伊賀・甲賀(1999.3.29-4.1)


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 数日前に流氷の北海道から帰宅したばかりではあったが、その時に使用した青春18切符にあまりがあった。他に引き取り手もいなさそうだったので自分で消化することにしたのだが、その行き先に選んだのは、忍者の里としてあまりに有名な伊賀、甲賀。私が好きなテレビアニメの影響であるのはいうまでもあるまい。この方面で青春18切符とくればムーンライトながら、と言いたいところだが、思い立ったのが出発直前だったため残念ながら満席、しかしながら多客時運行の臨時大垣夜行は意外にも空席もだいぶ目立つ様相で、夜の東海道線を、本物のムーンライトながらとの追いかけっこを楽しむかのように下っていく。それにしても、季節的には春とはいえすきま風はまだ冷たく、北海道の列車の二重窓がうらやましくさえも感じられた。もっとも東海地方の桜はちょうど見頃にあたり、窓に広がる朝焼けとともにきれいな車窓を作り出す。

 私は早朝の名古屋で関西本線の列車に乗り継ぎ、住宅街や四日市の工業地帯、そしてそれ以降車窓で優勢となる田圃の風景を見ながら列車に身を任せ、亀山でさらに関西本線を下る列車に乗り換えた。発車すると、列車はどことなく懐かしさを誘われる、昔話に出てきそうな里の世界へと進んでいく。雑木林の丘は点在し、その合間は田圃で埋め尽くされ、古そうな瓦屋根の家も並ぶ。小川があればその周りには茶畑や笹やぶが見られる。やがて列車は「加太(かぶと)越え」と呼ばれる難所にさしかかる。丘は山と化し、表面を埋め尽くす杉林とともに列車の間際に迫ってくる。小川も渓流と化し、荒々しい川原石を露呈する。いくつかのトンネルへ出入りを繰り返し、車窓は再びもとの落ち着いた里の風景を取り戻す。加太駅を過ぎると、列車は田畑と家並みを見下ろす高台を進んでいく。杉や檜などの常緑樹が優勢で深緑色を呈する森は、先日の北海道の、すっかり葉を落としきって茶色になり地肌の雪も丸見えの森とは全く別の物であった。

 関西本線にも伊賀上野という駅はあるが、伊賀上野の街とはかなり離れており、その間は近鉄のローカル線で結ばれる。ひたすら田圃の中をいくが、それなりに規模のある街でありそうなことは、街の外からでも充分にうかがえる。私は市街地の端の西大手という小さな駅で列車を降りた。歴史のある街ゆえ、市街地の至る所に小さな見どころが点在しているようなのだが、スタンプラリーが企画されているなど、それらをいろいろ見ていってほしいという地元の人々のがんばりもかいま見える。たくさんの見どころを自分の中で整理する意味も込め、私もスタンプラリーに参加しながら街を巡ることにした。西大手駅からほど近い住宅地の中には、伊賀越資料館という、日本三大仇討ちの一つであるという「鍵屋辻の決闘」に関する資料を集めた小さな木造の建物があった。すなわち、弟を河合又五郎に殺された渡辺数馬が、荒木又右衛門と組んで又五郎を倒したという事件らしい。そして資料館の建つ場所こそ、その事件の現場なのだという。恥ずかしながら私は日本史には明るくなく、このような事件についてもこの場所を訪れて初めて知った次第なのだが、もっとまともに日本史を勉強していればいろ んな場所をより興味深く訪れることができるのかもしれないなあ、などと私は思ったりもした。

旧崇廣堂 西大手駅から上野市の中心に向かう方向に少し進むと、旧崇廣堂という、昔の藩校を復元した建物があり、中に入って当時の雰囲気を味わえるようにもなっていた。このあたり、藩校時代の名残なのか現代に至っても様々な学校が密集している。その中を歩いていくと、やがてお城の異様に高い石垣が現れてきた。その石垣の内側が上野公園の領域となる。敷地には桜の木もたくさん植えられ、ようやくほころびはじめた桜の花は、あとわずかでここが華やかな花見の場所になろうことを予感させる。中心部には高い天守閣も存在し、城の中の展示こそありきたりであるものの、最上階からの見晴らしは、それはすばらしいものだった。周りを山で囲まれ、狭いわけではない城下町をさらに広々とした田圃が取り囲んでいる様が一望の下になる。そして、住宅地に密集する古めかしい瓦屋根も、この街の歴史の古さを雄弁に物語る。

