98年という年は私にとっては身分上の大きな変動があって、それまでと比較すればはるかに気持ちの上で余裕の出てきた年になった。そこにおいてこのゴールデンウィークというのは、超繁忙期とはいえ久しぶりにやってきた、解放感にあふれる旅のできる機会であると私にはとらえられた。東日本のJRに乗り放題となるきっぷを手にし、天気がそんなに良くなさそうなことを心配しつつも、久々に胸を躍らせながら私はまだ暗い長津田をあとにし、東京駅から北を目指すことにした。
乗り込んだ山形新幹線は、GW後半の初日とあって当然のように混雑している。福島まで高架を淡々と走った列車は福島から地平に下りゆっくり走るようになって、わずかばかりの家並みを抜けると、程なく深い緑の森の中へ進んでいく。トンネルの合間にはリンゴ畑も見られるこのあたり、車窓は初夏の新鮮な緑色に染まっていた。緑とは言っても深い色ではなく、むしろ黄緑に近い、若草色とはこの色のことを言うのかということをまじまじと認識させる、まさに若々しい色に、あたりの山肌は埋め尽くされていた。この時期というのは混雑するのでむしろ遠出は避ける傾向が私にはあったのだけれども、今回のっけから私にとっては衝撃的な車窓が展開している。やがて峠にさしかかると、季節は若干戻っていく。板谷のあたりではむしろ桜が満開となった。このあたり、まだ客車列車がスイッチバックしながらゆっくり走っていた頃には何回か通っていたのだが、山深い風景はそのころと変わることなく存在していた。
米沢を過ぎ、峠も一段落して列車は田圃の中を進むようになる。まだ田植え前で雑草ばかりが若草色の主張をしているが、所々存在する黒く掘り起こされた土地は、まもなくこの辺りが稲の緑に包まれることになることを表している。近くには緑色の丘が代わる代わる現れ、裾野に広がる田圃や森の間を縫うように列車は進んでいく。山形で新幹線から在来線に乗り換え、私はさらに北を目指した。山形の市街を抜ければ再び車窓はのどかなものとなり、田圃や、むしろこの辺りそれより多く見られるリンゴ畑や温室の中を列車は進んでいく。やがて秋田との県境が近づくと車窓は再び山がちとなってきた。杉木立の新緑と落葉樹の若草色の対比は見事なまでで、クマザサやらの緑の中に咲くオレンジ色の花もまた趣のある風景の一部分となる。一口に若草色といっても様々な種類のあることに私は気づかされた。茶色に近い濃い色や、黄色に近い明るい色。いろいろな色があるからこそ、山肌はさらに美しく映える。
秋田県に入って程ない横手という街で、私は初日の大部分を過ごすことになった。天気はやや曇りがちで、歩いているとむしろ蒸し暑さを感じるほど。私はそれなりの規模のある商店街を通り抜け、市役所の隣にある「かまくら館」という施設に入った。冬の横手はかまくらの街としてあまりに有名であるが、そのかまくらをこの施設の中では1年中見ることができるというものである。すなわち外がどんなに蒸し暑くとも、いつでもかまくらにさわることができる二重扉の中はいわば冬のままであり、吐く息も白くなるほど。雪よりも何よりも-10℃の体験ということに意味のある見せ物であるような感想を私は持つことになった。
市役所から舗装のきれいな道を進み、緑川を渡るといよいよ緑の多い地帯へと入っていく。横手の史跡はむしろこの辺りに多く点在するもののようだ。坂を上ったところには「旧日新館」という、もともとはチャップリンの住居として建てられたという建物があるが、洋風といえば石造りという観念があると、木造の洋風建築ということだけでも新鮮味の感じられるものだ。それよりも何よりも未だもって実際に個人の住居として使われているということが驚きであって、それ故中まで見ることは能わない。
そして市街を囲む、鬱蒼と新緑茂る高台を上り詰めたところに横手城址があった。折からの蒸し暑い強風にはうんざりとさせられていたけれど、そのかいあってか展望台からの眺めはすばらしいものだった。遠くの鳥海山と見られる独立峰から続く横手川の周りに横手の町並みが集中し、その背後には田圃が広々とし、城の背面は緑の山に守られる。建物自体再建だろうし大したことはないのであるが、頂上の開放感のすばらしい城だ。
町並みを駅に戻りながら改めて横手の街の様子を私は見てみた。大型スーパーだけで持っているような駅前よりもむしろ、城下の方がにぎやかだし、どことなく味があるような感じがした。道路はきれいにタイルで模様が書かれ、ちょっとした裏通りも、歩くのが楽しい街、それが横手という街であるらしい。
