仕事が非常勤講師のみになった初めての冬休みは他の人に比べて早めに始まることになった。他のはずせない予定もさくさく入って、学生時代のように大胆に遊び回るというわけにはいかなかったが、5日間程予定が全くないことがわかったその当日、私は北斗星の寝台券を買い求め、その日の夜、当然雪などあるわけもない関東から北海道へ向け、慌ただしく旅を開始した。
翌朝目覚めてみると、列車はすでに青函トンネルを越えたと見え、まだ暗いながらも車窓には雪景色が広がっている。降っているわけではないようだったが、草むらや道ばたに、それが当然といった風情で雪が積もっている。静かな海が広がり、雲の切れ間からのぞく明るくなり始めた空に函館山は黒い影を落とし、夜景を形作る街の灯りは遠くに静かにともっている。やがて函館の街に入ると、白くなった屋根をかぶる家並みの間に通る道は凍って光り、いかにも寒そうな風景を作り出す。函館を過ぎると車窓には、白い駒ヶ岳、そして凍った白い小沼が現れる。夏には見たことのある風景なのに、やはり冬の北海道はそれとは全く違う印象を与えてくれる。
長万部を出るとあたりはすっかり明るくなり、車窓には海岸線が続くようになった。列車が線路に積もった雪を吹き飛ばしながら進んでいくので、外はまるでブリザードに見舞われているかのようにも見える。松の深い緑が落葉樹の中にひとときの生をあらわすけれども、深い雪はそれ以上に白く林を埋め尽くす。列車は洞爺という駅で少し長めに停車した。客室からデッキに行ってみただけで、ならされていた暖房が実はものすごく強烈であることが感じられた。ホームに積もる雪も実にさらさらとしていて、手に乗せたとたんにふわーっと融けていった。
常に車窓は雪景色かと思えばそんなことはなく、室蘭や苫小牧付近では雪は極少ない。しかし快晴の空のもと、雪山をバックに広々と牧草地の広がる様は、そして葉のない白樺の林は、北海道の冬のすがすがしい一面をのぞかせてくれる。苫小牧を過ぎ、列車が内陸部へ進んでいくと、雪の量は一転、進むごとに増えていくようになった。千歳空港の周囲も完全に雪に覆われ、白い林と白い街を交互につなぎながら、列車は積もる雪を巻き上げて往来していく。やがて列車は札幌駅へ到着した。陽がよく照って、線路脇に積もった雪からも湯気が上がり、はためからは暖かそうに見えるのだが、降り立ってみるととんでもなく寒く、建物の中の待合所でさえ、吐く息が白くなる。
私はさらに北を目指すべく、旭川行きの特急に乗り継いだ。新千歳空港からやってきた列車は札幌駅で大量の乗客を吐き出すが、その熱気は車内にそのまま残り、メガネを曇らす程の強烈な暖房となっていた。列車は白い国道12号と併走し、白い線路をひたすら北上する。夏のこのあたりには一面に田圃が広がっていたように記憶していたが、その分車窓には異様に広々とした白いじゅうたんが広がり、晴天のもとにあってはまぶしいほどの風景だ。私は旭川の手前の深川駅で下車した。駅前には北海道らしく条里の整った街並みが広がるが、それは完全に雪をかぶり、ロータリーや道路はアイスバーンと化していた。しかしこんな状況であっても、車のチェーンの音は一切聞こえてこない。車のせいで道の雪は引き締まっているけれど、わきに寄せられた雪はあくまで柔らかく、踏みしめればパウダースノーの乾いたきしむ音が響く。このあたりでは当たり前の風景なのかもしれないが、私にとっては全てが不思議な感覚としてとらえられてしまう。
深川からは数年前まで深名線というローカル鉄道が発しており、以前夏に来たとき私も乗車した。本来朱鞠内まで行くはずの列車は土砂崩れで途中の幌加内止まりとなったが、その時、車窓には一面にそばの花が咲き乱れ、幌加内の駅長が「ここのそばは日本一なんだよ!」と誇らしげに語っていたのが私にとっては印象的で、次に訪れるときには是非、という思いがあった。深名線が廃止された現在、この深川からの代行バスは全て幌加内止まりで運行されているとのことで、私もこの代行バスに乗り込み、2度目の深名線の旅に出ることにした。発車したバスは薄く踏み固められた雪の上を重々しく走る。やがて市街地を抜けると、バスは雪景色の白い林の中を進むようになった。人の踏みしめた跡のないじゅうたんを背景に、白くなった木々の清らかに立ち並ぶ、あくまで白い世界が続いていく。鉄道の廃線跡はめったに見られない。それらしい土の盛り上がりが時々あるものの、田圃と一緒に雪にまみれ、境界線もあいまいになってしまっている。白い林の中のカーブの連続する道は、時々白い市街地へ顔を出す。進めば進むほど雪
