がする。これらの中には、自分自身がなりたいタイプもあれば、そうでないタイプもある。これからの人生、これらをうまく取捨選択していくことが課題だ。それがわかっただけでも、私は旅に出た甲斐があったと思う。成人式になんか出なくても、どうやら大人になるということに関する考察をすることは可能らしい。もちろん雪景色のきれいなものも見られたし、温泉で極楽気分に浸れたので、言うことはない。