 私は上野公園の敷地の中にある、伊賀流忍術博物館に入場した。無論これが私にとってのこの日のメインイベントである。中に入るとまず、どこからか移築してきた忍者屋敷の実物の中に通され、忍び装束を着た人が、客の中から選んだ子供とともに、建物の仕掛けを説明してくれる。どんでん返し、隠し階段、刀隠し、どれも意表を突く鮮やかな仕掛けだ。その奥に続く体験館、伝承館では手裏剣、鎖鎌、しころなどの忍具類の展示や忍者という存在についての解説などが充実している。私にとって漫画やアニメの世界の話でしかなかった忍者という存在が、妙にリアルに感じられるようになり、おもしろいものだった。

上野公園 上野公園の森の中には他にも、当地出身の松尾芭蕉に関する記念館などの見どころがあるし、公園の中だけでなくその周囲にもいろいろなものがある。私は近くのだんじり会館を訪れた。この地で10月下旬に行われる祭りを紹介する施設であるが、館内にはだんじりと呼ばれる巨大な山車と参列者の衣装が展示され、さらに常にスピーカーから祭囃子が流され、いつ訪れても祭りの雰囲気に親しめるような感じになっている。極め付きは大画面に映し出される、祭りを含めた伊賀上野という街の一年の紹介であろう。歴史のあるところも、祭りでにぎわうところも、いろんな場面が映し出され、実際に街の中を歩きながら得られるなかなか味わいのある街だという感情をさらに増幅させてくれる。

 上野公園は近鉄の上野市駅にもほど近く、その駅の近くには、当地の伝統工芸の一つである伊賀焼に関する施設もあった。1階は売店、2階は有料の展示館というスタイルである。ただ見せているだけといえばそうなのだが、伊賀焼自体の重量感には圧倒させられる。サービスで出てきた茶の湯呑に始まり、あらゆる陶器は厚みがあり、土色をしていて、今まで私が見てきた様々な陶器の中でもっとも重厚な感じがする。2階の展示品は出土品も含む昔の壺や茶器、1階で売られているものはその現代版とも言うべきティーカップやスプーンなどという区分けもできるが、現代バージョンにおいても、この焼き物の重量感という最大の特徴が全く失われていないというのもおもしろいものだ。

 私はさらに上野市の街並みを、近鉄の線路に沿うように歩いた。七つの寺の固まる寺町にせよ、そんな名前があるわけでもないようななんでもない場所であっても、とにかく路地に風情がある。手の届きそうな所にある古めかしい屋根瓦からなる街並みを歩けば、私が生きているのとはまるで違う時間空間を体験しているかのような感じさえ覚えてしまう。そんな市街は名阪国道の高架を南限とする。伊賀のもう一つの伝統工芸である組み紐に関する施設がこのあたりにある。ここも、組み紐の製法に関する展示と、組み紐で作られた刀の下げ緒やら帯、ネクタイ、ループタイから携帯ストラップに至るまでの販売という内容である。あいにく実際にやって見せてくれたわけではないので、製造工程のイメージは湧きにくかった。しかし、製品がどれもきれいに仕上がっていたということは間違いのないところだ。

みのむし庵 私は別の道を通って上野市の中心へ戻った。もっともにぎやかな銀座通りは完全に車道と化した普通の道だったけれど、脇道に入ってみのむし庵のあたりへくればまた、懐かしい街並みに帰ってきたような気にさせられた。みのむし庵も芭蕉ゆかりの場所という。小さな茅葺きの庵の周りにはこぎれいな庭園もあり、「古池や……」の句のもとになったと思われる古池塚なんていうのもある。周囲が古めかしくもそれなりににぎやかな住宅街であったりするのに対し、その中で孤立しているかのような静けさの感じられる場所だ。私は古い建物が独特の雰囲気を醸し出すこんな街並みをしばらくそぞろ歩き、市内のビジネスホテルに宿を取った。所詮は地方都市で商店街の夜はあまりにも早かったが、伊賀牛の牛丼をいただき、地酒を飲みながら私は伊賀の里の夜を楽しんだのだった。