は深くなる一方で、広がる田畑に積もった雪は、晴天のもと静かにきらきらと輝く。道はやがて川に沿うようになり、幌加内峠というらしい険しい道へと進んでいく。遠くにあった白い山にもだいぶ近づき、バスは本格的に白い林の中を走るようになる。初めて見る雪の峠道の清らかさに、私は感動さえ覚えていた。峠を越え平坦な道に下りても、バス停をも沈める深さの雪は下幌加内の集落を覆い尽くす。最寒の地というフレーズは夏にも聞いていたけれど、この景色を見るとその言葉がより実感こもって聞こえてきた。
降り立った幌加内の街は、快晴ではあるが、ひたすら寒かった。道幅の広い道路も凍結しきっている。国道は除雪が行き届くからまだいいものの、路地はまさに雪の中である。道が広いためににぎやかそうに見えないこともないが探れば実は極小さく静かな街であるというのは、北海道の街としてよくある風景かもしれない。以前降り立った旧幌加内駅の駅舎はバスの待合室になっていたが、無人で屋根の雪も下ろされず、巨大な雪の塊が今にも崩れ落ちそうだ。ホームもおそらくもとの形で残ってはいるのだろうが、つもり放題の雪に阻まれ、ノスタルジーに浸るどころの話ではない。駅前も、にぎわいの中心が国道沿いのバスターミナルに移ってしまったせいか、面影こそあるものの、至って淋しい。私は他に客のいないそば屋に入った。「そば」というものから連想されるよりもだいぶ太くて弾力があるものだったが、何よりもその暖かさがうれしかった。山並みに囲まれる街は、3時台後半にはすでに薄暗くなりはじめる。バスの待合所のある建物には申し訳程度の深名線資料館があるが、バスの長い待ち時間をつぶせるほどのもので
はない。時とともに外は寒さは増すばかり、待合室の人影は確かに増えはするが、そのほとんどは深川に戻る方向のバスの客であり、名寄行きのバスに乗り込んだ客は、さっきのバスに比べれば異様なまでに少ない。
バスが発車する午後4時40分には、あたりは完全に夜と化し、進むバスの灯りのみが雪道を照らしていた。天気も下り坂で、小雪がちらちらと舞い始めている。朱鞠内に近づくに連れ、雪はだんだん強く降るようになってきた。このあたりの人にはどうってことないのだろうが、私にとってはけっこう強い降りに見える。不思議なのは、雪の粒がフロントガラスを避けるように飛んでいき、走っている限り決してぶつかってべちょっと溶けるということがないのだ。バスは対向車もたまにしか来ない、灯りなどないから周りの様子も全く分からない夜道を進む。停留所も滅多にないから、至って孤独な爆走状態だ。名母トンネルという長いトンネルを抜け、最後の峠道を抜け、天塩弥生まで下りると、強かった雪もやはり峠を越えたように見受けられた。ここにきてようやく平野に下りきったと見え、遠くには街の灯りが並んで点るようにもなってきた。天塩川を越えれば名寄の市街地コースになるが、道の脇によけられた雪の量が半端ではなく、そのせいで広いはずの道も狭く見えていた。数週間前にできたばかりという名寄の駅前広場も、早くも雪にまみれていた。
夜行列車を宿にすることにはしていたが、名寄にいたままではとんでもない時間まで起きていなければならないため、私は宗谷本線を旭川まで、普通列車で1時間半ほど、闇の中を折り返した。旭川の街も当たり前のように雪にまみれている。買物公園通りや緑橋通りの街路樹はイルミネーションされていて、なにも見えずともそれだけで大都市なのだということが実感できる。電光掲示の温度計は-7℃を示す。寒いというよりもむしろ、痛いという感覚が正直なところだ。私は深夜の旭川から、下りの夜行列車に乗り込んだ。