一駅だけ電車に乗った後三年という駅から、案内看板に従い私は「湯ーとぴあ」という仙南の温泉施設を目指した。道の回りには生えている植物の背丈の異様に低い田圃しかなく、寝ぼけ眼で歩いていると宙を浮いて進んでいるかのような感覚さえ。雲はその厚みを増していたが、鳥海はうっすらながらと遠方に堂々としている。「湯ーとぴあ」は町営の複合温泉施設といい、グラススキー場やキャンプ場もあったりするらしく、道具もレンタルしてくれるとのこと。風呂は露天というわけではないのだが、ガラス窓の外の見晴らしは高台にあるためかすばらしく、歩き疲れた足にも心地よい温泉であった。
私は引き続き電車に乗り込み、宿のある秋田を目指した。辺りが薄暗いのはさらに厚みを増した雲のせいか、単に夕闇が訪れているからか。湯上がりの体には外の風も心地よかったけれど、早くも入っている列車の冷房もありがたいものだ。列車は薄暗い田圃の中を淡々と走っていき、やがて夜のやみに車窓が包まれるまで、そう時間はかからなかった。着いた秋田ではとうとう雨が降り始めていた。
2日目(3日)の朝があけても、雨はやむことはなかった。2日目どこに行こうかということは決めていなかったのだが、とりあえず私は秋田県北部の大館というところを目指すことにした。秋田の街を抜けた列車は、八郎潟干拓地の広々とした田圃の中、そして時折姿を見せる杉木立や新緑の丘のそばを北上する。しかしながら空はかすみきって、昨日あんなに鮮やかに見えた若草色も、今日は心なしか淋しい色をしている。東能代、鶴形と過ぎ、白神山地へと連なっていく丘の合間を列車は行くようになるが、霞は雲塊となって低い丘の麓を移動し、むしろ幻想的な山の風景が車窓に広がる。紛れるように存在する八重桜がちょうど見頃だ。
私は大館の街の中へ出た。大館といえばまげわっぱ、秋田犬、比内鶏ということらしく、それぞれなりの展示施設もあるらしかったのだが、詳しい地図をもっておらず探すのには苦労してしまった。秋田犬会館というところには、マタギの時代のジオラマや、有名なハチ公のことや老犬神社のこと、また解剖図や、賞をもらったときの写真など、秋田犬というものに関するあらゆる展示が狭いながら充実している。外には犬舎があって本物の秋田犬が飼われていた。顔がりりしいので秋田犬は好きな犬であるけれども、目の当たりにするととてつもなく大きくて、吠えたてられればものすごい迫力だ。近くの城あとでは大館桜祭りというイベントが行われていた。桜などもはや残っていないというのに。ちょうど今日は秋田犬の全国展覧会なのだそうだ。昼休み時ではあったけれど、全国から自慢の秋田犬とその飼い主が集まってそこいらにテントを張り、大きくりりしい秋田犬がそこここで吠えている。風景としてはなかなかほほえましいものがある。
しかしながら、町並みからはどうも寂しさを拭えないというのが率直な私の感想だ。市役所の付近はにぎやかな街の体裁を整えていたとはいえ、ちょっとはずれるともう、道は広く店も多いのに開いている店は少なく、人通りも車通りもきわめて少ない。東大館駅付近に広がる商店街も、やはり淋しかった。もっともこの辺りはむしろ歓楽街っぽく、夜になるともしかしたら違うのかもしれないが……。山田記念館という、比内鶏などの原種を飼って見せてくれるところがこの辺りにあるのだけれど、その体はまるっきり民家で、天気のせいかもしれないが鶏も外には出されておらず、金網の向こうのガラスのそのまた向こうで餌をついばんでいるらしいのが何とか見える。鶏の気配こそあれ、人の気配は全くない。あまりの寂しさにらちがあかなくなり、飯でも食って東大館駅で列車を待っていようかとも思っていたけれども、私はとりあえず大館に戻ることにした。
大館駅へ戻る列車はそれなりの広さのある大館の街を大きく回り込むように進む。大型店などの見えるにぎやかな部分も列車からは遠いところにあり、歩いてきた道が淋しかったのも何となくうなずけるような気がした。
