北海道の教採の日程は他の県から独立しているため、重なりを気にすることなく必ず受験することができる。北海道へ就職した友人の招きもあって、2回目の今回は札幌で受験することと相成った。もちろん、楽しみは試験が終わったあとの休暇ということである。一月前の1次試験に引き続いての2次試験への旅路は臨時寝台特急を利用した。この便は朝のちょうどよい時間に函館に着き、そこからは広々とした座席の昼間の特急の趣で、荒涼とした海岸線や馬のたくさんいる牧場や、本当に何にもない原野といった、いかにも北海道らしい風景の中を札幌へ進んでいった。札幌に着いたのは午後になってからで、その後は翌日の試験会場を確かめに行っただけだったが、半袖半ズボンの東京フォーマットでは肌寒いくらいであった。日がまったくさしてなかったという天気のせいもあるのだが、あまりに気候が違う。
試験は翌日の午前中で終わり、あとは夏の涼しい北海道を満喫するのみとなった。午後は野幌(のっぽろ)森林公園という所へ。広大な原生林の片隅が園地となり、森の中にたくさんの遊歩道が巡らされていて、ひんやりとした森の中は鳥や虫たちの世界となる。うまい具合に人工林と自然林の境界が遊歩道になっている部分があって、その違いがわかるような工夫もされている。園内はさすが北海道といわんばかりの広さ、一回で全てを見るのはとうてい無理だった。
園地の部分には開拓の村という、開拓時代の北海道の町並みや農村などを再現した展示施設があった。道内各地にあった建物を移築したり復元したりしたものがたくさんあったが、私が勝手に目玉企画と決め付けたのが「馬車鉄道」である。旧札幌駅舎の復元という入り口の所から園地の一番奥までのメインストリートに狭い線路がなんと複線でひかれていて、その上を、たくさんの鈴をつけられた一頭の道産子が、復元して新たに作ったらしい写真で見るような小さな客車をえっちらおっちら引っ張っていくというもの。
200円払えば乗車することもできる。決して乗り心地はよくないけれど、なかなかおもしろいものだった。
翌日私は、広い広い牧場の中に所々牧草ロールが積まれる風景の広がる石勝線から支線に乗り継ぎ、夕張で過ごすことにした。かつては炭鉱の街だったというが、観光の街への生まれ変わりを目指す努力があちらこちらに見受けられる。夕張駅は町の中心からの後退を余儀なくされていたようだっが、目の前にはレースイという巨大なホテルがあり、その後ろにはこれまた巨大なスキー場が。駅はホテルの正面玄関の片隅にぽつんとあるような感じでしたが、せっかくなら何とかしてガーラ湯沢みたいなスキー場直結の駅にできないものだろうか。駅前のバス停の名前が「夕張駅前」ではなく「ホテルレースイ前」であるというのも、何とも言えない悲しさを誘う。
駅からしばらく歩いていくと、それなりの規模のある商店街へと入っていく。もともと炭鉱に付随していた夕張駅のあったあたりには、炭鉱跡を利用した「石炭の歴史村」という巨大な遊園地ができていた。炭鉱に関する博物館のようなものも中にあるようだったが、乗り物込みのパスポートを買わなくちゃ入れないというのは何とかならんものだろうか。入る気が失せた私はしかたなく素通りしてもう少し歩き、「メロン城」まで足を伸ばすことにした。そこには夕張メロンを原料にしたワインやスピリッツを作っている工場があって、試飲もできる「おいしい」所だった。この城はだいぶ高い所にあって、登れば谷間に広がる遊園地や、その周りに残る、それこそ映画に出てきそうな、青い屋根の集合住宅群が一望の元になる。
夕張駅から2駅戻った清水沢という駅からバスで10分くらいの所(おそらくは
1駅目の鹿ノ谷駅のほうが近かった)に、「幸せの黄色いハンカチ思い出広場」というものがあった。黄色いハンカチが本当にはためく広場にはロケで使った建物が残り、建物の中には、武田鉄也の赤い車の実物が飾られていて、映画のビデオが常に上映されている。売店では出演者サイン入りの黄色いハンカチも売られている。こぢんまりとしたところだが、訪れる人もけっこう多いようであった。夕張の町の中にはためく、よくある「交通安全」の旗、黄色いのだが、やはり映画にあやかっているのだろうか。この広場の近くには、露天風呂のある温泉もある。鉄道で行くには便が悪いのだが、夕張もなかなかおもしろいものがある街だった。
北海道は夜行列車が残っているため、周遊切符を生かせば宿を取らなくても過ごせるという地の利がある。この日は一旦帯広まで出て、札幌行きの夜行列車を宿にすることにした。ところが帯広に行く列車がなかなかやってこない。石勝線の支線と本線の分岐点である新夕張という駅で、1時間50分の予定の乗り換え待ち合わせが、札幌付近での事故の影響らしいのだがさらに40分伸びてしまった。駅のスピーカーからの「お待ちの列車は途中駅を40分遅れて発車しております!」という大音響は、それなりに開けているように見えるが高台の駅からは見渡せる範囲にすべてが収まっている程度の街中にはおそらく隅々に響き渡り、たぶん、夕張市紅葉山地区の住人すべてがこの情報を知ったのではないだろうか。暇つぶしできそうな場所は駅前のスーパーくらいなところなので困りもしたが、そのおかげで盆踊りの花火が見られて、ちょっと得した気分になった。