翌朝、特に目的があったわけではないが、私は終点の一つ手前の南稚内という駅で夜行列車を降りた。まだまだ夜の闇の中である。北の最果てにきたのだからそれは寒いのだろうと覚悟を決めたら、意外にも空気は生ぬるく、降っているのは雨であった。駅前のロータリーに積もる雪も溶かされてシャーベット状になり、歩くのもままならない。どうやら、最北の地が最寒の地とは限らないらしい。日本海側を走るバス路線で北海道の冬の厳しさを感じる予定にしていた私は、上りの一番列車に乗り込み、バスが発車する幌延まで折り返すことにした。列車が走り出し、7時近くなった頃、ようやく明るくなりはじめた。降っていたのが雨とはいえ、だんだん明らかになってきたのはやはり、厳かにさえ見える白い世界だった。その雪の量たるや、多少の雨ではなくならないということか。一瞬抜海の海が見えた以外は、薄明るい中に真っ白な原野が、まるで起伏のある一枚のじゅうたんのように広がっていく。もっとも木々は昨日みたいに雪をかぶっているということはなくて、このあたりは雨降りが効いているのかなといった感じもする。
幌延から乗ったバスは、とうの昔に廃止された羽幌線の代替バスで留萌までのロングランである。昨日の乾いた音とは違い、バスはシャーベットが崩れるしめった音を立てながら走っていく。海に向かう道道には北緯45度線との交点がある。サイロがあることによってようやく、雪がない季節は牧場になっているということがわかる、白いじゅうたんのみが広がる道を進んでいく。天塩の街並みを抜け、客の多くを下ろしてしまったバスは再び白い原野の中の一本道を進む。海は遠くないはずだがなかなか見えてこず、だいぶ南下して遠別、旭温泉のあたりまで来てようやく、海岸沿いの道といってもよいくらいの車窓へと変化を遂げた。もっとも、予想外の大雨に窓が濡れ、海の風景はよく見えない。海岸沿いの平坦な道ばかりではなく、大沢というあたりではかなり複雑な地形の中をバスは進んでいく。それでも、丘という丘はすべて白く、そんな丘の合間からかいま見える灰色の海も、それはそれで趣がある。海の姿は、初山別の豊岬を過ぎたところでようやくダイナミックに車窓に現れてきた。荒々しく波を立てる青緑色の海は、冬
の日本海の厳しさを残雪と予想外の大雨とともに演出していた。
羽幌町に入るとバスはまた海から離れ、案外な規模のある街並みのいろんな部分を経由したのち、また海岸沿いの旅へと戻っていった。相変わらず荒い波は道のぎりぎりの所まで押し寄せる。苫前という素朴な漁港の街にくる頃になってようやく大雨も峠を越え、窓も乾いて、家並みの合間に広がる大きな荒々しい海をようやく満足に見ることができるようになった。日本海に流れ込む一部の川は凍り付き、その上に積もった雪は川を白い道に変え、私にとってはまたあまり見たことのない風景を作り出す。荒々しい海の中に立つ岩場には黒い鳥の姿も見られる。そんな風景が、苫前町から小平町にかけて続いていく。吹雪に打たれながらの旅になるかという当初の目論見は果たされなかったが、冬の厳しさは日本海の荒波が充分に教えてくれる。小平町内を南下するにつれ、道はまさに崖っぷちになってきた。雨のせいか緯度のせいか雪は少な目なのであるが、すでに風景自体が厳しいものになっているのである。やがてバスは留萌の街の中へと入っていく。降ってくるものはここまできてようやく雪に変わった。しかし、ぐちゃぐちゃになってしまった路面には痛々しいものがあった。
私は留萌の街の中をさまよった。本当は、隣の瀬越駅を目指しつつも道に迷った。しかしそのおかげで、足を滑らせながらも広範囲に広がり比較的にぎやかな留萌の街のいろんな部分を見ることができた。前夜ほどではないにせよ、寒冷前線通過後の風は冷たく、雪も時折激しく打ちつけてきた。ようやく探し当てた瀬越駅は、留萌の街が乗る台地の崖下にあり、まさに目の前に日本海の荒波が押し寄せてくる。普通小さな駅でも大通りには駅入り口の案内くらいありそうなものなのだがこの駅に関してはそんなものはなく、待合室はあれど座る場所もなく、落書きされ放題の駅はかわいそうにさえ見えてくる。私はこの小さな駅から留萌線の列車に乗り込んだ。列車はさっきのバスの続きのような崖下の道を、小さな駅ばかりに立ち止まりながら進んでいく。右手に見える日本海の波はまだ荒く、雪も舞うけれど、心なしか空が明るくなってきた。雄冬とおぼしき山のような海岸線も、前方にうっすらと見えてきた。