温泉街ならそれなりのにぎわいがあるかもと期待し、私は近くの大滝温泉に向かうことにした。一瞬止んだかと思われた雨もその勢いを取り戻し、寒冷前線の通過後の街には昨日とはうって変わって冷たい風が吹きすさぶ。大滝温泉は、ひなびたどころか寂れきった温泉街だった。列車からはでかでかと目立つ「温泉プラザ」は、つぶれて恥ずかしいばかりだし、大きなホテルや旅館にもつぶれてしまったものが少なくない。人通りが少ないのは天気のせいばかりでもなさそうだ。水量が増して濁流の流れる川を渡ったところにある集落の中に、軽井沢温泉という共同浴場がある。自治会が管理しているものらしくて表にも大した宣伝の類はなく、中に入ってみても、観光客相手という色のまったくない、いかにも地元の人専用といった感じの「風呂場」が目に入ってくるのみ。それにしても、時間的に早いかと思ったけれども案外お年寄りばかりがすでにたくさん来ていて、いつでも入れるとなると気軽にこれてしまうのだなということを見せつけている。本当の温泉の良さを本当に理解しているのは、地元の人である、ということか。
特にこれ以上行くところもなくて、私はあまりに長い帰りの列車までの時間を駅の待合室で過ごすしかなかった。外は寒くて、熱い湯で火照ったからだにはちょうど良いけれども、駅の待合室の石油ストーブがとても快かった。雨は激しさを増すばかりで、走る列車の窓ガラスの向こうを、文字通り流れ落ちていく。
私はすでに暗くなりつつあった奥羽本線を素直に秋田まで戻り、その辺で売っていた比内鶏の薫製と秋田の原酒で、秋田というものを味わう夜をホテルで淋しく過ごすことになったのだった。
4日の朝、まだ雲は残っているが雨は完全に上がり、天気予報も晴れを告げている。この旅の最終日にしてようやく好天に恵まれそうな期待を抱きつつ、今日は男鹿半島の方へ向かうことにした。男鹿行きの列車は、雲の切れ間から強い日差しが降り注ぐ風景を車窓に映しながらしばらく奥羽本線を北上し、追分で本線と分かれたのちは松や杉の林の中を進んでいった。林と列車の間は適度に開いていて、きれいな並木道をドライブしているかのような爽快感もある。出戸浜の八重桜も、まさに満開であった。しばらく行った天王というところでは、八郎潟から日本海へ流れ込む船越水道を渡っていく。水量も多く幅も広いので、地図上では目立たなくともこの辺り、まさに大河の趣だ。やがて終点が近づいた脇本を過ぎると、それまで遠くの方にあった険しい山が車窓に迫ってきた。針葉樹優位でむしろ深緑が優勢な山である。山の間の細い田圃に添うように走り、線路ぎりぎりまでにクマザサは茂り、周りを囲む山並みはすぐ近くまでガスに煙る。
列車の終点の男鹿駅から、私は男鹿半島を時計回りに周遊すべく、遊覧船乗り場のある門前へ行くバスに乗り込んだ。バスから見たところ、男鹿の街も案外大きい。街のはずれには石油タンクもあったりする。そんな厳つい工業地帯を過ぎると、バスは山道へと入っていく。そして、林に囲まれて広がる家並みを通り過ぎ、とうとうバスは海沿いの道へ出た。雲も切れ、青空ものぞき始めている。海の波も静かだ。そんないかにもいい天気になりそうな爽快な海岸沿いの道、山はすっぽりと白い帽子をかぶるけれど、太陽は確実に山肌を照らし、忘れかけていた若々しい淡い緑色をきれいに映し出すようになってきた。やがてなだらかだった海岸線もだんだん複雑な岩場となり、この先どんな奇岩があるのか、私は楽しみにさえなってきた。
バスの終点の門前は小さな漁港の街であった。岸壁にはたくさんの釣り人が糸を垂れている。乗り込んだ遊覧船もとても小さく、海風がもろに浴びられる造りになっている。空は晴れ、いよいよ深みを増した青い海へと小さな船は出航する。海岸線は案内通りとても変化に富んでいる、陸の上はみずみずしい若草色なのだが、そんな絨毯の裂け目からは、赤や茶色や白の地肌が複雑な形でのぞく。浸食でできたという天然の洞窟や天然の橋など次々に奇妙なものが展開し、飽きることがない。山の中腹には常に道が通り、山の上は厚い雲に覆われているものの、時には荒々しくそびえ立つ海岸の景色を常に楽しむことができる航海であった。遊覧船の終点には男鹿水族館という、開放的な造りの施設があって、ゲートの外からでも中で泳ぐペンギン達の姿を見ることができた。ゴマフアザラシや白いハタハタというのもいるらしく、今回は見なかったけれど機会があれば見てみるのもいいかもしれない。
ここから男鹿半島の先端の入道崎に向かうには、一旦男鹿温泉に向かう必要がある。私はそこへ向かうバスに乗り込んだ。しばらくは漁村の映える海沿いの道を行くが、戸賀という所でバスは海と別れ、唐突に急な坂道へ入っていった。上り坂をゆっくりゆっくりと進み、峠を越えると、そこはまさに若草色の世界だった。まるで、荒涼とした外国のような世界が、そこには広がっていた。