 翌日、小雨の天気の中、もやに煙る伊賀の郷の風景にまた来たいという思いを強くしつつ、私は次の目的地である甲賀への歩みを始めた。近鉄線から関西本線に乗り継いで、昨日の道を柘植というところまで戻る。柘植駅は甲賀の方へ向かう草津線とのジャンクションだから駅としては重要なのだろうが、駅前の街は至って小さく見どころも大してあるわけではない。盆地からそれを囲む山地に入りかかったところにあるため、ここまでの数駅と比較して格段に静かな雰囲気がある。工場や新興住宅地もあるにはあるのだが、その背後にそびえる山々は深緑を呈し、その中に小鳥のさえずりを内包しつつ、そして山腹にガス状になって移動する雲塊を抱えているとなれば、あたりは一気に静寂な、あるいは神秘的な情景に包まれることになる。こんなところに住めたら毎日が静かでよいかも、などと間隔の広い住宅地に私は思いを馳せつつ、私は草津線の列車に乗り込んだ。杉や檜や竹の生い茂る深緑の雑木林の中、列車はいつの間にか三重県から滋賀県へ入っていた。しかし、田圃の中にぽつぽつと点在する古い民家群、遠巻きにそれを囲む山並み、油日付近に広がる街並みのやはり古い味わいといった風景 は、県境を越えたからといって全く変わるものではない。やがて車窓には製薬会社の工場や薬草畑も現れるようになった。このように製薬会社が多いというのもここが忍者の郷であるということと密接な関係があるのだということも、私はあとで知ることになる。

甲南の田園 私は移築された忍者屋敷があるという場所を訪れるべく、甲南駅で列車を降りた。忍者屋敷の近くには前日の上野のような味のある住宅街が残っていたけれども、そこへ至る道は至ってのどかな、田圃の広がる田舎道であった。この忍者屋敷は望月出雲守という忍者の旧宅であるといい、普通の農家のようでもあるが、天井は低く、外からは平屋に見えて中2階、3階の隠し部屋を含む構造をしている。展示物として伊賀の忍者屋敷と違うのは、こちらがそのような仕組みの建物の中を実際に歩かせてくれることによってその仕組みを体感することができるようになっていたことである。見るだけではおもしろくないわけではないけれど、やはり実際に体験できた方がおもしろいし何よりわかりやすい。また、甲賀に製薬会社が多いのは忍者に伝えられてきた薬草の知識がもとになったからだという説明もあった。そのほか忍具類などの説明自体は伊賀のものと似たり寄ったりだけれども、それでも、伊賀のようなあからさまな観光資源というよりもここではむしろ、保存と紹介という意味に重点が置かれているようで、地味な施設ではあるけ れど私はここでの一時を楽しむことができた。

 私はもと来た道を甲南駅まで戻ったが、次の列車まで1時間ほど間があったため、隣の寺庄駅まで歩いてみることにした。道の前半は川によりそい、周囲の田畑と相まってのどかな風景が展開するのだが、やがて、どことなくのどかさを残したまま、上野のような古めかしい味のある街並みの道へと変わっていく。そんな瓦屋根で木造の家並みの中に、銀行が石造りの純洋風建築として存在していたりして、そんなミスマッチもなかなかおもしろい。そして、ロータリー代わりに道の真ん中にぽつんと立つ六角堂の古い建造物も、そんな街並みにより深い味を付ける。商店街は甲南駅側よりもむしろ寺庄駅側の方がにぎやかだったりしたが、寺庄駅自体は無人駅一歩手前の小さな駅で、列車の接近をアニーローリーの音楽がけたたましく町中に知らせる。

甲賀の田園 明け方の雲がだいぶ薄くなり陽もさすようになった頃、一駅だけ列車に乗り、私は甲賀駅に降り立った。駅前にはさすがにこのあたりでもっともにぎやかな街であることが充分にうかがえるような商店街が開けている。しかし基本的に古い建物が多いというところは、このあたりに点在する小さな街並みと変わるものではないようだ。ただ、前日の伊賀上野と大きく違うのは、市街地の範囲がさほど広くなく、しかも街並みから離れれば離れるほど、あたりはのどかな田園の風合いを増していったということだった。土筆も顔を出す道ばたには白いたんぽぽの群生もあったりする、歩いているだけで心が洗われるような一面の静かな田圃の風景だ。そして田圃を抜けると、今度はこれまたのどかな山間の道へと変わっていき、林の中からはウグイスの鳴き声があたりに静かに響きわたる。ひょっとしたら忍術学園の生徒達もこんな道を歩いて学校に向かったのかも知れないな、などと、忍たま乱太郎の世界さえ感じられてしまうようなのどかな風景が続いていく。