私は終点の増毛に降り立った。雲の切れ間から陽がさしはじめて明るくなった増毛の街は、しかし直前に留萌のにぎやかさを見てしまったせいか、どこか淋しいものが感じられる。私は再び街の中に出たが、留萌の時と同じように路面の凍結には泣かされた。海からの風は異様に強く吹き付け、川をも逆流させるほど。雪はもう降ってないけれど、空気はとても冷たい。ユースホステルの隣のエネルギー科学館は開いていなかったが、そこから暑寒別川の方へ回るコースで一通り増毛の街を巡ることはできる。暑寒公園はサケの捕獲、孵化場を遊び場化したもので、インディアン水車も大きいのが実物で見られるけれども、時季はずれのせいか、人影は全くない。暑寒別川にかかる赤く大きな吊り橋を渡れば、リバーサイドパークという公園も整備され、散歩にはもってこいの街ではあるのだけれど、この街の風が冷たいのは、人影がないせいでもあるのかもしれない。暑寒別川の河口付近の海岸にはオロロンラインの展望台というものがあり、近くには当然ながら人影のない海水浴場もある。私は展望台に登ってみた。確かに長い海岸線を
見渡せる眺望はすばらしい。しかし展望台の上の冷たい風のすさまじさと言ったら! 私はやっとの思いで数枚の写真こそ撮ったものの、そそくさと退散するより他の行動をとることができなかった。2時間ほどの滞在の間、強烈に吹き付けた風のおかげで車道の雪は完全に乾き、歩道のアイスバーンは時間とともに硬さを増していった。やがてあたりが早くも薄暗くなりはじめた頃、街中には再び粉雪が舞い始めた。増毛駅のホームに落ちた粉雪は決して融けることなく、風が吹けば再び空中へ舞い上がっていった。
私は増毛駅から留萌本線で深川へ向かった。サンセットラインを自称する留萌線のこと、晴れ上がれば夕日もきれいなのかもしれない。しかし再び現れた雲は厚く、切れ間に少し赤い色がつくのみ。深川に着いたころにはあたりは完全に闇に包まれ、強烈な冷房は、ホームに降りたときの寒さをも強烈にする。私は特急で札幌に戻った。せっかくきたのだからと、私は大通公園に繰り出した。何もなくてもきらびやかなはずの札幌の街は、駅前通りからしてすでに派手に電飾が施され、前日の旭川よりも段違いのにぎわいを見せている。大通公園のライトアップもそれはすさまじいまでの派手さであった。
私は再び稚内行きの夜行列車に乗り込み、翌朝、今度は終点の稚内まで乗り通した。前日は予想外のシャーベットだった道路にも、うって変わってちゃんと乾いた雪が積もっている。道という道はすべて凍り付き、風は冷たく、まさに厳しい冬の風景となっている。私は駅の北側のドーム式堤防のあたりまで歩いてみた。街の中でさえ冷たく吹く風は、海沿いにあって一層激しく、ここも海風の厳しい街なのだということを否応なしに感じさせてくれる。宗谷の海にも荒い波が立つ。一応都市だから淋しいということはないけれど、あらゆるものが冷たく、凍り付いている。やがて空はだんだん明るくなってきた。市街の端にそびえる稚内公園の台地は白い崖となって浮かび上がり、そんな中を歩くことによって改めて、私はここが真っ白な世界であることを感じることになった。
朝がやってきて、街も機能をだんだんと開始させる。私は市内線のバスに乗り、この街の北限のノシャップ岬を目指した。バスの終点の折り返し地点はいうまでもなく、そこから延びる道という道のすべてがスケートリンクと化し、慣れない私にとっては歩くのさえままならない。夏にここに来れば食堂や水族館がにぎわっていたが、冬はすべて閉館、激しい波の音だけが、しかし大音響であたりにとどろき、岬の先の薄暗い海からは激しく冷たい風が容赦なく吹き付けてくる。暖をとるために自動販売機で買った熱い缶コーヒーもたちまち冷めていく。いうまでもなくこんな極寒体験は私にとっては初めてで、私はここに冬の北海道の厳しさの最たるものを感じることができたような気がした。ここからも西海岸の稚内温泉に向かうバスに乗ることはできたが少し待ち時間があり、こんな極寒の世界で長い時間を待つ自信のなかった私は、再び稚内駅に戻ることにした。さっきはあんなに寒く感じた街の中も、極寒の世界を体験したおかげで、不思議な錯覚ではあるが大したことはないように感じられるようになった。