男鹿温泉はその山を下りてすぐだった。排水溝から盛んに湯気の吹き上げる、本当の湯の街と言ったところである。建物があれば必ず湯気が立つ。昼間で宿泊客も出払っているのか、静かな雰囲気が満ち満ちている。風は相変わらず冷たいのだけれど、湯気のせいでさほど厳しい冷たさにはならない。入道崎へ向かうバスの時間までしばらくあったので、私は温泉街の坂道を下り、海岸に出てみた。さっきの船の上ではやや強いうねりを感じていたものだったが、ここから見る海は本当に静かだ。雲が多いのでその色こそくすんではいるけれど、海自体は本当に静かなものだ。時折行き交う車とモーターボートの音以外は、しみ出た泉の音と小鳥のさえずり、そして海が時々たてる静かなさざ波の音だけが辺りを支配する、きわめて静寂な海岸。雲の切れ間から顔を出す太陽は冷えた体に心地よく、潮の臭いもまた、心地よい。
男鹿温泉から入道崎に向かうバスは、高台の荒涼とした林の間をしばらく進んでいき、やがて遠くには松林越しに穏やかな海が眺められるようになった。海岸線はさっきの遊覧船の続きのように荒々しいが、海はどこまでも穏やかに横たわっている。そして集落の中の坂道、高度を下げていくと、今まで見られなかったもの……車の渋滞にたどり着いた。入道崎というのは、どんな観光客でも何はともあれ訪れてみる場所であるということらしい。バスの中の混雑はさほどではないのだが。ようやくたどり着いた道の末端は広い駐車場となり、その前方も深く青い海が広がる。車も人もかなり多い、入道崎に私はようやく到達した。
私は岬にそびえる黒白の灯台に登った。天気はここにきて急速に回復し、すがすがしいばかりの青い海原が広々と一面に広がっていた。岬の突端の近くからグラスボートが出ていて、その先に浮かぶ水島周辺の海底を見ることができるという。私もそのグラスボートに乗ってみたのだが、午後になって潮の流れが変わってということでものすごく揺れるものだから、情けないことに強烈な船酔いに襲われることになってしまった。しかしながら、そうまでして見るこの辺りの海底は見事なまでのきれいさだ。澄んだ青い海はかなり深くまで見渡せ、白い岩にはたくさんの海藻が生え、ボートの揺れとともにその全てが一斉に揺らめく。それはまるで海底にできた杉林のように精悍な姿を見せる。まだ魚の種類は少ない方という説明ではあったけれど、それでもたくさんの種類の小さな魚達が海底に遊ぶ。これから暖かくなれば種類が増えるとのことであり、そうなるとこの海底ももっときらびやかなものになるのだろうか。
目には楽しかったけれど辛かったグラスボートから解放された私は、岬の丘の上を崖のぎりぎりまで埋め尽くす芝生でしばらくマグロになるしかなかった。まだ船の揺れが残る頭で、私はしばらく、岬のその先の海を眺めていた。裏の売店はにぎやかだったけれども、そっちに背を向けて座っていると、視界には岬の突端と青い海しか入ってこない。その海の色も、天候の好転とともにますます深みを増してきた。そして透明感のある海は、所々海底の赤い岩や海藻の固まりを表面に映し出し、青と一言では言い切れない複雑な色を呈する。風は水島や岩礁にさざ波をぶつけ、辺りはその音で支配される。岬の突端の雰囲気を目で、耳で、全身で感じながら、私はこの旅の最終日にしてようやく出会えた風景をしばらく満喫していたのだった。
駐車場は車でいっぱいだったけれども、バスの中には立ち席の人はいない。反対方向に進む車の渋滞は激しさを増しており、私の今日の行程は正解だったらしい。バスは男鹿の温泉街に戻り、温泉街をくまなく回ると海と別れを告げ、深い山の中を進むようになる。しばらく山道を行くとバスは一気に平野の広い道へ出た。さっきは全然見えなかった寒風山の若緑色の山が、今は間近にその姿を堂々と見せてくれている。今朝まであれほどあった厚い雲も今そのほとんどが消え失せ、本当にいい天気になり、若草色をより一層鮮やかなものにしていた。もはや寒さはなく、居眠りも心地よく……。
私は列車で秋田駅に戻り、そして秋田新幹線でそのまま帰路に就いた。GWのUターンラッシュにかかっていたせいか、行きの山形新幹線に負けるとも劣らぬ混みようで、のんびりとした旅の余韻というわけにも行かないことがこの時期の旅のネックといったところか。しかしながら今回は至る所で鮮やかな新緑を目にすることができ、楽しむことのできた旅となった。列車は奥羽線、田沢湖線の概してのどかな田園風景の中を進んでいく。そして、角度の低くなった日差しは、そんなのどかな風景の中にすでに長い影を落とし始めていたのだった。