梅に囲まれる忍者屋敷 山道の中には忍術村と呼ばれる施設がある。多くの忍たま同人誌の作家さん達が見学記を本にされているので私も存在を知った場所だ。ここは今までいくつか見てきた博物館的な施設とは違い、小規模ながらテーマパーク的に遊ぶことができる施設である。とはいえ中には忍術関係の資料館やからくり屋敷の類もあり、説明を見ながら甲賀の忍術というものに触れることもできる。この中にある忍者屋敷もどこかからの移築なのだが、他のところのも含めて一口に忍者屋敷といっても画一的には言えないものがあるようだ。例えばどんでん返しにしても180度しか回らないのもあれば無制限にくるくる回るものもあるし、隠し梯子や吊り天井だって、ものによってあったりなかったりする。それにしてもここの忍者屋敷が他と大きく違うのは、ここがあくまで一面の山里の中に存在するということだった。城の敷地や住宅街にあるのと違い、山里の中にあるからこそ、農家にカモフラージュした忍者屋敷も違和感なく風景にとけ込むことができるのだ。家族連れの客も多く、のどかな風景を見ながら、「忍たま乱太郎もこんなところで勉強し てたのかしら……」なんていう感慨に浸るお母さんもいたりしたが、私も考えることは同じだった。食事どころでそんな風景を眺めながら、私は「忍術うどん」をすすった。何のことはないきつねうどんなのだけど、「アゲ抜きのきつねうどん」などと言いながら忍たま達はよく茶店でうどんを食べているなあ、なんていう思いを馳せながらの食事もそれはそれでおいしい。別料金ではあるが手裏剣投げや弓矢にも挑戦することができる。いずれにしても、はたから見るよりははるかに難しいもの。こんな学校では私など本当に落第生かも。

油日の田園 忍術村での昼下がりを楽しんだ後、私は甲賀駅から隣の油日駅へ向かった。やはり無人駅一歩手前の、たくさんの桜の木で囲まれたホームを後に、私は油日の市街へ出た。ここも甲賀の街と同じように、駅近くの幹線道路沿いであれば木造の低い瓦屋根の家の続く古めかしい街並み、そして北上すれば、田圃に周りを囲まれて、丘や農家の点在するのどかな田園風景となる。しかしここがそっちと明らかに違うのは、すぐそこに険しい山並みが迫ってきているということだ。おそらくその稜線までが滋賀県ということになる山並みは深緑と茶色のまだらもようでのどかな田園風景を見下ろしている。山あり谷あり田圃ありの道を通い、その中で遊び、学び、成長していく忍たま達の世界にいちばん近いのは実はこのエリアかもしれない、と私は感じた。山並みにだいぶ近づいたところに、油日神社がある。歴史は不明なほど古く、建物も桃山時代以来のものらしいが、拝殿をぐるりと回廊が取り囲み、建材の木も古ぼけた重厚な色となっていて回廊の中はどっしりと落ち着いた感じになり、そして拝殿の背後はだいぶ背の高いコウヤマキの 木に守られている。名前の通り油の神様ということらしく、油の一斗缶が奉納されて山積みになっているなんていうのはご愛敬だが、静かで落ち着いて、昔から時が止まってしまったままでいるかのような甲賀の良さがここにきわまれり、といった印象を私は受けた。天気はすっかり回復してむしろ快晴、しかしだいぶ陽も傾いて、懐かしい郷に長い影を落とし始めていた。

 夕暮れの訪れつつあった油日駅から列車に乗り、私は帰路に就いた。陽はさらに低く、赤みを増していく。朝ガスをまとっていた柘植の森林も、傾いた陽を迎え入れ、はっきりとした暗色を示す。そして、関西本線で再び加太越えを挑もうとする頃、勢いを次第に失いつつある太陽を背後に、入れ替わりで堂々たる満月が正面に現れてきた。寄り添う清流もすっかり弱くなった照明を浴びて、静かにきれいに輝いていた。

 やがて列車が平野を走るようになるころには、あたりはすっかり夜の風景と化し、およそ郷の風景には不似合いなネオンライトに車窓が彩られるようになった。四日市の工業地帯の煙突は盛んに火を噴き、奇妙な形で夜の風景を演出する。私は桑名で途中下車して、有名な焼き蛤をつまみにちょっと一杯引っかけたほろ酔い状態でさらに帰路を歩んだ。そして、青春18の消化でしかも正味ほんの2日ほどの滞在でしかなかったわりにはいろんな楽しい思いをさせてもらった伊賀や甲賀ののどかな風景を思い起こしながら、往き道と違って快適なムーンライトながらの席で、東京までのしばしの眠りに就いたのだった。


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