私は市内線の運転手も勧めてくれた稚内温泉を訪れるため、バスターミナルから西海岸周りのバスに乗り込んだ。雪がだんだん強くなり、さっき通ってきたノシャップをもう一度通るころにはもはや猛吹雪につつみこまれていた。岬までは案外にぎやかそうな家並みが続いて行くけれど、岬を回り込んで西海岸に出ると、一転建物のほとんど見えない淋しい風景の中をバスは進むようになる。すぐそこに海があるはずなのに、雪であたりはけむりまくっている。スモークの向こうに何とか見えた青白い海は、荒々しく波を立てている。バスを降りた私は、吹雪という悪魔の手から避難するように、稚内温泉「童夢」の建物に駆け込んだ。そこは最近できたらしい新しい建物で、中は当然、吹雪の荒れ狂う外とは別世界の、広々として暖かい快適な空間だった。露天風呂もあるにはあるが、だれも暖かい室内の浴場から外に出ようとはしない。私は恐いもの見たさで入ってみた。湯に浸る下半身はそれなりに暖かいが、外気に触れる上半身は寒いを通り越し、凍るように冷たい。その温度差には思わず涙が誘われた。
それなりに体も温まった頃、外の吹雪も一段落ついてくれたので、私はバスの待ち時間、海岸へ出てみた。吹雪さえ静まればなんてことのない、淋しげな表情を見せる海である。雲の切れ間には礼文島らしき平たい島が、やはり雪をかぶって見え、利礼を目指すフェリーがその方角へゆっくりと通り過ぎていく。あぜ道に積もった新雪は、あくまでふわふわとしていた。私は市街地を大回りしてみようと、西海岸を通る循環バスのあえて逆回りの路線に乗り込んだ。すなわち、ノシャップ岬経由で稚内温泉までやってきた路線の続きにあたる。天気は回復傾向と見え、雪をかぶった利尻富士の姿も、麓の方からだんだんとあらわになってきた。残念ながらもう少しというところでバスは海岸を離れてしまったが、丘の上に登ったバスの車窓には相変わらず、雪が全面を覆う白い街、そして白い道が続いていった。しかし、丘の上の白い街には住宅地としてそれはたくさんの家や店も並び、西海岸の素朴さ、寂しさとは一線を画する風景である。南稚内駅から稚内の中心を北上するようになるころには、さっきの吹雪が嘘のように晴れ上がり、積もった新雪に光がまぶしいくらいに輝いていた。
時にしてまだ昼過ぎであったが、私の旅はこの夜の北斗星までということになっていた。間に合うように札幌に着くためには、もうこの時間には帰路に就かなければならなかった。私は急行列車で稚内をあとにした。車窓はしばらくは、前日も見た風景ということになる。しかし、また勢いをぶり返した吹雪により外は白く霞み、前日とはまた違った、幻想的でさえある風景が作り出されている。もともとの吹雪と風による地吹雪、そして列車が巻き上げる雪が相まって、時には一面真っ白でなにも見えなくなるほどだ。私は暖かい車内からひたすら、吹雪というもののものすごさに見とれていた。天気は安定しているわけではなく、吹雪が荒れ狂うこともあればすかっと晴れ上がるときもある。ちょうど晴れた頃、列車は天塩川に沿って走っていた。積もる雪の量こそ半端でないが、雪で覆われた山や丘と対照的に灰色に流れる川は、氷を浮かべながら広くゆったりと流れ、単調になりがちな風景に奥行きを持たせてくれる。
名寄、士別と過ぎていくにつれ、外にはまた早い夜が訪れるようになった。白かった風景は、黒みの強い風景へとだんだん変わっていく。当たり前のように目の前にふわふわの雪が積もり舞い散っている風景も、今回はこれで見納めとなった。ほんの3日つきあっただけなのに、またいつの日かみにきたいな、などと私には思えてきた。もともと静かな世界は、こうしてさらに静かな世界へと変わっていった。和寒の駅前スキー場のナイター施設だけは、こんな世界に異議を唱えんとばかり、異様に明るい光を放っていたのだった。
この日の吹雪は札幌にも荒れ狂い、乗っていた列車も到着が10分ほど遅れることになった。私は北斗星のB個室から、引き続き夜の雪景色を眺めることになった。初日にあまり雪のなかった苫小牧のあたりにも、だいぶ多く積もっているようで、この日の吹雪がいかにものすごかったかということを如実に示していた。もっともここまできたころには吹雪はおさまり、空にはきれいな星さえ見えるようになっていた。夜中の3時ごろ、目覚めた私はふと窓の外に眠い目をやった。目の前には鮮やかに、北斗七星が並んでいた。もはや北海道は脱出していてもおかしくない時間であったが、北斗星の旅としてはあまりにもできすぎた締めくくりとなったのだった。