長崎での教採を何とか終え、友人宅でお世話になった翌日、私は特急、新幹線、寝台列車を乗り継ぎ、次の試験がある秋田へ向かった。22日の朝、私は羽後本荘で途中下車して、羽後亀田からバスで5分くらいのところにある天鷺村というところを訪れた。駅前が田圃しかないような所だったから本当に何かあるのかという感じもしたのだが、バスで細い道を進むにつれ、だんだんと小さな街に入っていった。天鷺村というのは大昔の伝説の豪族天鷺速男から戦国以後の岩城氏、そして現在に至るこのあたりの歴史に触れられる施設で、近くの亀田城跡の城下の土地に、天鷺城という実在したわけではない城を中心に、古い農家や武家屋敷なんかの建物を移築して寄せ集めたような感じである。城の天守閣からは、山に囲まれた田圃の中にこの部分だけ開ける城下町が一望のもとになり、一方は海へ通じている様子も見えている。昨日までの長崎の空気とはまた違って、日向は確かに暑いけれど風はさわやかで、空気も心做しか澄んでいるような気がした。このあたりプラムがとれるらしく、売店にはプラムワインとかプラムシャーベットとか
が並んでいた。どちらもなかなかおいしい。
羽後亀田駅で秋田行きの列車を待っていると幼稚園児の団体が。とんぼが大発生しているのは別にこの駅に限ったことではないようだったが、子どもらは大喜びで、「うごかめだはとんぼのえきだねー」だなんて。列車がやってくると、ホームの下に隠れていたとんぼの群れが一斉にホームの上に避難してきて、もうすごいことになっていた。
試験はその翌日の午前中に秋田市内で行われたのだが、集団面接試験がその2日後に行われるという、観光半分の受験者以外にとっては迷惑千万な日程であり、私にはだいぶ長いフリータイムとなった。さしあたって試験の午後、私はいい格好をしたまま、市内にそびえる大森山という小高い山を目指した。動物園やぱちもんくさい遊園地もあるみたいでそれなりに憩いの場にはなっていたのだが、人込みということはなく、そこそこ快適に過ごせる所だ。道がわかりにくくて困ったのだが、山の匂いも心地好く、頂上からの眺めも上々のものだった。山の方には黒い雲が残ってはいたが海のほうはそこそこ晴れていて、広がる秋田の市街地の奥から海の真ん中まで伸びて途切れる男鹿半島も、付け根から先端までよく見えていた。海風も涼しくて快かった。
その翌日、私にとっては1日フリーだったわけだが、ホテルの部屋にはいられないので、私は秋田市北部の県立小泉潟公園という所で過ごすことにした。男潟、女潟という二つの沼地の周りに整備された、緑の多い公園である。中には県立博物館があって、秋田という土地の、地質学的歴史的双方からみた生い立ちについての展示が充実しており、思いの外楽しむこともできた。そばには水心園という日本庭園もあり、池を中心に緑の広がるなかなかきれいなものになっている。女潟は周囲が2kmくらいで30分もあれば一周できるのだが、葦などの水生植物が密生していて、むしろ湿原と言ったほうがあっている荒涼とした風景が広がる。男潟の方はそんなことはない、広々としたすがすがしい湖だった。こっちの湖畔には県立博物館の分館という位置づけの、旧奈良家という古いけれど重厚で立派な農家があり、中にも上がってみることができる。正直言ってこの日をどうつぶすかというのは私にとって懸案でもあったのだけど、思いの外長い時間をのんびりと過ごすことができて、そして秋田というところの自然と歴史を楽しむことができ
た。
25日の午前中で試験日程は全て終わった。私は秋田大学工学資源学部附属の鉱業博物館という所を訪れた。昔は日本唯一の鉱山学部という名前だったというだけのことはあり、本当にたくさんの岩石や鉱物や宝石や化石が展示されていて、なかなか、石マニアにはたまらないだろうなって感じがした。その後、私は少し離れた土崎というところへ列車で移動し、港に誇らしげに立ち上がるガラスの塔にして展望台でもある、セリオンを訪れた。夕日のころでもいいかなとも思っていたのだが、どうせ暇だし、天気予報がそんなに良くなかったので天気が悪くなる前に行ってしまうのも手かなと思って昼間にくることにしたのである。県境の山の方に雲がかかっているのをのぞけば海側は本当にきれいに晴れ上がっていた。南の鳥海山も、北の男鹿半島も、ここからはくっきりはっきり見てとることができる。土崎は雄物川の河口に開けたけっこう大きな港街なのだが、高い建物が他にあるわけではないので、市街の見晴らしは最高といっても良いだろう。眼下すぐ下に広がる土崎の街や港も、車や船が活発に行き交い、生き生きとした街である