帯広にはくだんの友人が住んでいて、泊めてもらうことができないということはわかっていたのでその日は彼の手を煩わせるつもりではなかったのだが、電話が通じて、夜行列車が出る時間までつきあってもらえることになった。夜だから何が見えたというわけでもなかったのだけど、帯広から南方への深夜のドライブに連れられ、楽しい一時を過ごさせてもらった。しかし、寒かったこと! もう「涼しい」なんてぬるいことは言ってられなかった。もちろん夜行列車の車内も寒く、熟睡することもできず。
帯広から夜行列車に乗り、早朝の札幌からもう一度帯広に向かうというのは、一瞬奇妙な行動に見えるかもしれないが、これにより宿泊費を浮かすことができる。翌日、休みにあたったその友人と帯広で改めて合流し、彼の車でいろいろ回らせてもらった。帯広という街からどちらの方向へも少しでも離れると、牧場やとうきび、じゃがいもその他いろいろの畑が広がる、いかにも北海道らしい風景へと変わる。「十勝は一番北海道らしいところだよ」と彼も言っていた。帯広市街を北に外れ、しばらく行くと大雪山国立公園の領域へ入り、道も峠道へと変わっていく。峠道を見てみても、生えているのは白樺、巨大な蕗、巨大な笹。そんな山の中に、糠平(ぬかびら)湖と然別(しかりべつ)湖という二つの湖があった。前者は人造湖だが、展望台に上ってみるととても広く横たわる、ゆったりとした湖だった。後者は自然湖で、周りの山が湖面に映えてエメラルドグリーンの美しい色をしていた。両者を結ぶ自然豊かな山道では、私にとって初めて、キタキツネにも出会うことができた。
昼過ぎに再び帯広に戻り、我々は今度は池田という所にあるワイン城を訪れた。ワインの醸造過程を公開しつつ試飲もさせてくれるという有名どころの施設で、人は多いし、日曜日のせいか試飲も安くて味もそれなりのやつで。一度来たことのある友人の勧めにのって食べた「ブランデーソフトクリーム」がとてもおいしいものだった。
池田から戻り、私は帯広市内の友人宅近くの温泉銭湯にまで連れていってもらえることになった。「モール湯」という、黄色い透明で硫黄の匂いのする、やや粘度が高いような感じの、入ると肌がすべすべする湯である。公式には十勝川温泉のものとして有名なもののようだが、同じ泉質のものが市内でも沸いているのだとか。あまりにマイナーな十勝名物、豚の焼き肉に鰻の蒲焼きのたれをからめたようなものがご飯にのっている「豚丼」を夕食にいただき、また時間が余ったといっては夜中のドライブへ……。40分くらい走ったところで、「しみず温泉フロイデ」という施設を発見し、あとの時間は結局そこで落ち着くという、気がついたら観光三昧、温泉三昧の日になっていたのだった。
その夜は昨日と同じ札幌行きの夜行列車に乗り、翌日は札幌から小樽経由、函館本線の山線経由でニセコを訪れた。冬のスキーがあまりに有名な所で、それが災いして観光ガイドにもあまり詳しいことの書いてない場合が多いのだが、沼巡り遊歩道があるらしいという情報だけを頼りに、私はニセコ駅へ降り立った。そこへはバスで1時間程のニセコ山の家という所から入るのだが、イワオヌプリへの登山道を兼ねているだけあって、最初がめちゃくちゃ急な階段で、それから先もごつごつした岩が散らばる急坂が上り下りしていて、「遊歩道」というわりには、遊び気分でいくときついんじゃないのっていう印象も受けた。でも、それだけ危険な思いをするだけ
あって、見られるものはすごいものばかりである。アンヌプリ、イワオヌプリなどの山ははいつでも見られ、白や赤茶色の山肌が露呈し、その周りを背丈の低いハイマツや高山植物が囲む、どっかの砂漠に迷い込んだかと思わせられる風景や、きれいな沢もあれば、背丈ほどの湿生植物の合間をくぐり抜けるような感
じの所も。そんな、歩いていて怖いけどおもしろい道だが、コース上に表れる大沼、神仙沼、長沼といった沼も、広くてゆったりとしていて、アンヌプリやイワオヌプリなどを映して美しく輝いていた。天気も、少なくともニセコ駅を降りてから遊歩道を抜けるまでは、とてもいい天気で、この季節の感覚としては異常かもしれないが「暖かく」、汗も心地好かった。
私はニセコ駅に戻り、長万部に向かってそのまま帰路に就くことになった。帰りの北斗星までは時間があったが、当日ちょうど、駅前では盆踊り大会が催されていた。異様にノリのいいソーラン節やヨサコイにあわせて、子ども会の子どもらが、盆踊りというよりダンスといったほうがいいような感じで、それはたいそう盛り上がっていたのだった。