ように見えてくる。
その翌日、私は家路についた。といっても今回は経費節減型ということで、奥羽本線を普通列車でひたすら南下するコースをたどることにした。秋田から乗った奥羽線の普通列車が山形県境の院内止まりでそのあとしばらく次の上り列車がこないという状況だったのだが、院内駅には院内銀山異人館という施設が併設されていたので、私は時間つぶしにちらっとのぞいてみることにした。院内というのは実は江戸時代に発見された銀山にからんで、目まぐるしく繁栄と衰退を数回繰り返し、寂れた小さな集落となっている現在に至っているという歴史を持つ街であるようだ。館内には銀山の名残を伝える銀鉱石や工具や写真の類が展示され、院内駅舎を兼ねる建物自体も銀山町に建っていたというレンガ作りの異人館を模したものになっている。このように立派な駅舎を持つ街ではあるのだけれど、駅の前に広がっているのは、何のことはない、無人駅の周りによくある風景。まさに、「あんな時代もあったねと……」の世界と言えよう。近くの岩井堂洞窟から発掘された土器も展示されており、院内という土地の歴史も少しはわかるようになっている。
しかし1時間半強の列車の待ち合わせ時間をつぶせるほどの規模があるわけでもなく、私は街の中にも少し出てみた。細い道路が、雄物川を数回渡りながら国道まで至り、その道沿いがちょっとした、本当にちょっとした街並みになっている。愛宕神社という、このあたりの信仰を集める大きな神社や、国道との合流点の所には院内関跡という史跡も。日曜日であるということが効いているのか、街並みは静かで、周りを山並みに囲まれ、秋田市では大河であった雄物川も、小川のせせらぎのように快い音を立てて流れていた。
秋田の1次試験は合格することができて、9月に入ってから私はもう一度秋田を訪れることになった。もっともすでに仕事がはじまっていたのであんまりのんびりするわけにもいかず、今度は往復とも新幹線ということになった。試験は土日ということで金曜日の仕事が終わったあとの新幹線で直接秋田入り、しかし会場に行ってみて初めて、私の試験は土曜で終わるということが発覚した。秋田新幹線も当時は編成が短くて必ず混んでいる状況だったので、帰り道がゆっくりできるならと、私は横手に迂回し、北上線経由で帰ることにした。その途中に、湯田という温泉郷があった。
それは奥羽山脈の県境より若干岩手県側に入った所ではっきり言ってメジャーな観光地とは言い難いと思うのだが、数年前ある駅に浴場ができ、ついでに駅の名前までまぬけっぽく変わってしまったということで名前を知っていた次第である。私はその「ほっとゆだ駅」でさっそく朝風呂をいただいた。湯田高原の涼しい風を浴びつつ駅前を散歩なんかしていると、商店には地場産の山菜やきのこの類が、当たり前のように豊富にそろっていた。ここもまた、温泉郷であると同時に鉱山の街でもあるらしく、歴史民俗資料館という名前の施設の展示はほとんど「石」だったりするのだった。行政的には岩手県になるのだが、見る限り秋田の色の濃いところでもある。商店には山菜に並んで、秋田名物の「稲庭うどん」と秋田みそがならび、昼飯に入った飯屋でいいとも増刊号を流していたのは、岩手めんこいテレビではなく秋田テレビというありさまであった。
列車で行くと隣のゆだ錦秋湖駅の近くには「穴ゆっこ」というこれまた立ち寄り湯がある。昔この辺にあった坑道をモチーフにした内湯と、錦秋湖が見える露天風呂があるという宣伝だったのだが、水位が低いのか河川敷が広がるのみで、湖はよく見えない。しかし、ダム湖を囲む山は堂々としていて、そんな風景に見とれているのもそれなりに心地好いものである。缶ビールもうまかった。